I can't stop loving you
俺が宿の寝具から、寝不足の頭を叩いて這い出たのは青空に吹く風も鮮やかな日の光薫る正午過ぎだった。竜人は変温動物だからからか温まるまで活動はしない……というのは勿論嘘で、俺は朝が弱い。しかも昨日師匠に叩き起こされ夜更かしをさせられたならばなおさらだ。
霧がかかったようにぼんやりした頭の中で、それでもはっきりと思考できている部分で昨日師匠から聞かされた話を吟味する。
……南部教会の幹部様ね。
痺れて鈍い思考回路をできるだけフル回転させて一昨日に出会った怪しげな初老の男性を思い浮かべ、自然と顔が顰められた。
「……あ〜、胃がムカムカする」
俺はぐっちゃぐちゃになった寝床から立ち上りつつ、大きく伸びをした。朝――まあ、今は昼だけど――起きた時の習慣だ。全身に血が巡るような感覚がして漸く脳みその霧が晴れる。
俺の体重を受けたボロい床板が軋むが、あのジジイが暴れまわっても壊れずに40年間生き残ってる建物だ。俺の体重だけで板が割れるならとっくの昔に廃屋だ。そこんじょらの城壁よりも頑丈だろうな。
「……朝飯、の時間は過ぎてんな。昼飯くうか……の、前に着替えだな」
今だ微かにぼんやりと寝ぼける頭で、寝間着の上を脱ぎ捨てる。相変わらず自然回復力の遅い傷跡に布がすれて鈍い痛みが走るが、20年付き合った体だ。もう慣れた。
土汚れとと剣だこ塗れの手で着替えの衣を引っつかんだところ、控え目なノックが聞こえた。この客の居ない宿で珍しいことだと首を捻った瞬間豪快な声と同時にドアが開かれた。
「あっはっは! オリガちゃん! ノックなんかする必要なんざないよ! あの寝坊助にそんな配慮いらないって!」
杉の戸が限界を超える力で叩き開けられ軋む音と天井から埃が舞うのがいつも通りの光景として認知される。
大概、俺が昼過ぎまで起きて来ないと、マリーは狙いすましたように俺が着替えている時に起こしに来る、勿論ノックなんて配慮はあの女には無く、ひどい時は俺が下着を変えてる時に現れた時もあった。だというのにマリーは顔色一つ変えずにとっとと着替えろと言って俺を急き立てるのだ。
しかし、今回は違った。
「――ッ〜〜‼︎ て、テオさん⁉︎」
マリーに連れられてやってきたのだろうオリガが、俺の姿を捉えるや、顔を真っ赤にしてマリーの背に引っ込んでしまった。
けれども、オリガはマリーの背中に隠れつつも、こちらをチラチラと覗き見てきている。
オリガに見られている。そう考えるだけでもなぜかしら俺の心臓も小さく高鳴り、顔に熱が集まるのがわかり、俺なりに全速力でオリガと、ついでにマリーに背を向けた。
引きつった傷跡を女人に晒すのは気が引けたが、羞恥心が勝った。
背後でマリーのため息をつく音が聞こえる。
「はぁ……いい大人が女の子に裸見られたくらいでてれてんじゃないよ! オリガちゃん、先に下へ行ってお昼の用意しといちゃって! 早くしないとお爺ちゃんが全部食べちゃうんだから!」
マリーがわざと俺に聞こえるように大きな声でいうと、オリガが、若干――足音からしか判断できなかったが、本当に僅か――残念そうに部屋を出て行くと、再びマリーの大きなため息が聞こえた。
室内が一瞬だけ静かになって、俺はようやく上着を着るため、体を動かした。
「……あんた、オリガちゃんに惚れたんだねぇ」
上着から頭を出した時、シミジミと、と言ったようにマリーがつぶやいた。
「……んだよ、悪いか」
今更、耳まで真っ赤になっている顔を隠すことに意味はないだろうが、俺の男としての矜恃が、素直にマリーの方へ顔を向けさせない。
マリーはこれまた、心底呆れた。という態度をわざわざ俺に見せつけながら俺のことをなじる。
「別に悪かないさ、ただ……ただ……ま! がんばんな、私も先に下行ってるからね! とっとと着替えてご飯かたづけちゃいな!」
マリーはそれだけ言うと、再びやたら大きな音を立ててドアをしてめ出て行った。
俺はしばらくして、ようやく下の寝間着も着替え、下へおりて行った。
昼食は南の地ではありふれた山菜のスープと硬いパンだった。なぜかしら俺のパンだけが岩塩の様に歯が立たないのは師匠かマリー、どちらの仕業か。
昼食の際に、一度だけオリガと目があったが、オリガが再び顔を赤くしてうつむいてしまったので、謝る機会もなかった。
大女将のババアは俺が来る前に食い終わっていたらしく、何故かしら俺の横で針仕事に勤しみ、マリーは洗濯物を押すと言ったきり、スープの湯気が消えてしまった。
黙々と、何故か気まずい沈黙が食卓に居座っり、スープの喉通りが悪くなったとおもったそのとき、ババアが、目線は針にむけたまま、俺にだけ聞こえるようにつぶやいた。
「……罪作りだわね、テオドール」
「……え?」
一瞬、ババアが言ったことが聞き取れず、聞き返す。
すると、師匠が彼女を選んだ理由だという、やけに透き通った目が針から離されこちらを向いた。
「アンタの父親のデュズもそうだったかね……」
そう言ったきり、再びハリへと目を戻したババアに、俺は頭をひねるしかなかった。