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白い花の歌  作者: タク
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5.急変

 朝、目を覚ますと、すでに異変は起こっていた。

「あれ?」

 僕は部屋を見渡した。朝の冷涼な空気に包まれ、木の雨戸の隙間から、おぼろげな光がもれる。囲炉裏の火は消え、黒くなった薪が白い灰にまみれていた。

 僕は体を起こし、空のベッドを確かめる。ベッドは、昨夜そこにいた人の体温を残してはいない。

 リリーがいないのだ。ベッドの脇にまとめて置いていた荷物からは、彼女のものだけがなくなっていた。

 おかしなことはもう一つある。寝る前は、僕の向かいにいたはずのヴェルナーさんが、移動して扉に寄りかかって寝ている。

 扉の番をしていたのだろうかとも思うが、それにしてもおかしな恰好だ。物置の置物が布を被るように頭から毛織を被り、あぐらを崩したような足が出ている。

「ヴェルナーさん、起きてください」

 声をかけて、ヴェルナーさんの肩に触れようとした。

「うあっ!」

 妙なかけ声と共に、彼は被っていた毛織をはぎ取り、飛び起きた。勢い余って床に手をつき、四つん這いになる。僕は思わず後ろにひっくり返る。

「ど、どうしました?」

 問うと、ヴェルナーさんは、肩で息をしながら、悪夢から覚めきれないような様子で僕を見た。

「夢、見た」

「夢?」

 僕は聞き返す。

 ヴェルナーさんは、片手で顔を拭う。

「な、謎の覆面集団に襲われる夢」

「謎の?」

「そんでお姫さんが――」

 そこまで言って、ヴェルナーさんはリリーが寝ていたはずのベッドに目をやった。そこに彼女はいない。彼は青ざめる。

「お姫さんは!?」

「いないんです。荷物もなくて」

「いなっ……」

 ヴェルナーさんは、一瞬茫然としたが、即座に立ち上がり、足にからみつく毛織を蹴飛ばしながらベッドにしがみつく。冷たくなっていることを確認すると、大きく見開いた目で僕を見上げる。

「いつから?」

「僕もさっき起きたばかりで」

 ヴェルナーさんは、シーツを握りしめる。

「夢じゃねえ……?」

「謎の覆面集団ですか?」

「に、連れ去られる夢だったんだよ!お姫さんが!」

「え」

 ヴェルナーさんは一瞬視線を床に落とし、すぐに窓に向かった。そして雨戸を勢いよく開けて外を見た。

 しかし、すぐに身を引き、そっと雨戸を閉めた。

「ヴェルナーさん?」

「……まずった……」

「何ですか?」

 問いかけた僕の顔を、ヴェルナーさんはじっと見つめる。何事か考えているようだった。

「ジウ、荷物まとめろ、すぐに。そんでこの下に入れ」

 ヴェルナーさんはベッドの下を指す。

「は?」

「いいから!」

 切羽詰まった様子に、とにかく慌てて荷物をまとめた。

 すると、どたどたと複数の足音が駆けてくる。足音は部屋の扉の前で止まり、すぐさま、扉が激しく叩かれた。

「ステルラ王国騎士団だ!ここを開けろ!」

 ――ステルラ王国騎士団?

