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白い花の歌  作者: タク
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7.The cruelest lie is often told over keeping quiet.

「メルウィル伯が襲われた!?」

 牢番はこくりと頷いた。地下牢に閉じ込められたままの第一分隊の隊員たちは、牢番から事の次第を聞くことになったのだ。

「反逆軍って……、マジかよ……」

 ナコルは落ち着かない様子で唇に手をやる。

「容体は?」

 エクトルが尋ねる。牢の奥で、頭の後ろに腕を組んだまま座っている彼の表情は、牢番からは見えない。牢番は左右に首を振る。

「おれら、こんなとこにいる場合じゃなくねえ?」

 フレンが神妙な顔で言う。

「だよな?もうすぐ夏だから、アルブル砦に大分人員割いてるもんな。人手足りてんの?」

 ナコルの問いに、牢番はうつむいて眉を寄せたまま、動かない。

「王国議会の命令もあったしな。三分の二がステルラ領のあちこちに散らばってる」

 マリノが付け加える。

 ナツは、牢の真ん中に正座しながら、言葉が行きかうに従って首をきょときょとと動かす。そんなナツの様子を、向かいの牢にいるフレンが真似をする。

「ふ、ふざけてる場合っスか!」

 ナツが怒鳴ると、フレンは素っ頓狂な顔で肩をすくめた。

「……おれもそう思う……」

 牢番がぽつりとこぼした。

「そうっスよね!フレンさんはふざけすぎっス!」

「や、そうじゃなく、こんなことしてる場合かって話……」

「お、マジでマジで!じゃあ出して!お願い!」

 すかさずナコルが、かっと目を見開き、素早く鉄柵にしがみつく。

「茶化すな!本気で悩んでんだよ!」

「おうよ。こっちも本気だ」

 ナコルの目が、鋭い光を帯びる。牢番はびくりと反応し、またうつむいた。彼らは常に、真面目と不真面目の境界がぼやけている。揺らされる。だから嫌だ。牢番は思った。

「馬鹿言うな……。総騎士長の命令が撤回されない限り、おれの一存で出すわけにいくかよ」

「じゃあお前んとこの分隊長にお願いしてきて?お願い!」

 両手を合わせ、小首を傾げてフレンが懇願する。牢番は少し顔を上げた。彼が第二分隊の隊員であると言ったことを、彼らが覚えていたのが意外だった。

「フレンさん、気持ち悪いっス……」

「お前もお願いしろってんだ!」

 一瞬で声の調子を翻し、フレンは鉄柵を蹴った。牢番は黙っている。

「……ま、無理だろうな。第二分隊って、ザウル隊長だろ?」

 マリノが言うと、牢番は唇を噛む。

「あの人、おれらのこと大っ嫌いだもんなー」

 ナコルが鉄柵にもたれながら、ずるずると座り込む。

「おれらっつーか、隊長が嫌いなんだろ。で、隊長に関わるもの全部大っ嫌いなんだろ。おれ、話したこともねえや」

 フレンが言う。

「あの人には、あの人の信じる正しさがあるんだよ」

 牢の奥の薄闇で、エクトルが言った。ザウルを擁護するような彼の発言と、その意外なほど落ち着いた声の調子に、第一分隊の隊員たちは顔を見合わせる。マリノは頭を掻きながら、小さくため息をついた。

 第一分隊の中では、エクトルとマリノが最も古参で、エクトルは隊の副隊長も務めている。しかし、隊員たちはおよそエクトルの考えや行動を予測することはできなかった。隊の指針に基づいて隊員たちをとりまとめるのは、マリノの役割だった。それでいてなぜエクトルが副隊長なのかといえば、隊長であるヴェルナーとエクトルの近さである、とマリノは考える。

「……おれだって、おかしいって思ってる……。たまたま第二分隊に配属されただけなのに、こういう時、どっちを選ぶか答えを出せって迫られてる気分になるんだ。でも、おれ、隊長とヴェルナー隊長の間に何があったかなんか知らねえし、どっちが正しいかなんか、わからねえよ……」

