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白い花の歌  作者: タク
28/66

5.夜に轟く

 その日は、朝から曇っていた。どんよりと分厚い雲が空を覆い、遠雷が聞こえる。開け放したままの扉から、重たい空を僕は眺めていた。

「てえーい、とうっ!」

「うー!うー!うー!」

 背後では、もはや恒例になりつつある剣術(棒切れ術)大会が繰り広げられている。しかし、大体いつも勝者は決まっている。子どもたちの中で一番年上の、ケイという名の少年が勝つのだ。パン屋の息子らしい。

「たあっ!」

「うっ!」

 見守っていると、ずっと年下の相手の頭にぽかりと一撃を加え、やはりケイが勝利を収めた。彼は誇らしげにポーズをとる。一方、打つ力は手加減されても、負け続けは子どもの心には響くものだ。負けた子は、うるうると涙を目にためて、僕のところに駆けて来た。

「おい!泣くな!そんなんじゃりっぱな騎士になれないぞ!」

「うるさい!バカ!バカー!」

 ほほ笑ましい喧嘩の仲裁に、泣く子を抱き上げてあやす。ケイは、頬をぷう、と膨らませた。

 何だか懐かしい。コルファスの教会に預けられた子どもたちを、よくこうして抱き上げて慰めた。そういう僕もまた、小さい頃から泣くたびに同じようにジェロームに慰められて育ってきたのだ。そんなことを思って、ほんの少し切なくなる。

「ケイは騎士になりたいの?」

 僕が問うと、彼は頬にためた空気を一気に放出し、にぱっと笑った。

「うん!おれねー!ヴェルナー兄ちゃんみたいな騎士になりたいんだ!かっこいいから!」

 興奮気味に話すケイは、音量の調節機能が働いていない。別のスペースで人形遊びをしていた女の子たちも、こちらに注目する。

「かっこいい?」

 つい、聞き返してしまった。ルドビルでお酒に酔っぱらってふわふわと話すヴェルナーさんを思い浮かべてしまったからだ。

「そうだよ!前にね、北のどうくつのかいぶつに街がおそわれたときもすごかったんだ!“じんだい”のかいぶつだぜ?すげーでかくてくさくて、きもちわるいやつ!そのとき“だいいちぶんたい”は“しさつ”に出てていなかったんだけど、すぐに帰ってきてくれて、あっという間にかいぶつを倒しちゃったんだよ!ヴェルナー兄ちゃんはすごいんだ!」

 ぎこちない彼の言葉の一つ一つを、頭の中で変換しながら聞く。頬を赤く染めて身振り手振りを加えながら話すケイを見て、ふと思った。

 これまで、ヴェルナーさんの話となると、いつもおじいさんの名前を耳にした。リヒャルト=ウルブリヒトという英雄の名前。

 でも、英雄を知らない僕には、ヴェルナーさんは見た限りの人でしかない。リリーの前に膝をついた彼。酒場で大暴れした彼。お酒に酔って話す彼。朝焼けの空に飛びこんでいった、後姿――。

 ケイの話を聞いていて、僕は何だかうれしくなってしまったのだ。彼が目にし、心に残ったヴェルナーさんの話を聞けることが、うれしかった。

「あら、ちがうわよ!」

 すると、女の子の一人が、鼻を鳴らして言った。

「ヴェルナー兄様はすてきよ!でも街が助かったのは、ヴェルナー兄様がもどられるまで、シン兄様が守ってくださったからなのよ?」

「シンにい……?」

「シン兄ちゃんもつよいけど、ヴェルナー兄ちゃんがこなかったらかいぶつを倒せなかったんだから、ヴェルナー兄ちゃんのおかげだろ!」

「シン兄様がいなかったら街はとっくにぐちゃぐちゃよ!」

「なんだとー!」

「なによ!」

 初めて聞く名前について、尋ねようにも口を挟む隙がない。

 「シン兄様」というのが誰かはさておき、二人のおかげ、というわけにはいかないのだろうか。ケイは今にも女の子につかみかかりそうで、女の子の方も、やれるものならやってみろと言わんばかりにふんぞり返っている。

