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白い花の歌  作者: タク
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6.偽装はやがて自己の天性へ還る

 ステルラで代々領主の住まう領主館は、ステルラの街の東側に、騎士館と向き合う形に位置している。連結した円筒型の建物の両側に、機械仕掛けの生き物がぎこちなく羽を広げたように、四角い塔が両側に突き出している。

 ウーゴはこの建物が好きではなかった。不自由を強いられた生き物のような形が、何かを暗示しているように見えるのだ。

 彼の寝室は、円筒の三階部分にあった。神経質な彼は、常に眠りが浅く、朝が弱い。そのため、毎朝決まった時間になると、目の覚める苦い薬湯を持って、副官であるクレイグが彼を起こしに来る。胃腸の弱いウーゴのために、薬学の街ヘルバから取り寄せている胃薬である。

 しかしその日、ウーゴは寝坊した。クレイグが来なかったためだ。仕事を始める時間はとうに過ぎている。

 ウーゴは慌てて起き上がり、慣れない手つきで身支度をなんとか済ませ、廊下に出た。人気がない。三階の踊り場から玄関ホールを見下ろすと、扉の向こうに人だかりがあるように見える。扉は内側から鎖がかかっている。

 ――鎖?

 ウーゴは首を傾げた。これまで一度も、あの扉に鎖がかかっていることなど見たことがない。

 鎖を外すか一瞬考えて、しかしそれよりもクレイグのことが気になった。

 彼はどこに?

 なぜ起こしに来なかった?

 決まった仕事を彼が忘れたことなど、これまでに一度もなかった。

 ウーゴは階段を降り、クレイグの執務室の前をうろうろと歩き回った。だが、起こしにこなかったということは、もしかしたらまだ眠っているのかもしれない。思い直して再び階段を上り、自分の寝室の前を通り過ぎ、クレイグの寝室の前に立った。

 扉は少し、開いていた。ノックをすべきかどうか迷って、取っ手に手を伸ばした。少し手が触れただけなのに、ギイ、と音を立てて扉が開いた。

 ウーゴは驚嘆し、後ろに尻もちをついた。助けを呼びたいが、声がうまく出ない。立ち上がろうとするが、足が滑り、腰に力が入らない。

 彼は振り返れなかった。その恐ろしい光景を二度見ることはできなかった。

 転がるようにして階段を下り、鎖のかかった扉を内側から叩いた。ほとんど悲鳴に近い声で、彼は助けを呼んだ。


*****


 それは、僕の知らないところで起こったことだった。朝、教会の掃除をしていると、扉を叩く音が聞こえた。雨だったので、扉は閉めたままにしていた。子どもたちの呼び声が聞こえて、いつもより随分早いと思いながら、扉を開けた。

「おはよう」

 僕はいつも通り声をかけるが、子どもたちの様子が普段と違う。年長の子は青ざめ、年少の子どもたちは、不安げな様子で年長の子たちにしがみついている。

「……どうしたの?」

「……母ちゃんが、神官さまのとこに行けって……」

 ケイがぽつりと言う。僕は彼の前にしゃがみ、服の裾を握り締める手をとった。小さな手は、冷たかった。

「何かあったの?」

 ケイは一度、ぐっと口をヘの字に結び、それから顔を上げ、赤くなった目をこちらに向けて、叫んだ。

「……はんぎゃくぐんが、いるんだって!ステルラに!」

「……反逆軍?」

「クレイグさまが、襲われたって……!」

 ケイの告げた内容は、僕の予想しうるものではなかった。あまりのことに、僕は驚きを隠せない。

 しかし、ケイと目が合った。不安そうで、今にも泣きそうだ。他の子たちも皆同じだ。年少の子どもたちは、事態を把握しているわけではないのだろうが、不穏な雰囲気に混乱し、落ち着かず、不安なのだ。

