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白い花の歌  作者: タク
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1.狼の町

 僕たちは、ステルラを発つ。

 馬車の中で何日か夜を過ごし、橋を渡った先の農村で降りた。一面に、青々としたライ麦畑が広がっている。畑に囲まれるようにして、藁葺屋根の少し歪な形をした家々が集まって建っていた。

 リリーとマロリーさんの姿を見つけて、甕に水を入れていた少年が、ぶんぶんと大きく手を振った。

 ステルラへ向かう途中、この少年に馬を預けたのだそうだ。

 少年の家で服を借りて、聖都コルファスや宗教国家コンルーメンを除いては、どこにいても目立つ神官服を着替えた。少年は僕の神官服を手に取って、襟や袖の小さな細工に夢中になっている。

「そんな恰好で町に入ったら、数分で身ぐるみをはがされようからなあ」

 リリーがにやにやと笑って言った。

 螺旋山の麓に、ベジェトコルの地図にはない、ルドビルと呼ばれる傭兵の町がある。

 無頼の者たちが集まる町である。トーマさんはそこにいるのだそうだ。

 僕の神官服は、杖や耳飾りと一緒にマロリーさんが預かってくれる。マロリーさんは、この後スタウィアノクトへ帰るのだ。

 手に入れた宝物を取り上げられたような顔をする少年に、リリーが「代わりにやろう」と、綺麗な水色の石がついた耳飾りを渡した。彼は頬を紅色に染めて喜び、母親のもとに走って行った。

「いいの?」

「何、宿代のようなものだ」

 リリーは言う。すでに日は傾きつつある。今日はここに泊まるのだ。

 僕も何かあげることができればいいのだが、何も持っていない。神官服は教会(エスカエルム)の規定で神官以外に譲渡することはできず、リナムクロスを象った杖や耳飾りには、神輝石が埋め込まれている。神官の持つ神輝石は、神の授かりものであり、やはり譲渡は禁じられていた。

 さて、そこで僕は、マロリーさんの黒いマントの下を初めて見た。どこの武器商人かと思うほどの武器が、マントの内側にびっしりとぶら下がっていた。相当な重さだと思うのだが、一体この小柄な老人のどこに、そんな筋肉が隠されているのだろう。

「いくつか扱いやすいものをお貸ししましょう」

「扱いやすくても扱えないと思うのですが」

 僕は即答する。すると、リリーが言った。

「安心しろ。そういう事態が万が一起こったとしても、君が武器を手に取るより私が相手を叩きのめす方が早い」

 それはそうだ。僕は素直に納得する。

「姫様」

 しかし、マロリーさんにとっては聞き逃せない問題発言だ。たしなめるようなマロリーさんの目線に、リリーは降参という顔で両手を上げた。

「万が一、だ。無茶はしない」

 失言の追及を避けるように目を閉じたリリーに、僕はついほほ笑んでしまう。

 ヴェルナーさんは、休暇の手続きのため、まだここにはいない。リリーは、くれぐれもリストのことには触れるなとヴェルナーさんに言い含めた。

 ヴェルナーさんの言い分は、つまるところ、王命には従えないということだからだ。

「ルドビルで武器を持たない者は目につきやすいのです。身を守るためと思って、持っておいてくださいませ」

 マロリーさんは僕を気遣ってくれたようだった。

 教会(エスカエルム)は、神話の教えに背く者、神を冒涜する者には容赦なく罰という名の鉄槌をくだすが、暴力は決して認めない。

 ジェロームは言う。

 ――罰と暴力の境はどこだ?

 僕は答えられない。

 僕はまだ、暴力と呼ばれるものをどう理解していいのか、整理がついていない。暴力に至る、その大本の感情が、許されざると、その一言に収まるのか――、それが、僕にはわからない。

