8. 小鳥さん
ごみはゴミ箱に。
公園の植え込みに立てられた、小さな看板が悲しそうな顔をしていました。何故なら、看板の足元には、タバコの吸殻や、ペットボトルが投げ捨てられているからです。自分の住んでいる街をきれいにしたい、という気持ちは、誰にでもあるものですが「つい」とか「うっかり」ごみを散らかしてしまうことというのも、誰にでもあることです。
だから、わたしたちの学校は、月に一度「地域清掃」に取り組んでいます。もちろん、学校の心象を良くしようという、大人たちのちょっとずるい算段もあるのですが、わたしは掃除をすることが嫌いではありません。ごみを拾って、街が一つきれいになるたび、悪い子のわたしに染み付いた罪が、砂粒くらいほんの少しだけ、許されたような気分になるからです。でも、それもちょっとずるい算段に違いがありません。
今月の地域清掃は、学校から程なく近い、公園です。児童公園ではなく、憩いの場として親しまれていて、後援の中心には、亀と鴨のいる小さな池があります。清掃活動に当たっては、生徒に半透明のゴミ袋が手渡されます。見つけたごみを、この袋の中に入れるのです。池の中にも水面の隙間にごみが見えますが、さすがに、柵を乗り越えて池の中に入るわけには行きません。
わたしたちに出来るのは、雑草をむしったり、公園のあちらこちらに、心無い人が投げ捨てたごみを拾い集めることくらいです。
わたしは、看板の足とに落ちた、ごみを拾って、まだ空っぽだった袋の中に入れました。
ふと顔を上げて辺りを見渡せば、真面目に地域清掃に取り組む生徒、先生が近くにいるときだけ真面目な振りをする生徒、端から掃除なんてゴメンだと友達とだべる生徒、十人十色と言うように、みんな思い思いに地域清掃を楽しんでいます。
だけどわたしは、どのグループにも属することなく、ただ後を着いて行くだけでした。わたしには友達と呼べる人が、この学校に一人も居ません。高校生活と言う名の大事な青春をわたしは大幅にロスしながら、ただ無言でごみを拾っているだけなのです。そんなわたしの事を、桜井先生が見たら、どんな風に思うでしょうか。優しい先生のことだから、わたしの事を心配してくれるかもしれません。弟の透がわたしのことを心配してくれるように……。
そんな、桜井先生と透が、ちょうど同じ頃、学校の屋上に居ることなんて、わたしは知る由もありませんでした……。
「よーし、そろそろ学校に戻るぞ! ほら、そこ私語ばかりしてたな!」
引率の先生が生徒たちの空っぽに近いゴミ袋を見て声を荒げました。今月の引率は体育の先生で、真面目で熱血漢な先生は、生徒たちを叱り飛ばしながらも、自分もゴミ袋を片手に清掃に参加しています。先生のゴミ袋は、すでにごみで満杯になっていました。
思わず、わたしは「すごい!」と思い舌を巻いてしまいました。
生徒たちは、「だって、暑いんだもん」と、あからさまにやる気のない適当な返事を返すと、ぞろぞろと先生に従って、公園の出口へと歩いて行きます。慌てて、わたしもその列の最後尾に遅れないように、ついていこうとしたその時、ふと生垣の傍に小さな青い花に目を奪われて、足を止めました。
花壇植えられるような、可憐な花ではなく、どちらかと言えば、雑草です。ぽつんと寂しげに咲いていますが、しっかり土に根を張って、とても凛として可愛らしい花のように、わたしには見えました。残念なのは、ガーデニングに使われるような花ではないため、その花の名を知らないことでした。アルバイト先のタカナシさんのお店にも、きっとこんな花の種は置いていないでしょう。
わたしは、ついその花に目を奪われて、その場にしゃがみこんでしまいました。
「なんて名前の花なのかな」
花が答えてくれるわけもないのに、まるでその小さな青い花に話しかけるように、独り言を呟きました。すると、予想外の方向からその答えが返ってきて、驚かされました。
「オオイヌノフグリ。春に咲く花なのに、こんな季節に咲くなんて、これぞ雑草魂ってやつかな」
振り向くと、わたしと同じ制服を着た女の子が立っていました。短い髪と、日焼けしたみたいにちょっと浅黒い肌が良く似合う、明朗快活を絵に描いたような女の子です。彼女は、にこにこと笑顔を浮かべながら、わたしの隣にちょこんとしゃがみました。
「宮野さんって、最近、園芸部作ったんでしょ? 時々中庭の花壇を手入れしてるの見かけるよ。もしかして、花が好きなの?」
わたしが頷くと、彼女は小さな青い花を指先でつつきながら、口元に八重歯をのぞかせながら、にっこりとしました。