「まあまあ、二人と……」

「とにかくおれが目指すのはヴェルナー兄ちゃんなの!シン兄ちゃんもかっこいいけど、アツさが足りねーよ!」

「ばっかみたい!そこがいいのよ!」

 僕は頬をかいた。自分が好きだと思うものを語る子どもの勢いには敵わない。高さの違うところで声をかけても届きそうにない。

 とりあえず二人の間にしゃがみこんで、同じ高さに合わせてみる。不意に登場した侵入者に、二人は揃ってこちらを見た。成功だ。

「シン兄ちゃん、っていうのはどんな人なの?」

「シン兄ちゃんは“ふく騎士ちょう”だよ」

「副騎士長?」

「騎士団で二番目にえらい人よ!」

「じゃあ、ヴェルナーさんより年上なのかな?」

「ううん、おない年。昔はおなじ“だいいちぶんたい”にいたんだって。ヴェルナー兄ちゃんといっしょに、おれたちに剣術教えてくれるんだ」

「ヴェルナーさんと、一緒に?」

「うん!でもね、変なんだぜ。ヴェルナー兄ちゃんが教えてくれるときは、シン兄ちゃんは相手の味方するし、シン兄ちゃんが教えてくれるときはヴェルナー兄ちゃんが相手の味方すんだ。それで最後はいっつも二人でけんかしてる。けっきょく自分たちがやりたいだけなんだよなー!」

 喧嘩するほど、というやつだろうか。ケイは、生意気なことを言いつつも、頬を紅潮させてうれしそうだ。すると、また横から女の子が口を出した。

「あたしはね、シン兄様のお嫁さんにしてもらうの」

 こちらも随分生意気だ。

「バーカ!むりだよ!」

「無理ってなによ!お嫁さんにしてくれるって言ったもん!」

「だってシン兄ちゃん、こいびといるんだぜー!すっげえ美人でオトナで、真っ白なの!」

 ――真っ白?

「ウソ!ウソだもん!」

「ウソじゃねーよ!あきらめろ!」

「ひどい!なによ!」

「じゃあヴェルナーさんのお嫁さんにしてもらうっていうのは?」

 このままでは女の子が泣いてしまいそうなので僕が提案すると、二人は呆れ顔で僕を見た。とりあえず涙は引っ込んだようだ。成功だ。

「ヴェルナー兄ちゃん、結婚してる」

 僕は思わず固まった。知らなかった、というか予想もしていなかった。ヴェルナーさんからは、家庭を持っている人の空気が全く感じられなかった。

「結婚、してるの?」

「うん。当たり前でしょ」

「当たり前なの?」

「ヴェルナー兄ちゃん、“きぞく”だもん。」

 僕は、思わずケイの顔を見つめてしまった。

「……そう、なの?」

「そうだよ。よくわかんないけど、じいちゃんの“こうせき”で“とりたてられた”んだって」

「そう、なんだ……」

 貴族であれば、確かに早く結婚をするはずだ。騎士に与えられる爵位は一代限りというが、貴族に取り立てられたということは、それは家名に与えられるものだ。跡継ぎを求められることはもちろん、家を守る夫君が必要なのだ。

 でも、そうだとするとヴェルナーさんの処刑は尚更彼だけの問題ではない。家で帰りを待つ家族がいるのだ。

 ふと、ある考えが頭に浮かんだ。

「ねえ、シン兄ちゃんは、ヴェルナーさんと仲がいいんだね?」

 ケイは、何故そんなことを突然聞かれるのかと思ったのだろう、首を傾げた。

「けんかばっかりしてるけど……、トモダチだと思うよ」

 その人は、王国騎士団の副騎士長だと言った。“二番目に偉い”その人が、ヴェルナーさんと仲が良いのなら、ダミアさんを説得できないだろうか。

「……その人に、会えないかな…?」

「なんで?」

「うっ、えーと……、そう、僕も剣術習いたくて!」

「“しんかん”なのに?」

「うっ、うん、そう、ほら、ちょっとくらい、やってみたくて……」

 ケイは再び首を傾げる。大体において僕の言い訳は泥沼だ。底なし沼だ。

「……まあ、いいけど。じゃ、こんど会ったら言っておいてあげる」

「ありがとう!」

 僕はケイの手を握る。ケイはにたりと笑った。その笑顔になぜか背筋が寒くなる。

「じゃ、まずはオレが教えてあげるね、剣術」

 ……この展開は、考えていなかった。




 ケイの稽古は、スパルタだった。暗くなる前に子どもたちを帰らせ、ベンチに倒れこむと、そのまま眠ってしまった。

 そして夢を見た。どこか不気味で、恐ろしい夢。

 白い髪、白い肌、血の色をした瞳の、美しい人がいる。

 ――真っ白?