 僕は何とか笑顔を作る。

「そうか……。じゃあここにおいで。おなかは空いてない?」

「……」

「パンがあるよ。ミルクもある。沸かして蜂蜜で甘くして飲もう。ね?」

「……うん」

 子どもたちは顔をうつむいたまま、教会の中に入る。

 子どもたちをベンチに座らせ、ミルクを沸かす間、昨晩シンさんが置いて行ってくれたパンを彼らに食べさせた。小さな子たちはそれで多少元気が出たようだったが、ケイや、年長の子たちはそうはいかない。外で微かな物音がする度びくりと体を震わせ、目をきょろきょろさせる。

 昼過ぎになって、シンさんがケイの両親と共に教会にやって来た。子どもたちは途端に目を輝かせ、シンさんに飛び掛かっていった。

 ほっとしたのは僕も同じだ。

「いやあ、大変大変。とりあえず教会にも交替で警護を置きます。おれもちょくちょく見回りに来ますけど」

 足元にまとわりつく子どもたちの頭を軽く撫でながら、シンさんの調子は相変わらず軽やかだ。それが今はありがたい気がした。ケイの両親は、全員分の昼食を準備してきてくれていた。

 子どもたちが昼食をとる間に、僕は奥の部屋でシンさんから詳しい話を聞いた。

「傷は腹部に一箇所でした。致命傷ってわけじゃないんですが、発見まで時間がありましたからね。出血が多くて、意識がありません」

「意識が……」

 ニーノさんの小屋で見た、クレイグさんの微かな笑顔が、脳裏に浮かんだ。僕は唇を噛む。あのとき一瞬感じた不安は、予感だったのだろうか。

「反逆軍がって、ケイが言ってました」

「壁に反逆軍の印が書かれていたんですよ」

「反逆軍の印?」

「王国騎士団の印章を逆さにした印です。まんまとバカにされましたよ」

 シンさんの服の首元にもついている王国騎士団のマークは、交差した剣に、冠を象ったものだ。王と騎士の象徴である。

 僕は、お腹の底からもやもやと湧きあがる不安にうつむいた。シンさんは煙草を吸いながら、時折何か考えるように、遠くを見つめる。

 その時、教会の扉が乱暴に開き、ドカドカという足音と共に、シンさんを呼ぶがなり声が聞こえた。

「シン!シン=ウィーラント!」

 シンさんと一緒に出ていくと、どこかで見た覚えのある騎士が険しい顔で立っていた。子どもたちは、ケイの両親にしがみつき、拒絶感を露わにしている。

 その様子に頭をぽりぽりと掻きながら、シンさんはからかうように言う。

「ザウルさん、おののかれてますけど」

「……あ!」

 僕は思わず声をあげた。思い出した。ザウルと呼ばれた騎士を、僕はステルラの宿で見た。大声で猥談を繰り広げ、女性にからみ、リリーに馬鹿にされ、ヴェルナーさんに一喝された人だ。

「何ですか?」

「あ、いえ、何でもないです……」

 シンさんは首を傾げる。僕はヴェルナーさんの処刑のために呼ばれたことになっているのだから、あのときのことを話すわけにはいかない。幸いにも、椅子から転げ落ちただけの僕の顔を、彼は覚えていないようだった。

 ザウルさんは僕と子どもたちを順に眺め、舌打ちする。

「今後のことを話す。お前も来い!」

「はいはい」

 面倒そうに返事をして、シンさんはザウルさんのあとに続く。子どもたちの横を通るとき、前の背中を指さし、あからさまに顔をしかめてみせる。

 直前までシンさんがいなくなることに寂しそうな様子だった子どもたちは、その顔にくすくすと笑い合った。

 そんなやりとりに、僕も自然と笑みがこぼれた。


*****


 騎士館三階の広間に、ステルラ王国騎士団の幹部たちが集められた。全隊を率いる総騎士長に、副騎士長、各分隊の隊長、副隊長たちである。といっても、全員が揃っているわけではない。ステルラの領地に点在する要所に派遣されていたり、王国議会の取り調べリストの影響で、ステルラに残っているのは、第一、二、五、九、十の五つの分隊だけである。第一分隊の隊長、副隊長がそろって牢に入っていることからしても、広間の円卓は物寂しい。

