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6. 商店街の花屋

 世の中は不景気だそうです。

 暗い話ばかりが、右へ左へ飛び交っても、高校生のわたしには、それほど実感が湧くものではありませんでした。ところが、いざアルバイトを探してみると、なかなか見つからなくて、ようやく世の中が不景気なんだ、という実感を得ました。あんまり嬉しいことではありません。きっとわたしの両親も、世の中の大人の人たちすべてが、とっても苦労しているんだと思うと、少しばかり胸が痛みます。

 桜井先生も苦労されているのでしょうか? もしそうだとしたら、わたしのわがままにつき合わせるような形になってしまったことは、とても申し訳なく思います。それでも、わたしは計画を実現したいのです。そうしなければ、わたしは前に進めない……。そんな気がするのです。

 アルバイトの条件にこだわりはありません。高校生でも雇ってくれて、頭の悪いわたしがちゃんと学業と両立できるのなら、どんなお仕事だって頑張ります。お給金だって、花壇に花を植えるためのお小遣いが稼げたら、それでいいのです。でも、どのアルバイトも、帯に長し襷に短しです。

 どんな仕事でも頑張る、と言った以上は、どんな仕事でもウェルカムなはずなのですが、やっぱり身の丈に合う仕事と、合わない仕事があります。例えば、ファミレスの接客はわたしには向いていないでしょう。作り笑顔も出来なくて、弟に窘められるような、根暗のわたしが「いらっしゃいませ」と言ったところで、お客さんに不快な思いをさせてしまいます。かと言って、体力に自信があるわけではありません。肉体労働は、わたしには向いていません。

 そんな事を言っていると、本当にわがまま以外の何ものでもなくなってしまいますが、アルバイトを理由に、両親や弟に迷惑をかけたくありません。中間試験の点数は、予想通りあまりいいものではありませんでした。わたしの両親は、成績の事をとやかく言う人たちではありませんが、言われないから余計に心苦しくて、アルバイトをするなんて切り出せず、結局家族にはこそこそとしながら、アルバイト探しを始めました。

 それに、桜井先生にも「無理はするな」と言われました。わたしの通う高校では校則で、アルバイトが禁止されています。もちろん、先生たちの眼を盗んでアルバイトしている子はたくさん居るけれど、だからと言って、わたしのわがままに付き合ってくれる、優しい桜井先生にも迷惑をかけるわけには行きません。

 そうして、中々良いアルバイトにめぐり合うことが出来ずに、やきもきしていたわたしの前に現れたのが、「フラワーショップ・タカナシ」でした。

 通学路の途中、国道を渡り、一本路地に入ったところに商店街があります。八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さん、クリーニング屋さん、喫茶店に並ぶ、小さくて可愛らしいお花屋さんに、アルバイト募集の貼り紙を見つけたのは、ほとんど偶然でした。むしろ、こんなところにお花屋さんがあったことを、全然知りませんでした。

 本当は学校の帰り道、無料のアルバイト雑誌を手に入れるために、立ち寄ったのですが、そんなことなんて忘れてしまって、吸い寄せられるように、わたしは「フラワーショップ・タカナシ」の入り口をくぐりました。

 店内はとても静かで、花のために空調が効かせてあり、ひんやりとしていました。すこし息を大きく吸い込むと、店内に所狭しと並べられた、色んな花のいい匂いが、ふんわりと鼻をくすぐります。

「いらっしゃい」

 奥の方から声がして、わたしはドキリとしました。

「何のお花をお探しですか?」

 にっこりと優しそうな笑顔で、わたしの傍にやって来たのは、黄色いエプロン姿と店長のネームを付けた、女の人。わたしよりずっと年上、わたしのお母さんくらいの年齢でしょうか。目じりに少し小じわが見え隠れしていますが、目鼻立ちの整った、ポニーテールの良く似合う明るい美人な女の人です。

「もしも、店内にない花をお探しでしたら、ご注文下さい。三日以内には、お取り寄せできると思います」

 てっきりお客さんだと勘違いしている店長さんに、わたしは慌てて頭を左右に振りました。

「あ、あのあの。違うんです。わたし、アルバイトの貼り紙をみて」

 突然舞い降りた緊張の所為で美味く言葉に出来ませんでした。だけど、店長さんは、一瞬だけ驚いたような顔をすると、再び優しそうな笑顔になって、

「あら、そうだったの? ごめんなさいね、お客さんだと思ったの。それじゃ、早速面接をしましょう。奥へどうぞ」

 と、わたしをお店の奥に事務所へと案内してくれました。事務所といっても、人が三人も入ればぎゅうぎゅうになりそうな、本当に小さな部屋で、簡易のデスクとパソコン、パイプ椅子が二つあるだけです。