 頭の中で、どこかで浮かんだ疑問が繰り返される。

 その人は、こちらをじっと見ている。

 白い肌から、薄く色づいた唇から、赤い舌を覗かせて笑う。

 くつくつと……。

 目を覚ますと、僕は汗をかいていた。あたりはもう暗い。オレンジ色の炎が、教会の中をゆらゆらと照らしている。

「……ガキの相手は疲れますよねえ……」

 隣のベンチから、声がした。透明感のある、どこか艶っぽい声だ。そちらを見ると、腰に剣を提げた青年が座っていた。

「……どなたですか?」

「あなたがおれに会いたがっていると聞いたのですけれどね」

「……シン、さん……?」

「はい。シン=ウィーラントです」

 青年は、にっこりとほほ笑んだ。亜麻色の髪は、長い前髪を真ん中分けにして、後ろ髪は短い。整った顔立ちに、足を組んでベンチに座るその様は、一枚の絵のように洗練されている。

 ヴェルナーさんとは全く違う雰囲気だ。トーマさんとは少し似ているような気もしたが、トーマさんが持つようなずっしりとした重みは感じない。

 闇夜に美しく映える、一筋の雷光のようだ。見た者の心を捕えるのに、決して存在し続けることがない。

 淡い水色の瞳を細めて、シンさんはほほ笑んでいる。僕は少し緊張して、まごまごと言う。

「あの……、僕は、ジウ=シガンといいます。コルファスの神官です。ケイからあなたの話を聞いて、少し、話したくて……」

 シンさんは首を傾げた。

「そうですか。神官さんがいらしてるとは聞いていましたけど。ケイから何を聞いたのか……、おれは説教に呼ばれたんでしょうかね?」

「いえ、そんなつもりでは!」

 僕がぶんぶんと手を振ると、シンさんはまたにっこりと笑んだ。あまりにも艶やかな笑みに、神官の説教を受けるようなことがあるのだろうかと少し思ったが、深く聞かないことにした。

「いいですよ。話をしましょう。ああ、でもその前に……、腹、減ってません?」

「はい?」

「夕飯まだなんですよ。ケイのとこで焼いてもらったパンと、塩漬け肉。食べませんか?」

 シンさんはそう言って、脇に置いてあった布包みを開く。酵母の香りが食欲をそそる。体を使ったせいか、ひどく空腹だった。

「ケイのところの奥さんはおしゃべりが大好きなんですよ。行ったら一時間は帰れません。ケイに捕まるとさらに倍。あいつもおしゃべりですしね。街の情報を聞きたければ、普通は酒場、ステルラならパン屋。ここの酒場は呑んだくれの騎士しかいませんから、ろれつが回らなくて情報は何も入らない」

 シンさんは、流暢に話しながら、手際よくパンと塩漬け肉を小さなナイフで切り分ける。塩漬け肉を乗せたパンを布袋の上に広げて、僕を見る。

「さあ、どうぞ」

「ありがとうございます……」

 僕はおずおずとパンに手を伸ばし、口に運ぶ。シンさんは革の水筒の栓を開け、口をつけた。

 それがまた様になっていて、僕はつい咀嚼を忘れてじっと見つめてしまう。

「飲みます?」

 視線に気づいて、シンさんが言う。僕は慌てて首を振った。シンさんは、また笑う。なぜだか顔が熱くなった。女の子が、シンさんのお嫁さんになりたいと言うのが、わかったような気がした。

