祓い屋と寂しい妖怪
ほとんど、陰陽師とかイメージで書いているので、そこのところはご了承ください。
むかし、ある都に忠文という男がいました。
彼は、陰陽師を代々輩出する家系に生まれながらにして、その才覚は兄弟に比べると乏しいものでした。
由緒正しき家柄からか、家の者は彼のことを疎みました。
なぜなら、彼は祓う力しか持ち合わせていなかったのですから。
普通なら、祓う力の他に、占術や呪術を用いて、人の運命を占ったり、結界を張ったり、式神を使役したり、など、様々な力を用いることができるのです。
それゆえ、陰陽師は天皇家や高名な貴族へと雇われるのが常。
しかし、才能が乏しい彼には、そういった仕事にはありつけませんでした。
そこで、彼は家を出て、祓い屋というものを始めました。
これは、そんな忠文とある妖怪のお話。
祓い屋を始めて早数年。
忠文の歳は30になりながら、女房はおらず。
一人寂しく祓い屋を営んでいました。
祓い屋は、人や家、物についた厄や物の怪を、貴賎関係なしに引き受け、それを祓うという仕事で、主に陰陽師に頼むことができないような、地位の低い町人たちに、頼まれることが常々。
「ごめんください」
そして今回も、平民からの仕事の依頼です。
「なんだ、皆して一体どうしたんだい?」
怪訝そうにする忠文。
そう、普段なら依頼に来る人は一人。もしくは二人といったところに、今回は十数人といった数のお客さんが家へと流れ込んできたのです。
儲からない忠文の家の土間が、人でいっぱいになっていました。
しかし、この人数では家に上げることもできないので、
「取りあえず、一人ずつでよろしいか?」
忠文は、一人ずつ話を聞くことにしました。
「ほぉ、町に人を喰らう妖怪が出た、と」
どうやら、今回は町人たち全員がこのことで困っていたようでした。
あれだけ依頼がいっぺんに来られると、骨が折れると思っていた忠文でしたが、同じと来てほっとします。
「そんな腑抜けた顔しないでくださいよ、こっちにとっちゃ大問題なんですから!!」
怒りを表す町人の代表に、忠文は慌てて頭を下げます。
「とにかくこれじゃあ、夜もおちおち寝てらんねぇんです!!」
「それじゃあ、その妖怪は夜にしか出ないので?」
「えぇ、聞く話だと」
「他に何か知っていることがあれば」
「後は……そうさなぁ、喰われたのは男よりも女の方が多いかもしれません」
「そうか……それじゃ、後は私に任せなさい。それで、一つ頼みがあるんだが――」
その日の夜。
忠文は、眠り静まった都を歩いていました。
それも格好はいかにも女らしい着物を着て、結んでいた髪も下ろし、扇子で顔を隠して、です。
人目見れば、身体の線の細い忠文ですから、女に見えることでしょう。
昼間に町人の代表に頼んだのは、この女装のことだったのです。
「さぁて、その妖怪とやらはどこにいるのかねぇ……」
慣れない格好で、歩きにくい忠文は、あっちへよろけては、こっちへとよろめいていました。
そうして、どれぐらいの時間が過ぎたでしょう。
それは一刻も経っていなかったかもしれません。
「きゃあああああああああ!!!!」
どこからともなく、若い女の叫び声が聞こえてきたのです。
「くそ、あちらにお出ましかい……!!」
「大丈夫か!?」
忠文は強引に家の戸を蹴破って中へと侵入します。
そこには、服を引っぺがされた女と、そこに馬乗りしている、獣のようなもの、そしてそこから離れた壁のところに、頭から血を流した男がいました。
侵入してきたと思われる穴から、月明かりが差し込んできて部屋の中を照らしました。
「やはり、妖怪か!?」
照らされた姿は、妖怪でした。しかし、まともな教えをもらったことがない忠文には、その妖怪の名はわかりません。
「……私の邪魔をするのか」
「お前、喋れるのか……?」
妖怪の口から発せられたのは、低く、そして唸るような声でした。
忠文は、これまで喋る妖怪とはあったことがありませんでしたので、驚きが隠せません。
「……邪魔を、するなぁ!」
妖怪が、一気に忠文へと襲いかかります。
