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白い花の歌  作者: タク
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3.薄氷を割る

 ステルラの住人たちが、領主館に詰めかけたのは、翌朝のことだ。

 斧や農具を片手に、彼らは怒号をあげる。

「ヴェルナーさんの処刑を取りやめろ!」

「英雄の孫を殺すな!」

「ダミアの横暴を許すな!」

 門兵たちは押し寄せた住人たちに、慌てて領主館の鉄の門を閉めてしまった。それがまた住人たちの怒りを買った。腐った野菜やら卵やらを投げつけられながら、一人が領主館に駆け込み、礼もおざなりに執務室に飛び込んだ。

 トビーの訪問にただでさえ神経をすり減らしていたウーゴは、これに激しく動揺し、すぐさまダミアを呼びつけた。

 クレイグはため息をついた。実のところ、怒れる住人たちが領主館に押し寄せたのはこれが初めてではなかった。ほんのひと月ほど前にも一度、あった。すなわち、ダミアがリヒャルトの後を継いで総騎士長に任命された時である。

「ヴェルナー=ウルブリヒトの処刑は保留だ!」

 罵声を浴びせられ、物を投げつけられながらやっとのことでダミアが執務室に入るなり、ウーゴは叫んだ。

 ダミアの目に燃え上がるような怒りが露わになる。つかつかとウーゴの座る執務机に詰め寄り、勢いよく両手をついた。執務机の天板が跳ね上がり、置かれていた物たちが微妙に位置を変える。

「何を、ステルラ公……!すでに決まったことだ!()()()()命を下したのだ!それを、あの声に屈して覆すおつもりか!?」

 ダミアは窓の外を勢いよく、繰り返し指さした。

 机の上のペンが、かたりと間の悪い音をたてて倒れた。

 ウーゴは唇をぶるぶると震わせた。断ることなど許さなかったじゃないかという言い訳が、喉につかえて吐きそうだった。しかし、そんなことが言えるはずもない。どういうやりとりがなされたにせよ、決断の責任は負わなければならない。

 それはわかっていても、ヴェルナーの処刑を望んでいるわけでもない彼が、不意に生じた荒波に正しく舵を取れるはずはなかった。

 ウーゴは、口を固く結び、藁にもすがる思いで扉の側に立つクレイグに視線を送る。クレイグは珍しくその視線を受け取ったが、右から左に受け流した。ウーゴが視界が歪みそうになったが、クレイグは静かに口を開く。

「取りやめではない、保留だ。こうなった以上、ヴェルナー=ウルブリヒトが反逆を犯したという確たる証がなければ処刑はできない」

 ダミアは、即座に身を翻し、クレイグを睨みつける。

「確たる証、ですと……?」

「言ったはずだ。簡単ではない、とな」

 腹のあたりから、さらに駆け昇るような怒りをダミアは覚えた。体は熱く、しかし刺すような寒気がした。

 クレイグが、なぜ今更にこんなことを言いだすのか、その理由が彼にはわからない。

 ウーゴに落胆するのと同じように、クレイグが彼に落胆していることを、ダミアは知っている。しかしそれゆえに、マリアの死後もなおステルラに留まりながら、この男はこれまで何もしてはこなかったのだ。

「……ヴェルナーの処刑は内々に処理されるはずだったもの……、それがなぜ住人たちの耳に?」

 憎々しげに、ダミアは言った。 

 ダミアは、決して策略家ではなかった。策略家というには、彼はあまりにも主観的で、短気だった。それゆえに、この発言にも勝算などというものはない。

 クレイグは冷徹に反問する。

「なぜそれを私に問うのだ?」

 凍えたような灰の目が、冷たくダミアを捉えている。

 策略家ではないが、計算の速い彼は、自分の放った一言の失敗をすぐさま悟った。ダミアは唇を噛みしめた。

「この街は、騎士団は、ステルラ公ウーゴ=マラキアメール卿が国王陛下より預かりしもの。分をわきまえることだ」

 唐突に、一切自分に目を向けることなく投げつけられた一言に、ウーゴは情けなく顔をしかめた。 

 ダミアの口元が、わずかに歪む。うつむいた顔に、白髪交じりの黒い、うねった髪が落ちる。その間から、ぬるりと青白く光る、蛇の目がのぞく。

「ここは“騎士の街”ですよ、メルウィル伯……!ここは、もはや――」

 そこまで言って、ダミアは口を噤んだ。

 その後は、クレイグのこともウーゴのことも見なかった。

 ゆらりとマントを翻し、形ばかりの礼をして、執務室を出ていった。

 ――もはや?