「……あの、ええと」

「ああ、はい。話って何でしょう?」

「……ヴェルナー、ウルブリヒトさんと、仲が良かったと……」

 シンさんは、優しそうな人ではあった。しかし一方で、つかみどころがないようにも感じられて、僕は慎重に話すことにした。

「僕は、ヴェルナーさんの処刑のために呼ばれました。経緯も聞いています。でも何だか、よくわからなくて。親しい人の話を聞いてみたくなったんです」

 シンさんは、伏し目がちに聞いていた。長い睫毛の下に見える瞳は、固まったように動かない。口元はずっと笑ったままの形をしている。

「ケイが言ったんですか?おれとヴェルナーは仲が良かったって?」

「……喧嘩ばかりしていると」

「その通り」

 シンさんは、皮袋の栓を閉じて、懐から煙草を取り出した。

「あ、すみません、いいですか?」

「どうぞ」

 僕が言うと、シンさんは慣れた手つきで煙草に火を点ける。それを、僕はどこかで見た気がした。

「おれとヴェルナーはね、同期なんです。同じ年に見習いを終えて、第一分隊に入ったんです」

「……同期」

 それを聞いて、合点がいった。ヴェルナーさんは言っていた。トーマさんが王国騎士団に来た頃、つまりヴェルナーさんが第一分隊に入った頃、騎士団の皆でトーマさんの真似をしていた、と。シンさんが煙草を吸うその姿は、トーマさんのそれにそっくりなのだ。

 僕の胸に、かすかな期待が生まれた。ヴェルナーさんとシンさんが、トーマさんの真似をしながら笑い合う情景が、目に浮かぶのだ。

 つと、シンさんはじっと僕を見た。その視線の意図がよくわからず、なんとなく僕は焦った。

「……神官さん、どこから来たって言いました?」

「コルファスですけど……」

「へえ」

 シンさんは、口の端を上げる。それは、先ほどまでとは少し違った、嘲るような笑みだった。そして、僕の目の前にするりと指先を突き出した。

「金色の目……」

 艶やかな、声だった。

「金色の目をした、二十歳前後のコルファスの神官。伝説の聖イーノクみたいですね」

 一瞬で、血の気が引いた。

「ああ、すみません。嬉しくはないですね」

「……いえ」

「でも、何だかね?数百年の時を超えて、変わらぬ姿で世界各地に記録が残るって伝説の聖人……。ある時は聖者と呼ばれ、ある時は悪魔と呼ばれたその人が、今こうして、ここにいたとしてもおかしくないなと思ってしまって」

「聖者でも、悪魔でもないです。……たぶん」

 僕は、ざわつく心臓を抑えてなんとか言う。シンさんは、くつくつと笑った。

「……お詳しいんですね」

「父親が宗教家なんです。コンルーメンにいますよ。」

 それは少し意外だった。宗教家の息子が、なぜ騎士を志したのだろう。

「母親は教師でした。ベジェトコルのね。この国にはあちこちに神殿があるでしょう?それで父がベジェトコルを訪れたときに、一夜限りの何とやらで、おれが生まれたわけです。おれは母に育てられました。母が亡くなってしばらく、コンルーメンにもいましたけどね」

 僕の疑問を見透かすように、シンさんは言った。

「ベジェトコルに生まれた子は、みんなエドガー=ウェルグローリアの伝説を聞いて育ちます。知ってます?」

「……少しなら」

「ケイを見てるとよくわかります。騎士の国に生まれた子どもたちは、皆伝説の騎士を夢見ている……」

「……ケイはあなたやヴェルナーさんに憧れているんでしょう?」

 僕が言うと、シンさんはほほ笑んだまま、目を伏せる。

「おれは小さい頃、伝説の中の騎士しか知りませんでした。そうして騎士を夢見て、憧れて……。猛反対されながら家出同然で王国騎士団に入って、本物の英雄を見た」

「本物の?」

「リヒャルト=ウルブリヒト――、ヴェルナーの祖父ですよ。だからおれは、ヴェルナーが大嫌いだったんです」

 僕は首を傾げる。ヴェルナーさんのおじいさんが本物の英雄で、それがなぜヴェルナーさんを嫌いだという話になったのだろう。

「ふふふ」

 シンさんはにっこりと目を細める。つられて笑うが、疑問符は消えない。

「憧れって、その人みたいになりたくて、近づきたくて、認めてほしくて……、そういうものでしょう?それで必死になってるってのに、同い年で同期のヴェルナーには、何よりも強い血の繋がりがある。近づこうと、認めてもらおうと努力しなくても、ヴェルナーはリヒャルトに近づけるし、認めてもらえる……。ずるい、ひどい。そういうの何て言うかわかります?」

