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白い花の歌  作者: タク
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8.The humanrace is governed by its imagination.

 ルドビルを出て六日目の夜、リリーはベジェトコルの西、湖畔の街スタウィアノクトに到着した。街は、月明かりの下、静かな眠りに包まれている。

 街の中心に、湖に囲まれ、青銀の光に包まれてスタウィアノクト城が佇む。夜の闇にこそ映える、美しい城だった。

 この城は、かつて時の王によってこの地に保護された暗夜の騎士団が建てたものだといわれていた。王に捧げられた城であり、その血を引く者がこの城の前に立つときのみ、城門は開かれる。そんな伝承があった。西方の地には、そうした暗夜の騎士団にまつわる伝承がいくつもある。

 馬車は城門をくぐり、城の前に到着する。

「ご無事で何よりにございます」

 トビーが彼女を出迎え、言った。その手を取り、リリーは馬車を降りる。

「では私はこれで」

 首を傾けながら、グリゼルダの副官が言う。くせ毛がひょこりと揺れる。

「もうすっかり夜も更けたぞ。大丈夫なのか?」

「夜目がききますから」

 リリーの問いに、今度は反対に首を傾げ、事もなげに答えて、来た道を戻っていく。主人が変わり者なら、副官もまた然りである。

「変わりないか?」

 リリーはトビーに向けて問う。

「招いていない客が入り込んでいるようですが……、問題はございません」

「ふん、ウェクシルム公の雇われ者だろう」

「そのようで」

 リリーは、身分を忍ぶための粗末な服を脱ぎ、スタウィアノクト城の城主にふさわしい服に着替え、執務室に入った。窓から、大きな月が覗いている。

 リリーがグリゼルダの副官とともに帰ってきたことにも、トーマはおろか、ヴェルナーやジウがいないことにも、トビーは特に驚く様子はない。ルドビルでの顛末を誰かから聞いているのであろう。「誰か」と言っても、この手回しのよさに思い浮かぶのは一人だけだ。

(グリゼルダめ)

 リリーは小さく息を吐く。

「それで、何かつかめたか?」

「はい」

 トビーは両手で巻物を差し出した。

「件のリストか」

「はい。これは写しですが、少々妙な点が」

 執務机にリストを広げる。そこに綴られた名前を一つ一つ辿り、最後の一人に行きついた。リストに目線を落としたまま、リリーはつぶやいた。

「……トーマの名がない……」

「はい」

 厳しい顔で、トビーは言う。

「このリストは、タグヒュームの後、親衛隊、国衛軍、王国騎士団を辞めた者の中で、ローク様と関わりが深い者、という基準で作られたのだそうです。マーンカンパーナか、あるいはウェクシルムにいたことがある者たちですね。トーマ殿は、王国騎士団にいた頃はともかく、親衛隊にいたことでその名が挙がったそうなのですが……」

「ああ。兄上との関わりははっきりしないが、タグヒュームで全てを目の当たりにした数少ない内の一人……」

「ですが、国王陛下が却下されたのだそうです」

「何?」

 リリーは目を見開き、顔を上げる。

「理由は?」

「わかりません。理由は仰らなかったそうです」

 ルドビルでの父の言葉を思い起こす。

 ――関わりのないことだからだ。

 トーマの名がリストにないのであれば、確かにそこに、リリーが関わる理由はない。

 だが、トーマの名がリストにないとすれば、また別の疑問が浮かぶ。

「ヴェルナーはこれにトーマの名があると言った……」

「ええ」

「……嘘をついていたと思うか?」

「あれが嘘だとすると、大層な曲者ですな」

「……まったくだ」

 リリーは表情を険しくする。ヴェルナーが嘘をついていないとすれば、ヴェルナーが見たリストには確かにトーマの名があったのだ。そう言葉にして思った瞬間、全身が粟立った。

 リストは書きかえられたのだ。王国議会の命、王命に等しいそれが。

 誰が、何のために?

 グリゼルダの言葉を思い出す。

 ――トーマではない、ヴェルナー=ウルブリヒト……。

「ヴェルナーを陥れるため……?」

「ヴェルナー殿は、王命違背の罪で捕まったそうです」

「ああ……」

 リリーは、両手で顔を覆った。

「何が起こっている……?」

 その時、廊下から大きな声が響いてきた。

「姫様!姫様!帰ってんのかい!?」

 声の主は、答えを聞くよりも早く、執務室の扉を豪快に開けた。

「アナ殿……、ノックを」

「何だい。お城が明るいから、姫様が帰ってきたんだと思ってさ!」

 トビーの言葉を遮り、「アナ」と呼ばれたふくよかな女性は、銀の水差しを掲げた。ずかずかと執務室の中に入り、エプロンのポケットから杯を取り出し、それをエプロンの裾でごしごしと拭いて、執務机の上に置く。