 第二分隊の隊長であるザウルに呼び出され、遅れて広間に入ったシンは、空席に少し目をやり、自分の席についた。

「……では、始める」

 そう告げるダミアの背後には、騎士団の旗が掲げられている。ザウルが立ち上がり、概要を報告する。その不必要に大きな声を、面々は頬杖をつき、目を閉じて聞いている。

「最後にメルウィル卿の姿が確認されて以降、ステルラを出た者は確認されていません!現在、街を封鎖し、不審な人物がいなかったか調査中であります!」

「領主館には見張りの騎士がいたはずだろう。何か見ていないのか?」

 第十分隊の隊長が言う。

「起こったことと言えば、見張りの一人が、突然昏倒したそうだ。片割れが施療院に連れていき、騎士団に人員の補充を要請して持ち場に戻るまでの数十分、見張りがいない時間があったらしい。持ち場に戻った騎士は、メルウィル卿に次第を報告しており、そのときは返答があった。それが最後だ。以後、特に異常はなかったと」

「返答?」シンが繰り返す。

「返答ということは、顔を合わせてはいないんですか?」

「そうらしい」

「昏倒した騎士は回復したんですか?」第五分隊の副隊長が言う。

「回復している。しかし、妙なことを言っているのだ」

「……妙なこと?」

 全員が顔を上げ、ザウルを見る。ザウルは眉を寄せ、釈然としない顔で言った。

「この街の者ではない、白い、美しい女を見たと」

「それの何が妙なんです?」

 シンがいつもの軽やかな調子で尋ねると、他の面々も互いに顔を見合わせる。ザウルはシンを睨みつけ、苛立たしげに言う。

「片割れの騎士は見ていないと言っているんだ!それに、調べたがそんな女は街にはいない!」

 円卓がざわめく。ダミアだけが、その中で誰とも目を合わせず、じっと沈黙している。

「片や女を見たと言い昏倒し、片やそんな女はいなかったと言う。それは確かに妙ですね。昏倒するほど美しいと言うなら、是非とも目にしたいものですが」

「ふざけている場合か!」

 額に青筋を浮かべてザウルが怒鳴ると、シンは艶然と言う。

「真面目です」

 確かに、シンの表情は、口元は微笑をたたえながら、目が笑っていない。

「その、見張りの騎士……、所属はどこだ?」

 それまで沈黙していたダミアが低い声で問う。

「昨夜は第二分隊が警護に当たっています。街の警らも……」

 矛先が隊長である自分に向くことを恐れてか、ザウルはたじろぎ、語尾が不鮮明にしぼんでいく。ダミアは蛇のような目をザウルに向けた。

「問題はなかったのか」

「は……、そのように、認識しております」

「その二人については、私も保証しますよ。私が隊長だったときから第二分隊にいる」

 ザウルが口を一文字に結んでシンを睨みつけた。第二分隊の隊長職は、シンからザウルに引き継がれたものだ。口にこそしないものの、シンよりも長く騎士団にいるザウルには、それも不愉快の種の一つだった。そのことを知っているからこそ、シンは普段は敢えて触れないようにしているのだが、今回は助け船のつもりだった。肩をすくめ、目を閉じる。

