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27. どうするべきか

 宮野のことを気にかけていたのは事実だ。

 初めて宮野に会ったとき、その横顔や醸し出す雰囲気に、過去と重ね合わせた。だが、屋上を聖域だと言って、禁則を破るような不良教師でも、宮野を他の誰かと重ねて、自分の心に空いた穴を埋め合わせようとするような愚昧な人間ではないと、自分では思っている。

 始まりは確かに、宮野のことを見ていなかったのかもしれない。それでも、一緒に園芸部を初めて、少しずつ宮野に近づいていくと、いろいろなことに気付いた。

 宮野は、俺と同じような心のどこかに、ぽっかりと空いた穴を持っていて、時折、季節の風に運ばれてきた砂によって、ザラザラとした感覚に顔をしかめている。そして、宮野には、どこか放っておけないところがあった。そういうのに、男ってやつは、とても弱くて、それについては俺も例外ではなかった。

 三年前に犯した罪を背負い込み、明るかった自分を押し殺す。それだけが贖罪だと信じて疑わない。厳密に言えば、宮野は親友をいじめたわけではない。ただあたりまえのように、自分を守っただけなのだ。しかし、その結果が親友との辛い別れだった。だから、宮野はバカが付くぐらい正直に、自分の罪だと言って、背負い込んだのだ。そんなこと出来る人間なんて、そんなにたくさんはいない。

 だが、そんな自分と訣別したいと願うあまり、宮野は、ひとりで思い詰めて、がむしゃらに行動して、他人に迷惑がかかったと知り、ひどく後悔した。人一倍泣き虫で、さびしがり屋で、自分に自信を持てなくて、でも前に進みたいと願い頑張る宮野の姿に、大げさな言い方をすれば、「守ってやりたい」と思ってしまったのだ。

 だから、花壇が荒らされ、宮野が無断欠席したあの日。取るものもとりあえず、仕事を放り出して、宮野をデートに連れ出した。その時点で、宮野という存在が、俺の中で特別になってしまった。平たく言えば。心惹かれてしまったのだ。もちろん、相手は生徒で、俺は教師。特別に思ってはいけない相手だとわかっている。それなのに、そういう思いは、本やドラマなど創作の世界だけの出来事であるはずなのに、いざ自分の身に降りかかると、心に嘘はつけなかった。

 教師になろう、そう思った遠い日、俺は立派な教師になるつもりだった。テレビの学園ドラマのような熱血教師ではなくて、多くの生徒を分け隔てなく接していけるような、そういう身の丈分の立派な教師だ。

 しかし、現実は、生徒に特別な思いを抱いてしまう、とんでもない悪辣な教師になってしまった。それでも、後悔していないのはなぜなのか……。宮野が、笑っていてくれさえすれば、それでいいと思えるのはなぜか……。

 その理由も、ちゃんとわかっている。あとは、自分が教師としてではなく、俺自身として、どう決断するかだけだった。

 教頭から、二通の書類を渡され俺は、項垂れながら大川の聖域こと、保健室へと向かった。大川は、いつも通りコーヒーを出してくれたが、俺の話を聞くにつれ、だんだんと険しい顔とあきれ顔の入り混じった複雑な表情を見せた。

 そして、話し終えた俺に一言。

「ロリコン」

 突きつけられた、まるで矢じりのような言葉を、俺は寸でのところで交わす。

「誰がロリコンだ、人聞きの悪い! 宮野は、十八だ。べつに年齢は関係ないだろ!?」

「じゃあ、淫行教師」

 続いて、大川の口から、弾丸のような凶悪な言葉が飛び出した。冗談の類じゃないことは、大川の表情を見ればすぐにわかる。宮野と違って、大川は考えていることを表情に出すことを拒まない。いつもなら、お互い知った仲だから、冗談に冗談で返してやるところだが、相手が冗談のつもりではない以上、こちらも冗談では返せなかった。

「淫行って、そんなことしてねえ!」

「そりゃ、そうよね。そんな度胸ないわよね、桜井くんに。でも、宮野さんに特別課外授業はまずかったわね」

「特別課外授業って、ただ、植物園に行っただけだよ。今後の園芸部の活動方針を決めるために」

「宮野さん、卒業するのに?」

 鋭いツッコミに、「うっ」と思わず絶句してしまう。

 宮野をデートに連れ出したのは、本当にやましい気持ちなどなくて、落ち込む宮野の背中を、少しだけ押してやるつもりだった。植物園なんて、目的地はどこでもよかったのだ。ただ、宮野とゆっくり話せる場所がほしかっただけ。だが、そういう内心を言葉にするのは、想像以上に恥ずかしいもので、特にかつて恋人同士だった時期のある大川には話せなかった。

「まあ、桜井くんが宮野さんのことをどう思っているかは、とっくの昔に気付いていたことだし、桜井くんが、淫行教師に成り下がるようなやつじゃないことはよく知っているわ。お互い、付き合いが長いものね。でも、桜井くんは、どうなの? その気持ちに嘘偽りはないの? 過去を引きずったままなのは、あなたも同じじゃないかしら」