 牢番はぽつぽつと、つっかえながら話す。

「……見えるもんが違うんだから、仕方ねえだろ」

 マリノが言う。

「……そうやって“仕方ねえ”で済ますから、お前らこんなことになってんじゃねえのかよ!」

 はじかれたように、牢番は叫ぶ。

「おれからすれば、お前らも隊長も同じだよ!どっちも自分が正しくて、相手が間違ってるって、それしか言わねえんだ!そんなんで何かがどうにかなるのかよ!」

 思わぬ反撃に、マリノは目を見開いていた。何の目的もなく、ただ抱えた疑問を吐き出すためだけに吐き出したかのような牢番の叫びは、妙にすっきりと頭に響いた。

「あ」

 マリノの口から声が漏れた。不意に、牢番の背後の牢で、ぬるりと影が動いたためだ。鉄柵のすき間から伸びた腕が、牢番の首をつかみ、引き寄せた。

「ぐえっ!」

 牢番は苦しそうにじたばたと暴れる。エクトルはにやにやと笑いながら、暴れる牢番の耳元で言った。

「よう、言いたいこと言ってくれるな。お前、名前は?」

「離せ!クルト=セラだ!」

「そうか」

 クルトが叫ぶと、エクトルはあっさりと手を離した。しばらくむせ返り、涙目になりながらクルトはエクトルを睨み付ける。エクトルは笑っていた。穏やかに。

「名前を聞くためだけに締め上げるなよ……」

 呆れたようにマリノが言う。

「大丈夫っスか?クルトさん」

 ナツがしゃがみ込み、クルトの顔を覗き込む。

「天邪鬼だから。エクトルは」

 フレンが言う。

「天邪鬼だあ?」

 エクトルが顔をしかめる。

「気に入っちゃったんだろ?クルトのこと」

 フレンが言うと、エクトルは鉄柵を蹴りつける。

「これから大変だぜー?がんばれよ、クルト」

 ひゃっひゃっと笑いながら、ナコルが言う。

 クルトは、さまざまな感情がこみ上げてきて、どんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまった。腹立たしいような、苦しいような、楽しいような、あるいは、どこか、焦がれるような。

 結局いつもこうなのだ。これまで彼らと話したことはほとんどない。しかし、こうしていると、いつも彼らのペースに巻き込まれ、そしてそれに、引きつけられる自分がいる。

「まあ……、おれの懸念は別にあるんだけどね……」

 笑い声が響く中で、ぽつりと、エクトルは言った。


*****


 湿った空気が、肌の上を冷たく滑っていく。牢番は、いつもの通り、ただそこに座って、番をしている。シンの知る限り、この牢番はずっとここにいる。牢番となるよりも前、そのときは、どういう人物だったのか。それを誰も問うことはない。彼はもはや、牢番という以上に、名を与えられることはないのだ。

「街の奴らを取り調べる?」

 鉄柵の向こうで、ヴェルナーは声を荒げた。顔や体には、あちこちに黒ずんだあざがある。髪はぼさぼさで、目の下のくまは、暗がりで一層影を濃くする。

「……そういうことになった」

 シンはすべてを話し終わった後、初めて、なぜここにやってきたのかと考えた。ヴェルナーに事の次第を報告する義務などない。情などというものでもないだろう。

 ――ならば、なぜ?

「第一分隊の連中が牢に入れられていてよかったな。そうでなければきっと、面倒なことになっていたろうよ」

 シンは冷ややかに、皮肉を口にする。しかしこういった皮肉は、ヴェルナーにはおよそまったく響かない。

「言ってる場合か!やめさせろ!」

「無茶言うな」

「シン!」

 ヴェルナーは、牢の鉄柵をうち鳴らす。シンは懐から煙草のケースを取り出し、その中から一本取って、口に咥える。

「わかってるんだろ。メルウィル卿がいたからこの街は何とかなってきたんだ。あの人が襲われて、反逆軍が街に潜んでるかもしれないとなれば、街の奴らは不安だろうよ。そんな中で自分たちが疑われているとなったら、騎士団との不和は避けられない!信頼を失くしたら、犯人が捕まったとしても、この先どうやっていくんだよ!」