全身の毛が流れるように動き、そこに光の反射が加わって、とても綺麗に見えました。
が、忠文には関係ありません。
感動や、他の人のように怯えもありません。
ただ、「大きな仕事をこなす」、というだけで。
忠文は、両手で印を結びます。
「はっ!」
忠文の手から、眩い閃光が放たれました。
それは魔を祓う力。
忠文が唯一使える陰陽師の力。
この力で、幾度も厄や妖怪を祓ってきたのです。
「うぅぅぅぅぅ……」
しかし、この妖怪はなかなかしぶとかったのです。
一度、二度ならず、何度も印を結びましたが、妖怪は苦しむだけで、なかなか祓えません。
「くそっ!!」
全く自分の力が及ばない、ということに忠文は歯噛みします。
そして忠文の心の中で、これ以上やっても無駄なんじゃないのか、という言葉が反芻していきました。
「私が何をしたというのだ……!!」
苦しげに妖怪が、言葉を漏らします。
流石に疲れてしまった忠文は、その言葉に耳を傾けます。
「人を喰らったであろうが、この妖怪めが」
「それのどこが悪い……?」
不思議そうにする妖怪に、ふつふつと怒りが湧く忠文。
「罪もなき人間を喰らうとは、非情だとは思わんのか!」
つい、逆上して叫んでしまいます。
けれど、
「だから、それの何が悪いというのだ。人間だって、他の罪のない生物を喰らっているではないか……」
「ぐっ」
流石にその台詞で、忠文も口を開くのを躊躇いました。
それはとても正論だったからです。
「だったら、私が人間を喰らうのは、仕方ないことではないか。腹が減れば喰わねばならぬ。それはどの生物でも同じであろうに」
「だが……」
忠文の言葉は続きません。
何を言ったらいいのか、わからないのです。
「そうさのぅ、一つ条件を飲んでくれれば、人を喰らうのをやめてもいい」
「……なんだい、その条件とやらは」
渋々といった様子で、忠文は答えます。
「お前さんが、今後他の命を奪って食さないことを約束するっていうのは、どうだい?」
「……」
忠文は答えられません。
正直、相手は妖怪です。言葉に耳を傾けなければいいのですが、忠文は真面目な性格でした。
自分がちゃんと出来ていないことは、人には言わない。そんな人間だったのです。
「わかった、約束しよう。だからお前も人を喰らうなよ?」
「あぁ、お前さんが約束を守っている間は、人を喰らうのはやめようか」
こうして、人と妖怪で。
この晩、不思議な約束が取り付けられました。
「腹がうるさくて敵わんな……」
妖怪と約束してから、20日は軽く過ぎ去った頃。
忠文はあれから、水しか喉を通さず、身体はひょろひょろにやせ細ってしまいました。
途中、何度も飯を喰らいたい欲求に襲われましたが、そういう時はあの妖怪の憎たらしい顔を思い出し、何とか耐えてきたのです。
しかし、もう身体に限界が訪れていたのです。
意識が朦朧とし、眠りの世界に落ちそうになると、とたんに腹の虫が泣き叫び、現実へと引き戻すのです。
その繰り返しで、とうとう忠文も死を覚悟しました。
死ぬ前に親にでも手紙を書こうか、と思いましたが、今まで忠文が送った手紙は読まれていないことを知っていたので、そこで手が止まります。
「やることもないのか……」
布団の上に身体を投げ出して、忠文は涙を流しました。
「あぁ、一人で逝くというのは、こんなに寂しいものなのか……」
幾度となく流れる涙は、止めようと思っても止まりません。
そうして、泣き疲れたのか、忠文はそのまま静かに目を閉じました。
それから、一度も目を開くことはありませんでした。
忠文の最後を見届けた後、妖怪は天井裏から下へと飛び降りました。
「お前さんも、阿呆だったのう……」
そっと音も立てずに、妖怪は忠文の身体を抱きかかえます。
そうして、静かに忠文の身体を食べていきました。
肉などほとんど残っておらず、あるのは皮と骨ばかり。
「こりゃあ、不味い……。こんなもん、もう食べられんのう」
それから、この町では人を喰らうといった問題は起こらなくなりました。
そして、あの妖怪も、人を喰らうことはなくなったんだとか。