 クレイグはダミアが残した言葉を心中で繰り返す。

「……なぜ、こんなことに……」

 ウーゴは小さくつぶやいた。

 そのか細い声に、クレイグはウーゴを一瞥し、ため息をついた。

 内々に済まされるはずだったヴェルナーの処刑を街の住人に知らせたのはクレイグではない。トビーだった。ヴェルナーの処刑を民衆の耳に入れることで、リリーがヴェルナーの処刑を止めようとウーゴに働きかけたことを不可視にしたのである。

 民衆の反対に遭えば、ウーゴはより決定的にヴェルナーの処刑を延期することを考えるであろうし、リリーはヴェルナーをかばったことへの無用な疑いの目を避けることができる。

 つくづく抜け目のない老人である。

「……煎じ薬でも持って参りましょうか」

 机にうずくまるウーゴに、クレイグは冷淡に言う。ウーゴは顔を上げないまま、息も絶え絶えに答えた。

「いいから、民を引かせてくれ……」

「承知いたしました」




 ダミアは、来たときと同様、住人たちから罵声を投げつけられた。

「人殺し!」

「ヴェルナーさんが反逆なんかするわけないじゃないか!」

「あんたなんかより、ヴェルナーが総騎士長になればよかったんだ!」

「ええい、どけ!道を開けろ!」

 口々に叫ぶ住人たちを、ダミアの腹心たちがかきわけて進む。

 ダミアは、憤りを噛み殺しながら馬に跨り、逃げるようにして街中を駆けて騎士館へと帰った。早送りに過ぎ去る街の住人たちの、彼を責め立てる目だけが、視界に飛び込んでくる。

 喉の奥から這いあがるような声で、ダミアは忌々しげにこぼした。

「愚か者ども……、あの悲劇を身を以て味わってなお、まだ栄光を夢見ている……!」

 後ろに続く腹心たちは、ダミアがこぼした一言にお互いの顔を見合わせた。

 騎士館の門をくぐると、馬屋番の見習い騎士がばたばたと駆けてくる。馬を預け、騎士館の玄関に続く石畳の道を進むと、中庭でシンが子どもたちに囲まれていた。

「シン!中に入れるなと言っているだろう!!」

 ダミアの腹心の一人、ザウルが怒鳴る。

 彼は第二分隊の隊長であり、自らをダミアの右腕と自負する男だった。

 子どもたちは、シンの足に張り付いて、批判がましい目でダミアたちを見る。

「だってさ。帰らなきゃ」

「次は?いつ稽古つけてくれる?」

「そのうちそのうち……」

「約束だよ?」

「はいはい」

 ダミアは、不完全な劇を褒めそやす愚かな客を、傍から見るような心地がした。その不自然さに気づくものがいないことも空恐ろしく思われた。

 子どもたちは、ダミアの横をすり抜け、石畳を走って出て行く。門兵と二、三言葉を交わしてから、門をくぐり、一度振り返って大きく手を振り、走り去った。

 シンはひらひらと手を振ってそれを見送ってから、ダミアを見やる。遠くを見るような目をしている。

「処刑は取りやめですか?」

 他人事のように、シンは言う。

「……保留だ」

 ダミアが答える。

「はは」

 乾いた声で、シンは笑った。

「何がおかしい!」

 ザウルが食ってかかる。彼は、シンとはどうもそりが合わない。

「いいえ、らしいな、と思って」

 おそらくこの、のらりくらりとした軽い調子が合わないのだろう。

 ――軽い?

 ダミアは自分の言葉に引っかかった。本当にそうなのだろうか。彼に言う必要もないことを、ダミアは告げた。

「ヴェルナー=ウルブリヒトを拷問にかける」

 シンは、へらりと笑って小首を傾げる。

「何のために?」

「ステルラ公が反逆の証拠を見せろと仰せだ。自白させる」

「無駄でしょう」

「無駄だと!?総騎士長の言うことだぞ!」

「痛めつけてどうこうなる奴じゃないんですよ。知ってるでしょう?」

「貴様……!」

「まあ、別に止めもしないんで、どうぞご勝手に」

 一言ごとに噛みつくザウルをかわすように、シンは背を向けた。

「領主館に行き、暴動を治めてこい」

 シンの背中に向けて、ダミアが言った。シンは、首をわずかに傾けて、目だけでダミアを見た。無機質な目をしていた。

「そうでした。ヴェルナーは、いないんですもんねえ」

 口元を歪めて笑い、シンは言った。

 端的な皮肉に、ザウルは何か言いかけたようだったが、何も言わなかった。振り返ったシンはもう笑っていなかった。一面に緑の広がる中庭を、のろのろと歩いて馬屋に向かう。

 かつては、もっと軽やかに、颯爽と歩く男だった。ダミアはふと、そんなことを思った。


*****


「大変そうでしたねえ」

 騒動がひと段落した午後、僕はクレイグさんに連れられ、ステルラの教会に入った。

 入口から、灰色にまっすぐ伸びる身廊の先に、リナムクロスを掲げる祭壇があった。祭壇の手前、左右に伸びる翼廊の天井に天窓があり、そこから静かに、光が注ぐ。

 クレイグさんは、その天窓の真下あたりを、不自然に避けて歩いた。灰色の床には何の痕も残ってはいない。

 それでも、そこがマリアさんの亡くなった場所なのだとわかる。

 僕もクレイグさんの後に続き、その場所を踏みつけにしないよう、注意を払った。

 夜が明けないうちに、トーマさんはマーンカンパーナに発った。

 残された僕は、しばらくステルラの教会にいることにしたのだ。

 トーマさんは渋い顔をしたが、そもそも神官である僕が、その身分を隠したまま短剣をぶら下げているよりよほどいい。そう言うと、トーマさんは僕の目を間近に捉えて、「無茶はしないように」と一言言った。