 大川は、昔のことを知っている。まだ俺たちが宮野と同じ歳で、俺の隣に彼女として並んでいた大川は、俺と俺の家族の次に、あの日の出来事に近しいところにいた。まったくの第三者という視点で、大川

俺を通してすべてを知っている。

「過去を引きずったままなのは、否定しない。でも、自分でも確信がある。俺は、陽香(はるか)と宮野を重ね合わせたりしていない。最初はそうだったかもしれないが、今はきっぱり『違う』と言い切れる」

「本当に? もしも、あなたが宮野さんと陽香ちゃんを重ねているとしたら、悲しむのは宮野さんじゃないかしら」

 なんでもお見通しの大川は、コーヒーをすすりながら、カップの隙間からチラリと鋭い視線を向けて言った。

「宮野が?」

「そうよ。他の誰かと重ねられるというのは、女の子にとっては致命的なのよ。自分だけを見てほしいっていう、独占欲かもしれないわね。わたしも十代のころは、そうだったからよくわかる」

 フッと遠い眼をする大川。その瞳が、俺を通り越して見ているのは、きっと、まだ宮野たちと歳の変わらない高校生の俺たちだろう。

「今は違うのかよ?」

「あら、わたしをいくつだと思ってるの。あなたで苦い経験もした。そして、あなたと別れてから、たくさん恋してきたわ。そうやって、経験値をためていったんだもの、今さら純情な乙女を気取るつもりなんてない。でもね、宮野さんは違う。高校生活という青春の一ページを、良心の呵責だけで潰してしまった。彼女にとって、これが本当の恋なら、あなたの言葉の真偽は、とても重いものなのよ」

「本当の恋って、宮野が俺に? 悪いけど、そんな自惚れはないよ。宮野には似合う年頃のやつがいるだろう。よりにもよって、生徒と先生の関係を壊したいなんて」

「思うのが、純情な乙女ってやつよ。宮野さんは今、そういう時間を生きている。そして、優しくしてくれるあなたに、心惹かれてる。これは間違いないわ。女の勘っていうより、むしろ生徒の心まで気を配る、そういう職業柄の直感よ」

 俺の言葉にかぶせた、大川は微笑みを浮かべた。しかし、俺はことさら驚きはしていなかった。うぬぼれてはいない代わりに、そうであったらいいのに、と思っていたことは事実だ。俺にとって、心の中で宮野が特別になったように、宮野の心の中で、俺が特別であってほしいと願っていた。もしも叶うなら、気恥ずかしさを圧してでも、宮野と気持ちを伝えあいたい。

 しかし、それは……。

「道ならぬ恋」

 俺が呟くように言うと、大川はあからさまな溜息をついた。

「時代が寛容になっても、教師と生徒の恋愛なんて、認められるものじゃないわね。職業倫理ってやつ。面倒なことだけど、教師にとって教え子の一人を特別扱いすることは、医者が手術と銘打った実験をやるのと同じくらい、倫理違反かもしれない」

 例えとしては、厳しすぎることを口にした大川は、俺の手元にある二つの用紙を指差した。

「でも、恋することは、間違いじゃない。人を好きになることが悪いことなら、この世は憎しみだけにあふれる。優しさなんてどこにもないなんて、悲しすぎるわ」

「矛盾……してるよな。俺が教師でなければ、宮野が生徒でなければ、出会うことはなかった」

「出会わなければ、恋は始まらないってね、昔読んだ恋愛小説に書いてあったわ。だから、あなたはもう決めているんでしょう? どうするべきか。大人として、教師として」

「ああ。矛盾を乗り切れるほど、俺も宮野も小利口じゃないからな。誰かが、身を引かなければならない。この場合、俺か宮野か……」

 俺は、まるで自分に言い聞かせるように、瞳を二枚の用紙に落とした。この二枚は、ことを大きくしたくない、事なかれ主義の教頭からの、俺たちに向けた「情け」のようなものだ。もしも、保護者会全体に知られることとなれば、俺はおろか宮野も、この学校にはいられなくなるかもしれない。そうなる前に、どちらかが身を引け、そういうことなのだ。

 一枚は、宮野の転校申請書。編入試験を受けるためにも、必要な書類の一つだ。もちろん、まだ名前の欄をはじめとする、すべての項目が空欄のままだ。

 そして、もう一枚は、俺の転勤届。すでに、転勤先の学校名は記されている。ここへ来る前に紐解いた地図によれば、東北の田舎にある定員割れするような小さな高校らしい。

 そして、転勤届の名前の欄には、すでに俺の名前と印鑑が捺印されている。それも、ここへ来る前に、書いておいたものだ。

 そう、もう決まってるんだ。どうするべきか、身を引くのはどちらか……。




 

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