「……嫉妬?」

「その通り」

 シンさんはうんうんと頷く。正直に言って、反応に困る。シンさんの調子は軽やかなのだが、真剣な打ち明け話をされているのか、冗談めかした過去の思い出を話されているのか、混乱してしまう。

「でもある時ある人に言われました。本当にそう思ってるか、ってね。これ、すごく恐ろしい質問です。聞かれたからには答えを出さなきゃいけない。しかも残念なことに、おれは既に答えを持ってたんですよね」

「……答え?」

 シンさんは、笑う。そのほほ笑みが、何だかとても綺麗で、それなのになぜか、胸がざわめく。

「そう。答えです。思ってはいなかった。剣を交えても、ヴェルナーがリヒャルトを見る目を見ても、あいつが誰よりも彼に焦がれて、憧れて、必死だったのか……。おれの答えは“いいえ”だった。そしてそうやって答えを口にしたからには、もうヴェルナーを責められない。そうやってこちらが敵意を収めると、ヴェルナーって奴はね。本当にバカバカしいほど簡単に近づいてくる。ついこないだまで泥沼の喧嘩をしてた相手に、“昼飯食おうぜ!”って誘われたときの脱力感ったらないです。そういう関係なんですよ、おれたちは。仲良しってわけではないです。」

「……それって、ヴェルナーさんはあなたが好きだったんじゃないですか?」

「気持ち悪いです」

 シンさんはぴしゃりと言った。

 ふと、シンさんに「恐ろしい質問」を投げかけたのは、トーマさんだったのではないかという気がした。

 煙草を吸うその動作一つ、この人もトーマさんを敬愛していたんではないか。ヴェルナーさんと同じように。根っこのようなもので、繋がっているのではないか。

 そんな気がして、僕は尋ねてしまった。

「……ヴェルナーさんの処刑に、納得してますか?」

 シンさんは、しばらく沈黙していたが、布袋から銀色の筒を取り出すと、煙草の火を押し付けて消し、中に放った。それは、ぽいぽいと煙草を捨てるトーマさんとは違っているところだった。

 そうしてシンさんはほほ笑んだ。それはそれは、美しく。

「誰も……、ヴェルナーが無念のうちに、惨めに、悔しく、自分を殺そうとする者を、あるいは運命を呪いながら死んでいく姿なんて、想像もしないでしょうね。」

 僕はぎょっとした。シンさんの声は、透き通って、冷たい。伏せた目は、より一層強く、固まって、動かない。

「たとえそれが納得すべき死ではなくても、誇らしく、悔いなどないと胸を張って、祖父の元へ逝くのだと、そう思ってる。」

「……そうであれば、ヴェルナーさんは死んでもいいと……!?死が、ヴェルナーさんを美しく描くなら、それでいいと思うんですか!?」

 思わず、声が震える。シンさんは、上目使いに僕を見た。そしてまた軽やかに言うのだ。

「冗談ですよ」

 僕は、唇を噛む。微笑を崩さないシンさんを見ていると、無性に悲しかった。

「……もう、いいです」

「いやいや、すみません。本当に冗談ですよ?納得してはいません。おかしいと思ってますよ。おれがヴェルナーと親しいとか親しくないとか以前に、この処刑には、少し不審なところがあってですね」

「……それなら、どうして止めないんですか?あなたは副騎士長なんでしょう?」

「おれが副騎士長なのはただの偶然です。それに、そうじゃないとしても、無理です」

「……どうしてですか?」

「総騎士長は絶対に、意志を変えません」

 真剣な顔で、シンさんはきっぱりとそう言った。




 夜半から、雨が降った。

 雨音によって固く閉じられた教会の夜の闇は、足元から僕を呑みこんでいくようだった。

 雷鳴が轟く、一瞬の雷光に、不気味に笑う白い影を見た気がした。


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