「えっと、わたしは店長の、タカナシです。あなたのお名前は?」

 勧められたパイプ椅子にわたしが腰を下ろすなり、店長さんこと、タカナシさんは面接を始めました。「宮野美咲です」と名乗る声も、思わず裏返ってしまいます。

「美咲ちゃんね……。さっそく、アルバイトの件なんだけど、一つだけ確認させて。あなたのその制服から察するに、あなた西高の生徒さんよね?」

「はい、そうです」

 と、わたしが頷くと、タカナシさんは少しだけ顔を曇らせました。

「たしかあそこはアルバイト禁止のはずじゃなかったかしら。校則を破っても、アルバイトしたいの? お小遣い、足りない?」

「えっと、その……」

 タカナシさんの疑問に、上手く説明する自信がありませんでした。何度か、言葉に詰まりながらも、ようやくタカナシさんに分かるように、アルバイトの動機を話し終えたときには、すでに時計の針が半周していました。

 いつから、わたしはこんなに口下手になってしまったのだろう……、タカナシさんは、口を閉ざすと何事か思案をめぐらせているようで、沈黙と時計の音だけが、わたしとタカナシさんの間を流れていく間、わたしはずっとそんな事を考えながら、床を見つめていました。

「子育てもひと段落して、ずっと夢だったお店を実家の近くに開くことができたの。ちょうど、二ヶ月前」

 不意に、タカナシさんが語り始めます。

「こんな小さな、フラワーショップだから一人で何でもできるって思ったんだけどね。経営っていうのは、思ってるよりも難しいもので、夫や娘に手伝ってもらうことも出来るけれど、家族の反対を押し切って、わがままで始めたお店だから、これ以上迷惑はかけられない。そういうわけで、あなたにお給料を弾んであげることは出来ないわよ」

 確かに、失礼だけど、儲かっているようには見えない、小さなお花屋さん。それでも、花壇に植えるお花のために、お花屋さんでアルバイトできたら、とても素敵なことだと思います。それは同時に、わたしの計画が一歩前進に近づくということです。だから、お給金なんて、いくらでも構わないのです。

「フラワーショップの仕事はとても大変よ。商品を枯らさないようにちゃんと手入れしてやらなくちゃならないし、あまり楽しい仕事じゃないわ。アルバイトと言っても、毎日来てもらうことになるかもしれない」

「一生懸命がんばります」

 決まり文句のような言葉をわたしが言うと、タカナシさんは少しだけ苦笑いを見せました。

「無理をしてはだめよ。ちゃんと受験勉強もすること。家族やお友達に迷惑をかけないこと。それが約束できるならアルバイトに来て。わたしも、美咲ちゃんに無理強いはしないし、学校にも内緒にしてあげる」

「本当ですか?」

「ええ、勿論よ。どうせ、アルバイト禁止なんて言っても、ほとんどの学生がアルバイトしてるものよ。わたしも、高校生の頃は、よくアルバイトしたものよ」

 遠い昔を懐かしむように言ったタカナシさんは、すっとわたしに手を伸ばしてきました。わたしが、おずおずとその手を掴むと、タカナシさんはにっこりと微笑んで力強く握手してくれました。

「じゃあ、エプロンを用意しておくから、来週からアルバイト、よろしくね」

 そう言われて、わたしはなんだかとても嬉しくなって、でも顔は全然笑っていなかったけれど、何度も何度も頷き返して、お礼の言葉を口にしました。

 それから、少しだけ仕事のお話をして、家に帰る時刻には、商店街のほとんどのお店が、シャッターを下ろした後でした。わざわざ国道まで送ってくれたタカナシさんは、別れ際にふと何かを思い出したように、歩き出したわたしを呼び止めました。

「そういえば、わたしの娘も西高に通ってるんだけど……美咲ちゃんと同い年の三年生。タカナシカノって言うんだけど、知らない?」

 心当たりのない名前に、わたしは思わずきょとんとしてしまいました。そもそも、わたしは友達も居ないため、同級生の名前すらろくに覚えていません。だから、タカナシカノ、と言われてもピンと来るものはありませんでした。

「そっか、知らないか。フラワーショップを始めてから忙しくて、娘とはろくに口聞いてないのよ。ちゃんと、受験勉強してるんだか……。これでも親としては気にになるの。だから、もしも知ってるなら、って思ったんだけど」

 わたしの表情を読み取って、タカナシさんは少しばかり、残念そうに溜息を吐きました。何と言葉を返していいのか分かりません。

「まあ、いいわ……。気をつけて帰るのよ、美咲ちゃん」

 わたしは言葉に迷ったまま、何も言い出せず、家路に就きました。そんなわたしのことを、歩道橋の向こうに見えなくなるまで、タカナシさんは見送ってくれました。

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