 何にせよ、持っていても扱えはしない。持っていることが自衛になるならまあいいかと、少し大きめの短剣を受け取り、ベルトの背に通した。意外と重たいものだ。

 少年が、豆を入れた籠を持って戻ってきた。きょろきょろと僕たちの顔を一つ一つ見回して、リリーの側に座り、慣れた手つきで鞘から豆を抜いていく。

「日が暮れる」

 リリーがつぶやいた。

 その晩、僕は、リリーが知るタグヒュームの悲劇を聞いた。




「ほれ」

 リリーが僕に投げてよこしたそれは、指輪だった。彼女の髪と同じ色をしたプラチナの指輪だ。囲炉裏の火に照らされて、オレンジ色に光る。

「これは?」

「叔母上の亡骸から、私が見つけて隠しておいたものだ」

 リリーはさらりと言ったが、僕は目元がひきつるのを感じた。マリアさんの遺体は、前から一箇所、背中から十数箇所を刺され、ひどい有様だったという。

 大好きだと言っていた叔母さんの、目を覆いたくなるような冷たい体から、指輪を拾い上げたリリーの気持ちを想像する。胸がかきむしられるようだった。

「それはな、私がトーマにあげたものなのだ」

 リリーの言葉に、僕は指輪を見ていた目をリリーに向ける。

 彼女がスタウィアノクトの領主になる前、王城で暮らしていた頃、側には常に親衛隊(ジェネスペルビア)の兵がいた。

「お転婆が過ぎましたのでね」

 マロリーさんが目を細めて笑う。きっと手を焼いたのだろう。国衛軍の制服を拝借して荷車で寝ているようなお姫様だ。想像に難くない。

「いろいろと、見たいものや行きたい場所があるというのに、窮屈でな……」

 リリーは口をへの字に曲げてぼそぼそと言った。マロリーさんは「ほっほ」と笑う。

「トーマはな、他の兵と比べて実に手強かった。どこに隠れようがすぐに見つかるのだ。まったく厄介な相手だった」

「何を仰います、楽しんでらしたでしょう」

 にんまりと、リリーは笑う。

 少年の母親が、温かい蜂蜜酒を持ってきてくれた。夕食の後、彼らは僕たちのために家を空けてくれた。蜂蜜酒を渡すと、母親はお辞儀をして出て行った。隣の家に泊まるのだという。なんだか申し訳ない。

 僕たちは、しばらく無言で蜂蜜酒を味わった。琥珀色から、蜂蜜の甘い香りが漂う。懐かしい香りだ。ずっと昔、寒い夜にはジェロームが温かいミルクに蜂蜜を入れて飲ませてくれた。

 囲炉裏の炎が、ぱちぱちと音を立てて、火の粉を舞わせる。

 ――炎。

 僕には、想像できない。ネムスの森を焼いたという、その炎を。

 想像できる、ものではない。

 リリーが、静かな声で話し始めた。

「驚いたよ。なぜ、それを叔母上が持っておられるのかと――。でもすぐにわかった。祖母上から譲り受けたという赤い石の指輪が見つからなかったのだ。いつもしておられたのに、亡骸にも、遺品の中にも。それで、もしかして交換したのではないかと思った。あの赤い石の指輪は、叔母上がとても大切になさっていたものだ。そんなものを渡せる相手など……。叔母上は、トーマと思いを交わされたのではないかと」

「やっぱり知っていたんだね」

 オレンジ色に照らされて、リリーは仄かに笑んで、頷いた。

 叔母さんとトーマさんとの忍ぶ恋を、ヴェルナーさんから聞かされたときの彼女の様子から、そうなのではないかと思っていた。

「叔母上がトーマに惹かれる気持ちも、トーマが叔母上に惹かれる気持ちも、わかるのだ。どちらのことも、大好きだった……。でも、許されぬことだ。父上に知れたら大変だと思ってな。とっさに指輪を隠して、そのまま誰にも言わなかった。言っても、もうどうにもならないのだ……」

「マリアさんの指輪はトーマさんが持ってるのかな?」

 僕は、指輪を眺めながら聞いた。ちらちらと輝くその光に、囚われるような心地がする。

「たぶんな」

 トーマさんは、王国騎士団を辞め、そして親衛隊にも戻らなかった。それを知ったリリーは、トーマさんの居所を探し続け、一年ほど前にルドビルにいることをつかんだのだそうだ。

