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クカとスロのアリッパ

作者: 追試

暗い夜道を、ひとりの男が小さな手提げバッグを持って歩いている。男は殺し屋だった。


 手際よく仕事を終わらせ、入念に準備した逃走経路を通って現場から離れる。バッグの中には、仕事を確実に終えた証拠となる標的の耳と鼻を削いだものが入っていた。これを依頼者のところへ約束の時間までに持って帰れば、任務は終了だ。

 殺し屋は胸のポケットから煙草を取り出すと、咥えて火を点ける。電灯も無い道で、鼻の下数センチ先にある煙草の先端だけが光を放つ。月が雲に隠れてしまえば、灯りなしでは足元も見えないだろう。ここは数年前から人通りが全く無く、地図にも載っていない。こういう道は本来であれば世の中から税金の無駄遣いと非難されるだろうが、我々のような稼業にはありがたい。

 この道を抜ければ、約束の待ち合わせ場所へ出る。これが終われば一生遊んで暮らせるだけの金を手に入れ、外国へおさらば。今日は順調に事が済んだ。なにか拍子抜けしたような気もするが、まぁいい。殺人が困難なものであるなどと、誰が決めたのだ。こういうことが、あってもいいのだ。


 殺し屋が早足で夜道を進んでいくと、突然、「夜分遅くにすいません」と、何者かが声をかけてくる。男が驚いて振り返ると、髪の長い女が灯りも持たないで、道の端に立っているのが見えた。

「すいません。この辺りに落し物をしてしまって。一緒に探していただけませんか」

 暗闇で、存在に気づかなかったのだろうか。この道を使っている人間がいたとは。それにしても、不気味な女だ。なんにせよ、あいにくこちらは仕事の途中。暗がりとはいえ、顔を覚えられたりしても面倒だ。

「申し訳ない、急いでいまして」と、殺し屋はやり過ごそうとする。だが女は髪を振り乱して、男の腕にすがり付いて来る。

「お願いします。灯りもないし、本当に大事なものなんです」

 大事なバッグを提げたほうの腕を急に引っ張られて、さすがの殺し屋も肝を冷やす。やっかいな奴に捕まってしまった。こうなったら少しだけでも探した振りをして、諦めてもらったほうが早そうだ。

「わ、わかりました。いったい何を落とされたんです。イヤリングか何かですか」と、殺し屋の男が尋ねると、女は答える。

「クカとスロのアリッパなんです。さっきまで手に持ってたのを何度も確認してました」

 「なんですって、何を落としたとおっしゃいましたか」と、殺し屋は再び尋ねる。

「クカとスロのアリッパです」と、やはり女は繰り返す。「この近くで落としたのは間違いないんです。落としたのは5分ほど前です」

 殺し屋はなるほど、と小さく頷き、顔をしかめる。最初からおかしいと気づくべきだった。この道を女がひとりで歩いているなんて。これは完全に精神異常者に違いあるまい。そういえば、近くにそういう患者を集めている特別な病院があると、聞いたことがあるような気がする。しかし、そうなれば逆に好都合だ。

「なんだ、それならそうと、先に言ってくださればいいのに」と、殺し屋はにこやかに笑う。「突然声を掛けられて、驚いてしまった。それなら、あの辺りに落ちているのを見かけましたよ」と、男は自分がさっき通ってきた道の辺りを指差した。

 女はその言葉を聞くと、すぐに安心したように腕を放し、何度も礼をして男の指示したほうへ歩いていった。

「ふぅ、危なかった。アリッパだかスリッパだか知らんが、ああいう連中はこうやってあしらうのが一番だ」

 殺し屋は吸っていた煙草を足元に投げ捨てると、さっきよりも早い足取りで道を進んでいく。アクシデントが起こってしまい、少し遅れてしまった。やはり、こういう仕事に問題がひとつも起こらないことは、ありえないのだ。


 自分の楽観を反省する殺し屋だったが、問題はひとつでは済まなかった。道を進んでいくと、またもや何者かが彼に声をかけてきたのだ。

「すいません。ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってください」と、今度は中年の男が現れる。

「なんなんだ。悪いが、こっちは急いでるんだ」と殺し屋は言う。だが、中年の男は断固たる決意、頑なな表情で道をふさいでくる。

「大変なものを拾ってしまったんです。すぐに、落とし主に届けなければいけない。力を貸してください」

「いったい、何を拾ったって言うんです」と、殺し屋は尋ねる。

「聞いて驚いてはいけませんよ」と、男は口の横に手を添えて小さな声でささやく。「クカと、スロの、アリッパなんです」

 殺し屋は深いため息をつく。まったく、なんだっていうんだ。さっきの女が探していたわけのわからないものを、この男が拾うなんて。では、さっきの女は異常者などではなかったわけだ。流行品か商品名か、それがどういうものなのか興味は無いが、とにかくクカとスロのアリッパとやらは、実在していたというわけだ。

「ああ、なるほど」と、殺し屋はふたたび人のいい笑顔を顔に浮かべる。「それはちょうどよかった。さっき私が通ってきた道の途中で、それを探していた人がいたのです。すぐに持って行かれるとよろしい」

「いや、それがそうもいかんのです」と、中年の男は言う。「おそらく、落としたときの衝撃で、クカとスロのアリッパの中身が漏れ出しているんです。どうか、あなたのそのバッグを貸していただきたい」