一体誰なのでしょう。わたしの名前を知っているということは、きっとクラスメイトなのでしょう。ですが、心当たりのない顔です。まあ、そんなだから友達がいないんだ、と言われてしまえば、それまでです。わたしは、クラスで浮いた存在であると同時に、クラスメイトの顔と名前をほとんど覚えていません。それは、突然わたしに話しかけてきた、彼女も例外ではありませんたでした。
わたしが困った顔をしているのに気付いたのか、彼女はまるで風船みたいに、頬を膨らませて怒ります。
「何? わたしのこと覚えてないの? ひっどーい!」
「ご、ごめんなさい」
恐縮してしまうばかりです。わたしのような、根暗で喋らない子に話しかけてくれる人なんて、そうそうお目にかかれるものではありません。それなのに、わたしときたら、そんなありがたい人の名前を知らないのです。ホントにひどいやつです。
ところが、彼女は頬をしぼませると、また八重歯をのぞかせて笑いました。
「ま、話したの初めてだもんね。きっと中学の同窓生だって言っても、覚えてないでしょ?」
わたしは、彼女の言う「中学」という言葉に、胸の奥がチクリとするのを感じました。ちょうどぽっかりと空いた心の穴の中に、針を投げ込まれたような気分です。もちろん、彼女が同じ中学の同窓生、と言われてもピンと来るものはありません。
「ごめんなさい」
もう一度わたしが言うと、彼女はからからと笑ってわたしの肩を軽く叩きました。
「謝るほどのことじゃないって。わたし……」
彼女が名乗ろうとしたそのタイミングで、公園の入り口の方から呼び声が飛んできました。
「小鳥ーっ!! なにしてんの、早く来ないと授業に間に合わなくなるよ!」
友達でしょうか。公園の入り口で手を振る何人かの女の子たちに、「今行く!」と手を振る、彼女はすっと立ち上がりそそくさと友達のもとへと、制服のスカートを翻しながら走っていきました。
そんな後姿に、小鳥さんなんて、変わった名前。苗字だろうか、それとも名前だろうか、とわたしはどうでもいい事を思い浮かべていました。
すると、不意に、小鳥さんの友達の押し殺した声が、夏の風に乗って、わたしの耳元に届きました。
「小鳥、なに宮野なんかと話してたの?」
明らかに、わたしを毛嫌いするような口調の棘です。でも、小鳥さんはわたしに見せたのと同じような、からからとした笑い声と共に「花の話してただけ」と言いました。
「でもさ、宮野って何か、根暗だし、名に考えてるか良くわかんないし、気持ち悪くない?」
「そうそう、いつも、ぼんやりしてて、何処見てるのか分からないし」
「中学のころと別人だよね」
「そりゃ、あんなことがあったんだもん、別人にもなるって」
口々に、わたしへの批判らしき言葉が飛んできます。でも、彼女たちは、わたしが意外と地獄耳だという事を知りません。なので、わたしは聞こえていない振りを決め込みました。
弟に指摘されるほど、わたしは感情を顔に出すのが得意ではありません。笑ったり怒ったりする方法を、忘れてしまったのです。だから、相手にしてみれば、わたし何を考えているのか分からない、というのも無理はありませんでした。しかし、
「でもでも、最近宮野ってば、生物の桜井先生に媚売ってるって話だよ」
というのには、さすがに驚いてしまいました。媚を売っているつもりなんかありませんし、噂になっていることも知りませんでした。もちろん、わたしと先生の関係は、部活の部員と顧問以外の何ものでもないのですが、ゴシップ的な噂話というのは、年齢を問わず誰だって好きなものです。
「なんか、中庭にある花壇をいじってるって聞いた。先生を顎でこき使ってるらしいよ」
「マジで!? うわぁ、ショック。桜井先生のこと好きだったのに」
噂には、尾ひれが付くのは当たり前です。でも、さすがに桜井先生の名誉のためにも、反論をした方がいいのかなと思ったその時、意外にも黙って話を聞いていた小鳥さんが、少し声を荒げて言いました。
「そんなことないって! 少なくとも、花が好きな人に、悪い人はいない!」
その言葉に、呆然としたのは、他ならぬわたしでした。
突然わたしに話しかけてきて、わたしの見方をしてくれるなんて、不思議な人……。
「なにそれ、ドラマの科白? ダサいよ、小鳥!」
ケタケタと大声で笑う、小鳥さんの友達たちを他所に、わたしは小鳥さんの背中をぼんやりと見つめて、少しだけ嬉しい気持ちになっている自分に気付きました。
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