「居場所がわかっても、会いに行く決心がつかなかった。臆病者めと、笑ってもいいぞ」

 リリーは眉を下げ、寂しそうにほほ笑んで言う。僕は首を横に振った。

 タグヒュームでの出来事は、トーマさんをリリーが記憶するままの彼にはしてくれなかっただろう。その変化をおそれ、やっと見つけたその人に会いに行くことができない。

 それはどんなにか、切ない日々だっただろう。

「これ、小さいね」

 ふと、そんなことに気が付いた。僕の小指にやっとはまるくらいのサイズではないか。

 リリーはみるみるうちに大きな目をさらに大きくして、憤慨した。

「内緒で作らせたからサイズを聞くわけにいかなかったんだ!」

 それにしても、大人の男性に贈るにはあんまりなサイズだ。僕は締まりのない顔で笑ってしまう。

「何がおかしいのだ!無礼者!」

 リリーはぷりぷりと怒って、ベッドにもぐり込んでしまった。

 彼女は意外と短気だ。しかも、今回は何だか怒り方が幼い。

 僕とマロリーさんは顔を見合わせる。マロリーさんは、とぼけたような顔をして肩をすくめた。もしかしたら、トーマさんにも同じことを言われたのかもしれない。

「指輪は?」

 僕はベッドの上の、毛織の塊に声をかける。

「……君が持っていてくれ」

 小さな声で、リリーは答えた。

 どこにしまおうか迷っていると、マロリーさんが革紐を渡してくれた。指輪を通し、しっかりと結んで首から下げ、胸元にしまう。

 僕とマロリーさんは、囲炉裏の火を消すと、それぞれ部屋の隅に積み上げられた藁の上に横になる。しまった指輪は、体温を持った生き物のようだ。僕は目を閉じる。不思議な気持ちだ。お腹の底から、ふつふつとわきあがるような気持ち。

 ――会えるといい。

 そう、思った。この先に、もう一度温かい思い出が重なるように。




 翌日の朝、マロリーさんと別れた。去り際、彼は僕の手をしっかりと握り、言った。

「姫様のお側に、どうかついていてくださいませ。」

 傍目にはいい場面に見えそうなものだが、至近距離でみるマロリーさんの目が、ぎらぎらと光っていて、怖かった。

 二人になって、螺旋山の麓、ルドビルへ向かう。そこは、馬で半日ほど行ったところにあった。

 灰色の石造りの家が行も列もなく建ち、焼き討ちにでもあったのか、それとも暴動か、残骸だけを残した家々、その残骸に寄りかかって寝ている酔っ払い、屋根の上から酒の空き瓶を投げつけてくる酔っ払い、大体町に踏み込んで三秒で酔っ払い同士が取っ組み合いを始めた。断っておくが、真っ昼間だ。

 無頼の町というか、酔っ払いの町である。

 すでに町全体がそんなようなものだが、僕たちは酒場へ向かった。

 ヴェルナーさんとは酒場で落ち合う約束をしていたし、トーマさんがこの町のどこにいるかまではわからない。情報を得るには一番いい場所なのだそうだ。

 酒場に入ると、柄が悪いばかりか筋骨隆々とした男たちが一斉にこちらを向いた。これまで出会ったことのない人種に、思わず好奇心が芽生えてしまう。

 リリーは平然と、ぴんと背筋を伸ばしたまま、真っ直ぐカウンターへ向かい、座った。

 ヴェルナーさんはまだ来ていないようだ。僕もリリーの隣に腰掛ける。店主がこちらをちらりと見た。

「女子どもが飲むようなもんは置いてねえ」

 店主は冷たく言った。リリーは店主を見もしない。そして、

「一番強いものを」

 と、涼やかに言った。

 店主は眉を寄せ、訝しげにじろじろとリリーを見る。そして、小さな銀色の杯を僕たちの前に置いた。杯に透明の液体が注がれる。

 リリーはそれを手に取ると、店主に向かって、ふっ、と艶やかに笑いかける。そして一気に飲み干す。作法がわからないので、僕もそれに倣った。随分からいお酒だった。

 店の中から、重低音の歓声や口笛が沸く。リリーは殊更優雅に笑んで、空の杯をひっくり返して左右に振り、店主を見る。店主は眉をひそめ、僕を見た。僕もまた、とりあえず空の杯をひっくり返して笑っておいた。

 店主は、小さくため息をついた。

「用件は何だ」

「護衛を探している」

 リリーは杯をカウンターに置いて答える。

 ――護衛?

 疑問符が浮かぶが、何か考えがあるのだろう。黙っておく。

 すると突然、僕とリリーの間にたくましい腕が、ぬう、と割り込んできた。テーブルで飲んでいた客の一人だ。

「護衛ならおれがやってやるよ、お嬢ちゃん」

 赤ら顔で、男は言う。

「夕方以降は賃金なしでもいいぜ。雇い主のサービス次第でなあ」

 そういうと、男はがっはっはと笑った。他の客たちも、下卑た声で笑う。随分酔っているらしくふらつきながら、男は、もう一方の腕をリリーの背に回し、指先で彼女のあごに触れた。