 僕はヴェルナーさんの顔を見た。彼は眉をひそめ、顔を険しくしている。

「もしかして、トーマさんを――」

 問いかけた瞬間、彼らは意外な人物の名前を呼んだ。

「ヴェルナー=ウルブリヒト!王命違背の罪で捕まえる!出て来い!」

 僕は目を見張る。

「どっ……!?」

 ヴェルナーさんは、両手を上げてふっと笑った。

「悪い。撒いてきたつもりだった」

「ど、どういう……!?」

「いいから声をたてるな。ベッドの下に隠れるんだよ。荷物ごとな」

 ヴェルナーさんは、僕の背中を押す。何が起きているのかわからず、僕はされるがまま、ベッドの下に押し込まれた。ヴェルナーさんは、ベッドの下を覗き込むようにして言う。

「いいか?あいつらの目的は俺だ。誰もいなくなったら昨日の教会に行って、トーマに事情を話せ」

「説明してください、ヴェルナーさん!」

「時間がねえんだよ。あいつらがいなくなるまで絶対に出てくるんじゃないぞ」

「ヴェルナーさん!」

 僕は叫ぶように彼を呼んだ。ヴェルナーさんは顔を緩め、困ったようにほほ笑んだ。

 扉を破ろうとする音が聞こえる。

「ヴェルナーさん!」

「お姫さんのこと、頼むな。トーマは絶対、ぎりぎりのとこで人を見捨てたりしない。あいつが絶対助けてくれる」

「ヴェルナーさ……」

「頼む」

 彼の目は、まっすぐに澄んでいた。彼自身をそのまま映し出したような目だ。

 ヴェルナーさんは立ち上がる。姿が見えなくなる。咄嗟に手を伸ばす。次の瞬間、扉が破られ、足音と怒声が近くなった。

「ヴェルナー=ウルブリヒト!」

「は!捕まえてみろ!」

 ヴェルナーさんはそう言って、雨戸を開けた。僕はベッドの下を這って、彼の背中を見付けた。青とオレンジが混ざり合う朝焼けの中に、背中は消えた。

「追え!」

 どたどたと、足音は出て行く。宿の主人のがなり声と共に、足音は遠ざかっていった。

 すっかり人の気配がなくなって、僕はやっと息ができた。ゼイゼイと肩で息をしながら、ベッドの下から這い出る。

 部屋は無人だ。壊れた扉がキイキイと鳴っている。

 何を考えている暇もない。ベッドの下に残したままだった荷物を引っつかみ、部屋を飛び出た。

 宿を出て、辺りを見回す。少し離れた先で笛の音と怒号が聞こえる。

 明け方の町に、人はまばらだった。捕り物劇を目撃したらしいわずかな人々が、道に出て様子を窺っている。その内の一人の腕を、僕はつかむ。

「教会はどっちですか!?」

「あ?何だてめ」

「教えてください!どっちに行けばいいですか!」

 男は怪訝な顔でじろじろと僕を見たが、やがて道を指して教えてくれた。お礼を言う余裕もなく、僕は駆け出した。


*****


「街が封鎖される?」

 男に、トーマは聞き返した。いつも仕事を仲介してくれる男で、他人を道端の馬糞程度にしか思っていないルドビルの住人には珍しく、面倒見のいい男だった。

「そうよ。朝早くからステルラの連中がドカドカやって来てよ。誰かを捕まえに来たらしいんだが、そいつを捕まえて終わりかと思いきや、反逆者がいるかもしれねえから調査するとよ。鬱陶しいったらねえや。そういうわけで俺はしばらく裏通りにいるから、用があったらそっちに来い。じゃあな。」

 男は、そう言って去った。

 ルドビルには、住人の中でも一部の者しか知らない洞窟街がある。洞窟の岩肌をくり抜いて作られた「裏通り」だ。

 面倒事を平気で引き起こす割に、面倒事を持ち込まれるのを嫌うルドビルの住人達は、ステルラとウェクシルムに挟まれたこの土地で、身を潜める場所をいくつも持っている。

 ――封鎖だと?

 トーマは、胸の内がざわめくのを感じる。

 この町に反逆者がいると言われても、彼は特に驚かない。ルドビルはそういう街だ。ここに住むのは、型破りを信条とするだけの無頼漢だけではない。秩序に組み込まれることを嫌うがゆえにこの町に住む者もあれば、秩序を破ったがためにここ以外に居場所がないという者もいるのである。

 然るに、トーマの胸をざわめかせたのは、そのことではない。

 彼の頭には、リリーのことが浮かんでいた。絶対的継君であった彼女の兄は捕まり、次なる王位継承者には、二人の名前が挙がっている。リリーと、国王と現王妃の間に生まれた王子である。

 リリー自身がどう考えているかは知らないが、彼女の足を掬おうとする者はいる。反逆者が潜む町にいたとなれば、彼女の立場は危うくなる。

「……それでか……」

 トーマは、ぽつりとつぶやいた。昨夜の突然の来訪者は、おそらくこのことを見越していたのだろう。

 トーマは、家の中に戻り、ベンチに横になる。

 ――俺には関係のないことだ。

 もう少し眠って、いつも通り教会に行く。それだけの毎日だ。

 そして、目を閉じた。


*****


 リリーは馬車の前に立っていた。ルドビルを一望する小高い丘の上だ。

 馬車の扉の前には、黒髪の青年が立っている。その隣にもう一台馬車があり、そこには散らかった髪の、彼の副官が立っていた。

「グリゼルダ……」

 リリーは、グリゼルダを睨みつける。

 彼はその目線を受け流し、薄笑いを浮かべて馬車の中を目で指した。グリゼルダが余計な口をきかない時、それがどんな時か彼女はよくわかっていた。

「入れ」

 馬車の扉の前に立つと、中からくぐもった声が聞こえる。その声は、いつもより低く感じられた。

 グリゼルダが扉を開ける。馬車の中は暗い。リリーは目を伏せ、馬車に乗り込む。扉が静かに閉まる。

 張りつめたような空気の中で、リリーはその人の向かいに座り、顔を伏せる。

「……国王陛下」

 彼女は、自らの父を呼んだ。反応は返ってこない。

 グリゼルダが余計な口をきかない時、それはつまり、主君たるウォルド=ウェルグローリアの機嫌が著しく悪いときだった。

「なぜ、こんなところにいた?」

 ウォルドは、静かに言った。怒りを孕んだその声は、リリーの心臓を縛り付ける。

「トーマ=ウルストンクラフトを、連れ出すつもりでおりました」

 驚く様子はない。それは、予想しうる答えだったのだろう。薄闇の中で、彼女と同じ青碧の瞳が彼女を見下ろす。

「ルドビルにはランク=キルヒが潜んでいる」

 リリーは目を見開いた。

 ランク=キルヒの名は、リリーも知っていた。ロークがウェクシルムの領主だった頃の腹心中の腹心で、タグヒュームの悲劇の後、ロークがウェクシルムを去るのと時を同じくしてウェクシルム王国騎士団を去った。