 彼女は、スタウィアノクトの住人である。トビーは小さくため息をついた。

「サンザシの酒だよ。いい仕上がりさ」

 水差しから、ほんのり赤味がかった琥珀色の酒が注がれる。スタウィアノクトの西北、おぼろ山に住む薬師たちに教わった薬酒である。

「さ、飲んでみなよ」

 アナが差しだした杯を受けとり、口元に近づけると、甘い香りが漂う。リリーは香りをしばらく楽しんでから、一気に飲み干した。

「……いい味だな」

「そうだろ?まったくこれでまたもうろくじじいどもが元気になっちまう」

「そうでなくては」

 リリーはにんまりと笑う。熟成された酒は、リリーの体をじんわりと温めてくれた。

「やれやれ、頭がすっきりしてきた」

 小さくこぼすと、リリーはアナに空の杯をぐいと差し出す。アナはにかっと笑って、再び水差しから酒を注いだ。

「まずは、そうだな。招かれざる客にはご退場願おう」

 なみなみとつがれた酒を揺らしながら、リリーは言う。

「ああ、あの行商かい?迷惑してんだよ、じじいどもに怪しげなもんを売りつけようとしてさ、いらないって言ったら、じゃあ話を聞かせてくれとさ」

「話、ですか」

 トビーが聞き返す。

 アナは、まるでその行商が目の前にいるかのように、これ以上ないほどのしかめ顔をした。

「ここらの情報でも売りもんになるって言ってね。こっちは畑で忙しいってのにしつこいったらないんだよ」

「……情報ね」

 杯に口をつけ、香りを味わいながらリリーは笑う。

「何だい?悪い顔してるよ、姫様」

「いいじゃないか、聞かせてやろう」

「は?」

「ルドビルを知っているね、アナ」

「んん?ああ、ホセじいさんが昔住んでた螺旋山の洞窟街だろ?でもゴロツキが集まり始めたせいで、螺旋山から追い出されたって、じいさんがぼやいてた……」

「そう、ホセだ。おしゃべり好きのあのじい様に伝えてやれ。螺旋山のゴロツキどもは、ステルラ王国騎士団が片付けてくれるそうだよ」

 アナは首を傾げる。

「それだけ?」

「それだけ、さ。羽虫をはらうに大胆な策などいらん」

 そう告げると、リリーは残りの酒を飲み干し、杯を勢いよく執務机に置いた。

「ふうん……。ま、いいさ!あんたの言うことだからね」

 悪戯を仕掛ける子どものように笑うリリーに、アナは両手を腰にあてて、大きく頷いた。

「じゃあ、あたしは帰るよ。ほっとくとボケ老人どもが深夜徘徊するからね!」

「月光浴なのだよ」

「はは、まったく!今夜はいいお月さんだ!」

 この街の住人は、月が好きだ。窓の向こうの大きな月は、混沌の闇を沈める静寂だ。その光を背中に感じながら、リリーは穏やかにほほ笑む。

「……おやすみ」

「ああ、おやすみ!」

 手を振って、アナは執務室を出て行った。扉を全開に開けたままで。その扉を、トビーが静かに閉める。

 スタウィアノクトの住人たちは皆、おおらかでひたむきだ。

 十五の年に領主となり、右も左もわからなかったリリーが失敗するたび、彼らは容赦なくリリーを叱りつけ、そして励ました。その日々は、リリーと彼らとの間に、揺るぎない信頼を作りだした。

 リリーはゆっくりと、執務机の後ろの窓の側に立った。青銀に仄かに照らされるスタウィアノクトの街を見下ろしながら、リリーは問う。

「畏れを知らぬ者がいる……。誰だと思う?」

「はて……、ステルラ公のしたこととは思えませんな」

 トビーは落ち着いた声で言う。

 王命の改竄、である。その大罪は、おどおどと背を丸めるステルラ公、ウーゴ=マラキアメールの姿には重ならない。ヴェルナーに偽りの王命を伝えた者。そんなことが出来る者は、そう多くはない。ウーゴでないとすれば。

「ダミア=ガルシアか……?」

 しかし、意図がわからない。

 グリゼルダの言うことから察すれば、目的はヴェルナーに王命違背の罪を着せることだ。しかし、リヒャルトが亡くなった今、その面影を強く残すヴェルナーの存在は、ステルラにとっては大きいはずだ。