「な、なんですって」と、殺し屋は驚く。カバンの中には絶対に見られては困る品が、紙に包んで入れてある。どうぞと言って貸すわけにはいかない。

「失礼ですがバッグは見たところ安物のようです、なんなら売っていただいてもかまわない。謝礼をお支払いします。人助けだと思って、どうか」と、男は殺し屋のバッグに力づくで手をかけようとする。

「ちょっと、ちょっと待ってください」と殺し屋は慌てて、考えをめぐらせる。走って逃げてもいいが、間違いなく不審に思われるだろう。万が一、この男が明日の朝刊の記事で殺人事件が近くで起こったことを知ったら。万が一、こいつが人の顔を覚えるのが得意な人間だったとしたら。

 落し物ひとつでここまで正義感に燃える男なのだ。どんな結果になるかを考えると、目も当てられない。ここで殺しておきたいが、あいにく凶器に使ったナイフは現場の近くに捨ててきてしまった。

「わかりました。バッグを使ってもらって結構」と、殺し屋は決断する。

「ただ、あいにく私は急いでるため、これはあなたに差し上げます。謝礼も結構」と、殺し屋は紙に包んだ品をバッグから手の中にすばやく移し変え、空のバッグを男に手渡す。

 何度も礼をする男を振り切って、殺し屋は依頼の品を手の中に握ったまま夜道を走る。「これはいけない。完全に遅刻になってしまった。信用を失っては、この世界では命取りになる。とにかく急がないと」

 しかし、彼の焦りとは裏腹に、暗がりからまた何者かが彼を呼び止める。

「あなた、おおい、そこのあなた。話を聞いてください。どうか、止まってください」と、今度は若い男が息を切らせて追いかけてくる。殺し屋は聞こえない振りをして走って行ってしまいたいが、相手はこっちよりも数段足が速く、どうにも逃げ切れそうにない。

「おおい、聞こえてるでしょう。ちょっと尋ねたいことがあるんです」

「ちくしょう、いったいどうなってやがる」と殺し屋はぼやいて、立ち止まる。

「ああ、やっと止まってくれた」

「なんの用だ、このやろう。こっちは尻に火がついてるんだ」と、思わず殺し屋は感情的になって言う。

「いや、実はこの辺りで人を見なかったかどうか、教えていただきたいのです。髪の長い女と、中年の男です。近くを歩いていませんでしたか?」

「そいつらなら、こんな時間にあっちをふらふら歩いてやがったぞ」と、殺し屋はまたさっき歩いて来た道を指差す。

「ああやっぱり。彼ら、何かを持っていませんでしたか」

「クカとスロのアリッパのことか。ああ、何度も聞かされて覚えてしまった。向こうで女が落としたらしく、中身が漏れていたらしいぞ」

「やはり。これはいけない。大変なことになってしまった」と、若い男は青ざめる。「あれは研究中の新型ウィルスなのです。空気に混ざっても無臭で、時間差で死に至り、ワクチンもない。私はこの近くにある病院の医者なのですが、実験中にどこからか情報が漏れ、二人組みの窃盗団に持ち出されたのです。漏れ出していたとは、あなたも感染の疑いがある」

「な、なんだと」と、殺し屋は頭が真っ白になる。なんということだ。クカとスロのアリッパの正体は、新型ウィルスの名称だったとは。どうりで、耳慣れない言葉だと思った。窃盗団であれば、この道をどこからか知って使っていたとしても不思議は無い。

「なにか、なにか解毒の方法は無いのか」と、殺し屋はいまにも泣き出しそうな顔をして医者に尋ねる。そんなわけのわからない名前のウィルスで、死にたくなどない。

「今すぐ、着ている衣服をお脱ぎなさい」と、必死の形相で医者は言う。

「あのウィルスは最初に布や繊維に取り付いて媒介するのです。今ならまだ十分間に合う。病院まで来てくだされば、代わりの服をご用意します」

「いや、代わりの服はけっこう」と、殺し屋はためらわず服を脱ぎ、パンツ一枚になる。もちろん手の中には、約束の品を握り締めたままだ。「私はとにかく急いでいるんだ。このまま行かせてもらう」と、そのままの格好で走って行ってしまう。


 パンツ一枚で走り去っていく男の背中が見えなくなった途端に、医者と名乗った若い男は、堪えきれずに大声で笑ってしまう。

「ははは、上手く騙せたぞ。クカとスロのアリッパなど、有りはしない。わけのわからない単語を連続して刷り込むことで、急いでいる通行人の行動をミスリードする、全部でたらめのドッキリ・カメラ。この先の道には落とし穴があり、生中継のテレビカメラが待ち受けているとも知らずに。あいつ、最初はからかわれたと知って腹を立てるだろうが、なぁに、一ヶ月ほど遊んで暮らせる金を渡せば、誰だって機嫌を良くするのだ。しばらくは有名人気取りで、お礼の手紙を送ってくる奴だっているほどなのだ」

 そうして煙草に火をつけると、若いテレビ演出家は真っ暗な夜道を眺め、ひとりつぶやく。

「こういう道の存在は本来であれば非難されてしかるべきだろうが、我々のような稼業にはありがたい。世の中にはこの道のように、一見はまったくなんの役にも立たないが、誰かにちゃんと必要とされているものもあるのだ。我々の仕事も、いつかは社会に貢献できるようなものになればいいのだが、当分そんなことはありそうにもないな……」

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