 王国議会のリストを見ないまでも、ロークに心酔していた彼が、反逆者として疑われていることは明白だった。

 ――甘かった。

 リリーは歯噛みした。自分が危ない橋を渡ろうとしていることは理解しているつもりだった。ただ、ルドビルは確かに無法の町だが、無法の町であるがゆえに目を付けられている場所でもあった。そんな場所に、ランクが潜んでいるとは考えなかったのである。

「お前には私が預けた領地がある」

「は」

「スタウィアノクトに帰り、任を全うせよ」

 リリーは顔を歪める。

 ルドビルにはジウとヴェルナーが残されている。こうして強引に彼女が連れ出されたということは、ルドビルで何かが起こるのだ。

「陛下」

「聞かぬ」

「陛下!」

「リリー=ウェルグローリア!」

 雷のように落とされる声に、リリーは思わず目を伏せた。

「この私を何一つ裏切るつもりがないのなら従え!」

 リリーは唇を噛む。

 何一つ――、父が彼女にかける思いの一つたりとも。

 酌量の余地はない。命令に従う他はない。

 裏切りという言葉に潜む傷を、おそらくはまだ、生々しく血を流し続けている傷を、リリーは知っている。拳を固く握りしめ、言うしかなかった。

「承知、仕りました」

 そう告げると、馬車の扉が開いた。差し込む光に照らされたウォルドの横顔は、この数か月で、随分と老いたように見えた。

 背を向け、馬車の階段を降りる。グリゼルダが含み笑いを浮かべたまま、リリーに手を差し出した。

「……一つ、尋ねても?」

 リリーは、背中を向けたまま父に問う。

「……何だ」

「なぜリストのことを、私に黙っていたのです」

 背後で、衣擦れの音が聞こえる。しばらくの沈黙ののち、ウォルドは答えた。

「関わりのないことだからだ」

 リリーは眉を寄せる。

 ――関わりが、ない?

 馬車の階段がきしむ。リリーは差し出されたグリゼルダの手を無視して、馬車を降りた。グリゼルダは肩をすくめ、馬車の扉を閉めた。

 丘の上に吹く風が、頬を撫ぜる。

 ウォルドを乗せた馬車は去って行った。

 リリーは一つ、深呼吸をしてから、グリゼルダを睨みつけた。

「尾けていたのだな」

 そう言うと、グリゼルダはにやりと笑った。

「御身を思うあまり」

 リリーは、眉間に深い皺を刻む。

 昨夜、気配なく現れ、一瞬のうちにヴェルナーを気絶させリリーを連れ出したのは、彼の私兵団シンハ・ギリだった。彼女を尾行したのも彼らである。それを撒くことは、彼女の副官を撒くのと同じほどに厄介だった。仕える相手がグリゼルダであることを加えれば、それ以上だ。

 しかし文句を言うわけにもいかない。ルドビルで大事に巻き込まれれば、厄介な事態を招くことになっただろう。そうすれば、彼女には何も出来ない。助けられたことは確かなのだ。

「……ルドビルで何が起こる?」

 丘の頂から、ルドビルの町を見下ろす。グリゼルダは腕を組み、含み笑いを浮かべている。

「町は封鎖されたよ。ステルラ王国騎士団によってね」

「封鎖だと?ステルラ王国騎士団が?」

 リリーは怪訝な顔をした。ウェクシルムの領地との境にあるこの場所を封鎖するなど、そこまでのことをステルラの領主であるウーゴが決断できるとは思わなかった。

「いいことを教えてあげようか」

 いつの間にか、すぐ側に立っていたグリゼルダが言った。

 リリーは彼を見上げる。風が、黒い髪を揺らす。

「何だ」

 リリーが問うと、グリゼルダはそっと、彼女の耳元に顔を近づけ、囁いた。

「トーマ=ウルストンクラフトじゃあない……」

 リリーは間近に、グリゼルダの目を見つめる。口元はいつも薄く笑っているが、この漆黒の瞳が笑うところを見たことはなかった。グリゼルダは続ける。

「ヴェルナー=ウルブリヒト、さ」

 リリーは目を見開く。

「ヴェルナー……?」

 リリーが繰り返すと、グリゼルダはまた、妖しく笑んだ。これ以上話すつもりはないらしい。リリーに背を向け、さくさくと草を踏み丘を降りて行く。

 つと、ウォルドの言葉が頭をかすめる。

 ――関わりのないことだからだ……。

 しかしウォルドは、リリーがこの町にやってきた目的を察しているようだった。それはリリーが、トーマのことを「関わりのないこと」とはできないことを察していた、ということだ。

 リリーは再び、ルドビルの町を見下ろす。帰れと言われたからにはスタウィアノクトに帰るしかない。

 苦々しい思いがこみ上げる。

 目を伏せ、残されたもう一台の馬車へ向かう。くせ毛をひよひよと風になびかせながら、グリゼルダの副官が扉を開ける。

 リリーは馬車に乗り込んだ。

 スタウィアノクト――、そこは彼女の基盤だった。

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