 止めるべきかどうか悩んでいると、リリーはまた、ふっと笑った。

「下品なやつはお断りだ」

 そして彼女に触れる手をはねのけて、

「私より弱いやつはいらん」

 そう言い放った。

 男は一瞬目を丸くして、そして大声で笑った。

「はっはっははは!なんだと!?こんな細っこい体でおれより強いってのか!そりゃおもしれえ!」

 男は爆笑するが、僕は苦々しく口を結ぶ。リリーは、見た目は華奢で可憐な美少女なのだが、腕っぷしと性格は……、一言でいうなら、雄々しい。

「じゃあほら、試してくれよ、お嬢ちゃん、な?来いよ!」

 男はカウンターを離れ、店の真ん中辺りに立ち、片手でリリーを挑発した。

「あ」

 その背後に、見たことのある顔が見えたと思った瞬間、男の体は反転して床にめりこんだ。

「ああ~」

 思わず声がもれる。

「遅かったじゃないか。先に着いているかと思ったんだが。こちらは少し遠回りしたのでな」

 何事もなかったかのように、リリーがヴェルナーさんに向けて言う。

「ちょっとごたついたんだ」

 こちらも何事もなかったかのようだ。

 ステルラでは敬語を使っていたが、この町ではそうしない方がいいと判断したのか、平語だ。どちらかというと、彼にはその方が自然だ。ヴェルナーさんは、肩をポキポキと鳴らして男を反転させた腕を回す。

「あ」

 僕はまた声をもらす。ヴェルナーさんの後ろに、ゆらりと男の影が復活した。

「おるあぁッ!」

 男は体をひねって、僕の1.5倍はありそうな拳をヴェルナーさんに叩き込んだ。

 ヴェルナーさんは、杯や皿やチーズやナッツ、ついでに椅子やテーブルまでをも巻き込みながら、店の端まで飛ばされた。僕は目を丸くする。

「くっ、あっはっはっはっは!」

 リリーは噴き出し、けたけたと笑う。僕は目を丸くしたまま彼女を見る。まったく、呆れるほど雄々しい。

 店の男たちが、喧嘩の始まりに群がってきた。ヴェルナーさんはぴくりとも動かない。

「これはこれは情けない。草葉の陰で祖父が指さして笑っているぞ、ヴェルナー」

 草葉の陰なら本来は泣くところだが、ヴェルナーさんのおじいさんは笑うらしい。一体どんな人だったのか。

「おしまいかあ?坊主~」

 酔っ払いの一人が、実に楽しそうに、倒れているヴェルナーさんに千鳥足で近づき、その周りを小馬鹿にするようにぴょこぴょこ跳ねる。

 ヴェルナーさんの口元に、じわりと笑みが浮かんだ。額には青筋だ。

「くそがあああッ!」

 ヴェルナーさんは跳ね起きて、妙なステップで踊る酔っ払いの胸ぐらをつかんだかと思うと投げ飛ばし、本来の喧嘩相手との距離を一瞬で詰め、殴りかかった。殴られた男は、周囲に集まった群衆に倒れ込む。そして押し戻され、再びヴェルナーさんに殴りかかる。しかしその拳は空を切り、彼の後ろ首には痛烈な蹴りが見舞われた。店内からは歓声があがる。再び床にめり込んだ男は、しばらく沈黙していたが、やがてぬらりと立ち上がり、乱闘は続行された。

「はっはっはっは!」

 リリーは笑う。カウンターの向こうで、店主が呆れ気味に言った。

「おいおい、店を壊す気か。連れなら止めてくれ」

 その言葉に、リリーは店主の方に向き直ってにやりと笑う。

「上品で腕が立つ護衛」

「そうなると、元王国騎士団か国衛軍で、しかもそれなりの役職についていたやつか」

「元騎士というのはいいな。ここは騎士の国だからなあ。心当たりが?」

「元王国騎士団の副騎士長ってやつがいる。山沿いの破れ教会によくいるよ、行ってみな。連れも一緒にな。二度と来んじゃねえ」

 リリーはけらけらと笑って、カウンターにお金を置いて立ち上がった。

「そこまでだ!」

 よく通る凛とした声に、ヴェルナーさんの動きがぴたりと止まる。その隙にと拳を繰り出した男は、リリーに足をかけられて何度目かの床を味わった。周囲に集まっていた男たちのブーイングを、青碧の瞳は鋭い光で黙らせた。男たちは、舌打ちしながら出口までの道を開ける。

「行くぞ」

「あいよ、あ~いてえ」

 リリーはすたすたと店を出て行く。その後に、口元の血をぬぐって、調子を確かめるように首を撫ぜながらヴェルナーさんが続く。

「はっ」

 危うく取り残されかけた僕は、慌てて後を追いかけた。

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