「もう一手、必要なようだが……」

 リリーは、トビーを見つめて言った。

「まずは、巣穴をつついてみるか」

 トビーはにっこりとほほ笑んで、「そのように」と応じた。


*****


「ヴェルナー=ウルブリヒトを処刑する……?」

 領主館の執務室で、ステルラ公、ウーゴ=マラキアメールはどもりながら言った。

 眼前には、騎士団の総騎士長であるダミア=ガルシアがいる。

「左様」

 いかにも武人然としたその調子に、ウーゴは苦虫をかみつぶしたような気になった。

 ダミアに限ったことではない。リヒャルトも、その他の騎士団の者たちも、ウーゴからすれば皆等しく、心臓を押さえつけるような威圧感を放っていた。

 剣術より読書を好み、太陽の下で走り込むより木陰を散歩するのが好きなウーゴは、一体なぜ自分がここにいるのかと常々思っていた。

 リヒャルトが亡くなり、「しっかりしないか」と、内臓が飛び出そうな力で背中を叩かれることはなくなったが、ダミアはダミアで、腫れぼったいまぶたの下で、蛇のように光る目が恐ろしい。

「し、かし、王命に従わなかったのは確かに重罪だが、彼はリヒャルトの孫であって……、追放ぐらいに止めておいた方が……」

 まごまごとしたウーゴの反論を、ダミアは鼻で嗤った。

「リヒャルトの孫だからこそ、でしょう」

「……孫、だから、とは……」

 ダミアは強い口調で言う。

「あれが何ゆえ王命に従わなかったのかが問題です。ステルラを出たその足で、反逆者の潜むルドビルに向かっている。それはつまり、反逆の一端を担っているから、なのでは?」

 ウーゴは小ぶりの丸い目を大きく見開く。

「君は、ヴェルナー=ウルブリヒトが反逆軍の、一員だと言っているのか?」

「その可能性が高いかと。ルドビルにはランク=キルヒが潜んでいるという情報があります。その他にもリストに名のある者がいるかもしれない。危険を知らせに行ったのでしょう」

「し、しかし、確証はないのだろう?それで処刑とは……」

 ウーゴは、伏し目がちに顔をそむけ、ダミアの顔を見ないようにして言う。その様子に、ダミアは忌々しげに眉を寄せた。

「ステルラ公!」

 ダミアの声に、ウーゴの心臓は飛び上がり、そのまま止まりそうになる。

「……ダミア=ガルシア」

 ダミアの背中から、低く、冷たい声がする。

 ウーゴの副官、クレイグ=メルウィルである。彼は、かつてはマリアの副官であり、彼女の死後も、ステルラに留まっていた。

「ステルラ公は、ヴェルナー=ウルブリヒトに対する民衆の評価を気にしておいでなのだ。それでなくとも不安定な情勢で、民衆はカリスマを求めている。英雄の孫の首を、そう簡単に落とすわけにいかない」

 ダミアは、クレイグを睨みつけた。クレイグは、ダミアを見ているのかいないのか、視線には応じない。

「カリスマを求めているのは民衆だけではないでしょう」

 クレイグはぴくりとも反応しない。ダミアは心中で歯噛みしながら、クレイグからウーゴへと視線を移す。目が合うと、ウーゴはびくりと体を揺らした。

「ローク様という旗印を失い、反逆軍の方こそ、新たなカリスマを求めている。ステルラ公、ヴェルナー=ウルブリヒトは火種なのですよ」

「火種……?」

「反逆の炎で、この国を燃やすおつもりか。火種は、放置すれば瞬く間に燃え広がる……!」

 ウーゴの背に、ぞっと寒気が走った。

 脳裏に、かつて東の空を覆った赤い炎が浮かぶ。ウーゴは俯き、体の震えを慰めるように左腕をさする。

 その姿を、蔑みを含んだ目でダミアは見下ろす。

「ステルラ公!」

「……っ」

 ウーゴは目を固くつぶり、頭を抱えた。

「ああ、ああ、もうやめてくれ。わかった。君の言う通りだ。ただし内々に処理してくれ。街の人々を不安にはさせたくないんだ」

 叫ぶようにウーゴが言うと、ダミアは無言のまま一礼して踵を返し、執務室を出た。

 階段を降りると、年老いた掃除夫と目が合った。掃除夫は、腰を丸めて小さく会釈し、廊下の奥に消えて行った。

 彼は思う。もしもマリアがいれば、リヒャルトがいれば、こんなことにはならなかっただろうと。

 タグヒュームの悲劇より前、ダミアの言葉を聞く者などいなかった。彼の姿を見る者はなかった。……ただ一人を除いては。

 領主館を出ると、空は灰色に覆われている。ダミアは天を見上げてつぶやいた。

「英雄を夢見る時代は終わったのだ……。無力じゃないか、リヒャルト――」

 顔中に、歪な笑みがぼやけて浮かぶ。

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