 シンは眉を寄せたまま、ヴェルナーの方を見ることなく、煙草を咥えて沈黙している。

 だからこそ、牢に閉じ込められている第一分隊を解放したかったのだ。住人たちの支持があり、またその性格から、決定的な不和を避けながら取り調べを行うには、最も適任だった。 

 しかしそれは、おそらくは見透かされたのだろう。浅薄。全くその通りであるかもしれない。

 いや、果たしてどうだろう?この期に及んで、何を……。そういうことなのかもしれない。

 いや、ありえない。シンは自嘲する。何に対して?何がおかしい?

 それすらも、わからない。

 混乱している。

「シン!ダミアを止めろよ。でなきゃ……」

「あのな」

 シンはヴェルナーを睨めつける。

「騎士団と住人の不和を気にするくらいなら、なぜお前は騎士団を出ていったんだ。リヒャルトの時代を引きずってる住人にとったら、ダミアが総騎士長ってだけで不満なんだよ。リヒャルトの孫であるお前や、第一分隊の連中が間に入ってたから何とかなってただけだ」

 ヴェルナーは真っ直ぐにシンを見ている。そのとび色の目は、いつも彼を、まっすぐとしか見ない。

「お前だってそうだろ」

「……何がだよ」

「お前だって間に入ってただろ。街のガキ共の面倒を見てただろ。用もねえのに非番の日でも街中うろうろして、何もないか気にしてただろ!」

「お前の尺度でおれを見るな」

「シン!」

「止められないって言ってんだ!」

 シンは思わず声を荒げた。

 ヴェルナーの熱にあてられたような気がして苦々しく、短くため息をつく。二人は暫くの間、互いに沈黙した。

「……お前、いつから煙草吸ってんだ?」

 唐突に、ヴェルナーが尋ねる。

「……は?」

「昔は吸ってなかったよな?第一分隊に入ったばっかりのときは……」

「忘れた」

 シンは、咥えた煙草に火を点ける気になれなかった。しかしケースに戻すのも癪で、そのまま口元で煙草を揺らす。

 うつむいていても、ヴェルナーがこちらを見ているのがわかる。いつものように、まっすぐと。

「……戻る」

 そう言って、シンは出口へと向かった。

 これ以上は、耐えられなかった。

「トーマがいなくなった後だよな」

 背中から追うヴェルナーの言葉に、シンは足を止める。

「……関係ない」

「関係なくねえ。お前だって、トーマが反逆者だなんて思ってないだろ」

「……それが、答えか?」

「聞けよ」

 シンは歯を食いしばる。頭がきりきりと痛む。

「でもお前は、おれみたいに考えなしじゃない。そうだよな。ずっと……、そうだった」

 教会で言った自分の言葉を、シンは思い出した。

 ――例えそれが納得すべき死ではなくても、誇らしく、悔いなどないと胸を張って、祖父の元へ逝くのだと、そう思ってる。

 こんな状況でも、彼は己の無力を悔いない。恥じない。そして、穏やかに、力強い声で言い放つ。

「お前だから止められる。ダミアを止めろ、シン」

 目を閉じて、シンは笑った。その笑みは、ヴェルナーには見えなかっただろう。

 そう、見えないのだ。

 いつだって逃げるように、背中だけを向けてきたのだから。

 シンは地下牢を出た。

 地上へと向かう階段を登りながら、煙草に火を点けた。

 煙草の煙を揺らし、階段を一歩ずつ登る。

 足は軽い。笑い声がこぼれる。

 そうして、石造りの壁にいくらも吸っていない煙草の火を押し付ける。

 そのまま先端を壁に引きずり、握り締めて潰す。

 手の平を開くと、くしゃくしゃになった白い紙から、茶色い葉と、黒い灰が交じり合ってこぼれ出ていた。

「……ちくしょう……!」

 膝を抱えて座り込んで、こぼれ落ちた声は、むなしく消えていくだけだ。誰も聞かず、どこにも響かない。

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