No herb will cure love
「何故、それだけの力を持ちながらこの小さな町に甘んじてるんですかねぇ……」
唐突に現れやがったまねがねざる客は、開口一番、俺たちの空間を支配した。
身を切る風は春先だと言うのにやけに冷たく、暗い寂寥を纏って俺たちの心に吹き抜け、神祇官の薄寒い微笑を様々と見せつけてきた。
ちっ……それだけだっていうのに、やけに足が竦みやがる。
俺の中に、神祇官に怒鳴ってやりたい気持ちと、それ以上の怯えがにのあしを踏ませた。
マリーやオリガすらを含めて恐怖にも似た冷たい風が吹き抜ける空間を最初に打破したのは師匠だった。
「……貴様、ワシの宿屋に何の用だ……」
腹に響き渡る程の声が神祇官に向かう。
だが神祇官はその声にたいしてもどこ吹く風……それどころか、師匠の事などまるで意に介さず、言葉を蹴って放った。
「黙りなさい、猿の子孫が……私はそこの彼……テオと話しているんだ」
一瞬、神祇官の爬虫類のような目が師匠を突き刺しだが、次の瞬間には、その目は俺を舐めるほどに睨めつけていた。
老いを感じさせない老人の恍惚とした表情に背筋が氷る。はっきり言って気持ちが悪い。
……が、こいつは今、間違いなく聞き捨てならないことをいいやがった。
「俺に……だと」
猿の子孫……南北どちらの教会も認めている、創造論の行き着く先の一つにして、獣人が人間を卑しんで呼び捨てる蔑称だ。
現在、大陸の南部を席巻する力無い種族人間……しかし、その力無い種族が生み出した“文化”は、北にもその影響をあたえた。
もっとも、その影響を大もするものが、金……経済だ。それら、肉体以上に恐るべき力をみた獣人たちが、教理において、神の霊前においても、その私欲をたぎらせた猿に喩えて用いたのだ。
人間はそれを知恵と呼び、獣人は浅はかさととった。
だからこそ、人間に向かって[猿の子孫]などという言葉を使うのは、獣人にしかあり得ない……!
しかも、俺の名前まで知ってやがる……。
「てめぇ……何もんだよ」
恐れにふらつく身体を叱咤して、腹から声を出す。精一杯の威嚇のつもりだったが、表情を崩す効果もなかったようだ。
逆に、オリガの方が怯えてる様子すらある。
「……やはり、人間は脆い……身体と言わず、心が脆い……」
「何が言いたいんだよ……」
むしろ、ヤツの言葉に怒りを触発されたのは俺の方だった。
が、しかし、神祇官はあくまで俺や周りの人達を気にすることなく、言葉を紡ぎ続ける。
「……神の御前において、罪をおかし、身に余る力を得た猿の子孫が……結果、大陸にあまねく力を生み出すとは」
その言葉尻が消えるか消えないかの瞬間、見間違いではない縦に割れた瞳孔がオリガをいすめる。
「全能の神というのも、疑わしいものだな」
こいつ……まさか……
俺の思考が一瞬、神祇官から逸らされると、その0より長いだけの秒間にヤツの姿が掻き消え。
次に意識が捉えたのは師匠の怒号だった。
「っテオ! 避けろ!」
言葉を脳みそが理解するよりも早く、肉体が本能に引っ張られ、半歩後ろに引いた。
刹那――
ほんのつい先の瞬間まで俺のしたにあった地面が抉られ、湿った土の匂いが鼻先を掠めて。
ッ……!
驚くよりも先に、頭の中では本能の警鐘が猛々しく鳴り響いていた。
こいつはやべえな……下手したら、“女王級”以上じゃねぇかよ……でも、それって……!
意識の整理は飛び去る矢よりも速く終わり、無理やり舞い上がった土埃が失せて行く。
誰かの、喉を鳴らす音が聞こえる程、静まり返ったその瞬間……
ごく刹那の嵐の前の静けさを土埃と共に打ち破って、ついにそいつは本性を表しやがった。
「……初撃は避けて当然……でなければ意味が無い……」
徐々に晴れゆく視界の中、舞う埃のスクリーンに映し出されたヤツの影は、明らかに先ほどのものとは違っていた。
俺の3倍は生きてて強い師匠ですら、驚きのあまりか仏の様な顔になってしまっている。
煙が完全に消え去る頃には、神に疎まれて作り上げられたとしか思えない不細工な顔つきの獣人がそこに立っていた。
「はああぁぁ……やはり、この身体の方が、心地イイ……」」
神祇官の……先ほどまでの繊細さの欠片もない野太い声が、恍惚と響き渡る。
その瞬間。閃光よりも速く蠢く影が、硬く鱗で覆われた神祇官の肉体を疾風のごとく一閃した。
煌めく鋼の鋭利な光が、その影の持ち主の存在を俺に知らしめる。
「師匠!」
だが……
うそ……だろ
俺は、目の前で起きた状況が信じられなかった。
ほんのつい瞬間、神祇官の前に奔った影は間違いなく師匠だった。地上で負け知らずだったはずの師匠だ……
なのに……なんで……
「師匠が、やられてんだよ……」
醜い竜人……神祇官の足元に土にまみれて転がっているのは、なぜか、師匠の方だった。
竜人となった神祇官が、清廉さもなにもない野卑た笑みを、その醜い顔に浮かべる。
「ヌルい……コレが、地上最強と謳われた男の力かよ……何故、テオがこの程度のおいぼれに師事するのか、理解に苦しむな」
「ガッ……はっ……」