「よそ者の調査は?」

 第十分隊の隊長が言う。

「ほとんどが日ごろからステルラに出入りしている仲買人や、行商ばかりだ」

「よそ者というのなら、もう一人いませんか」

 第五分隊の副隊長が口を開く。

「もう一人?」

「あの神官ですよ」

 シンは、微かに眉を寄せる。

「確か、この騎士館と教会、そして領主館をつなぐ地下道があるでしょう。それを使ったとすれば、誰にも見られることなく領主館に入れます」

「そうか……!では、あの神官に事情を」

 これまでは黙っていた第九分隊の隊長が、わかりやすい答えを示唆された瞬間に勢いづく。

「話が飛躍していませんか」

 シンは目を伏せたまま、言った。

「地下道は迷宮です。道を知らない者は使えません。第一、もう何十年も使われていない道ですよ。使えば痕跡が残ります」

「しかし……」

 何事か言い返そうとする第九分隊の隊長を、ダミアが諌める。

「そもそも神官を取り調べるなど、簡単に言うな。彼らはベジェトコルの民ではない。教会エックレーシアの治める地、コンルーメンの民なのだ」

「しかし、それでは!」

「地下道は使われず、把握しているよそ者の中に反逆者はいないということだ……」

 ダミアは、重々しい声で言う。――すなわち。

「ステルラの誰かが反逆者をかくまっているか、あるいは、そも反逆者であると、そういうことになりますね」

 ダミアに目線を向け、それから円卓を見回して、事もなげに、シンは言う。

 円卓は沈黙する。お互いにそわそわと視線をさまよわせながら、誰かが口を切るのを待っている。ダミアは腕を組み、目を閉じて、椅子の背に沈んだ。

 沈黙を破ったのは、ザウルだった。

「各隊に不審と思われる者はいないか!第二分隊には反逆者などおらん!」

 シンは眉をひそめた。しかし、各分隊の隊長たちは、次々とその声に追従する。

「第五分隊にもそのような者はいませんよ」

「第十分隊にも」

「だ、第九分隊にも心当たりは……」

 シンは顔を歪める。タグヒュームから三年――、これが誇り高き騎士の街の、王国騎士団の現状だ。そう思うと、自嘲的な笑いがこみあげてくる。ふと、一つの空席が目の端に映る。そこに座る者がいないことが、あるいは全てを虚ろにするのかもしれない。

「……では、引き続きよそ者を取り調べると同時に、街の住人に聞き取りを行う。ステルラは出入りを制限し、街の警備を強化せよ」

 ダミアが言った。

「待ってくださいよ」

 シンは、冷然と言う。そのとき、彼は笑ってはいなかった。

「騎士団の内情を見澄ますことなく、住人たちに矛先を向けるなど、納得されるわけがない。いたずらに溝を作って、どうなさるおつもりで?」

 言いながら、ダミアと目が合った。冷たく、昏い目。

「では、お前が反逆者となるか?」

 ダミアは言った。シンは、一瞬、苛立ちのような、悦びのような、意図の読めない表情を浮かべた。しかしすぐに、彫刻のようないつもの笑みで、言った。

「お好きに」

「……以上だ」

 ダミアが告げると、ザウルが続けて、「解散!」と大声で宣言する。幹部たちは、戸惑うようにしながらも席を立ち、広間を出ていった。シンは座ったままだ。

 つまるところ、真相を追究する気などないのだ。事が起こったのは深夜で、発覚には時間をとった。街の出入りは厳重に管理されているが、穴がないわけではない。知らぬうちにその穴をつつかれて、時間がたち過ぎたのだとしたら、全てをつまびらかにすることは極めて難しい。

 ――だが、そうであるとして、話の落としどころは探らねばならない。

 ダミアが席を立った。彼が広間を出ていくとき、シンがぼそりと言った。

「第一分隊の連中を解放してやっては?」

 ダミアは振り返り、シンを見やる。

「この状況で、か?」

「……この状況、とは何です?」

「浅薄だ」

 にべもなく、ダミアはシンを切り捨てた。そして背を向け、広間を出ていく。

 傾き始めた陽が、黒い影を伸ばしながら、広間を赤く染めていた。

 いつのまにそうしていたのか、固く握りしめた拳が目に映る。それを、ぎこちなく開き、手の平にくっきりと残る、爪の跡を、シンは眺めた。

 そのうちに、ふと、口の端が、ぐにゃりと歪んだ。



 その後、なぜ自分がそういう行動をとったのか、シンにはよくわからない。しかし彼の足は、そこへ向かった。地下深く、その男のもとへ。

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