「君は処刑の前の祈りのために呼んだ神官、ということになっている。教会は好きに使いたまえ。もしかしたら処刑に反対する住人が来るかもしれないがね」

 クレイグさんの言葉に、僕は苦笑した。

 冒頭の僕の発言が、まるで他人事のようであったことへの皮肉かもしれない。

「神官服も、杖も以前ここにいた神官が置いて行ったものがある。使うといい」

 それはありがたかった。僕の神官服と杖は、マロリーさんに預けたままだ。

 僕は、杖を手に取る。ずっしりと重い杖の先に、祭壇に掲げられたそれより少し小さいリナムクロス。

「……この教会にいた神官はどうしたんですか?」

 問うと、閉め切られた教会の窓の鍵を開けてまわりながら、クレイグさんは答えた。

「ステルラ領のジーネ村で静養されている。三年前からな」

 静養、という言葉が気になったが、三年前から、と言われるならば、それ以上聞く必要もない。ここは、タグヒュームに連なったステルラの悲劇の現場なのだ。

「……そうですか」

「これを」

 クレイグさんは、僕に鍵束を差し出した。僕はそれを受け取る。

「ここでどう過ごすつもりだ?」

「さあ……、状況を見つつ、できることをします。街の人が来るのなら、それもいいです」

「そうか」

 クレイグさんは少しうつむいて、それから踵を返し、来たときと同じようにして去っていく。

「扉は?」

 扉を出るとき、クレイグさんが振り返って聞いた。

「開けたままで」

 僕はほほ笑んで答える。

 クレイグさんは何度か小さく頷き、扉を開けたまま、教会を出て行った。

 一人になって、布が被せられた礼拝者のためのベンチに腰掛ける。

 一人で教会にいるというのは、何だか不思議な気分だった。コルファスの教会には、いつもジェロームがいた。それから、教会に預けられた子どもたち。……マザー。

 祭壇に掲げられたリナムクロスが目に映る。中心に埋め込まれた神輝石が、わずかな光を集めて金色に揺らめく。

 神の御光を宿す石。この石が放つ光は、沈むような静寂の空間を作り出し、閉じ込める。

 旅に出てから、どれくらいだろう。

 まだそんなに長い時間が経ったわけはないのに、コルファスの日々は、もう遠くに感じられる。

 静かで、寂しい、僕の育った街。

 僕はずっと、マザーのために生きてきた。

 息をして、食事をして、教会の仕事をして、眠って、目覚めて、また同じ繰り返し。そして、コルファスを離れない。それがマザーの望むことだった。それ以上に、できることを見つけられはしなかった。

 だからこそ、コルファスは静かで、寂しい街だったのかもしれない。

 左右に首を振った。マザーが今どうしているのか、考えないようにしていた。

 僕は今、一人で、かつての静けさの中にいても、寂しくない。

 リリーの顔が見たい。

 ヴェルナーさんとまた話したい。

 トーマさんともう一度会ったら、二人はどんな顔をするだろう?

 そのときに、トーマさんがどんな顔をするのかも見てみたい。

 幸福な期待に、自然と顔がほころんだ。

 でも、僕にできることは何だろう?

 ベンチから立ち上がり、祭壇のリナムクロスに触れる。それをゆっくりと指でなぞり、中心に据えられた神輝石に触れる。

 僕は目を閉じる。心臓のあたりが、じくじくと軋む。長い間、抱えてきた痛みだ。いつからだったのかは、正確には覚えていない。

 僕は目を開ける。

 神輝石から指を放す。

 それはもう、化石のように沈黙していた。

 ふと、背後から小さな物音がした。

 振り返ると、子どもたちが数人、扉からこちらを覗いていた。

「……街の子かな?」

 出来る限り優しくほほ笑んで問うと、子どもたちは顔を見合わせ、その中から一番年長らしい男の子が進み出て来た。

「母ちゃんが、持っていけって」

 そう言って、彼は布をかぶせられた籠を差し出す。

 僕は少年の元に歩み寄り、目線を合わせてしゃがむ。

「何かな?見ていい?」

「うん」

 少年は窺うように上目使いで僕を見て、こくりと頷いた。

 布をめくって覗き込むと、いい香りが漂ってくる。中には、まだ温かい焼き菓子が入っていた。

「おお……!見た?」

「……入れるとこ、見てた」

「これ、好き?」

「……大好物」

 少年は、唇を尖らせてぼそりとつぶやいた。僕は笑って、彼の小さな頭を撫でた。

「一緒に食べる?」

 彼の肩越しに、まだ扉の影に八割ほど潜んでいる子供たちに尋ねる。

 子どもたちは、僕の顔と仲間の顔を交互に見て、恥ずかしそうに笑って頷いた。

「じゃあ食べよう!おいで」

 僕が促すと、子どもたちはもう一度顔を見合わせ、新しい遊び場へ駆け込んだ。


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