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21. デートのお誘い

 デートなんて、ちょっとした冗談のつもりだ。

 無断で学校をサボった宮野を、家から引っ張り出すための口実だった。だからと言って、彼女を無理矢理学校に連れて行くつもりもない。そうしたところで、彼女の涙を拭うことは出来ないだろう。

 宮野が、泣くのを見たのはこれで二度目。一度目は、俺が大人気なく叱り飛ばした所為で、宮野を泣かせてしまった。悪いのは半分俺だ。しかし今回は違う。園芸部を始めて、三ヶ月あまり。宮野と二人で毎日欠かさずに世話してきた花壇が、何者かによって、無残にもあらされてしまった。いたずらなのか、それともイジメのつもりなのか分からない。いずれにしても、心無い第三者の手によるものだ。小説の中の名探偵なら、犯人探しもしただろう。もちろん、宮野の泣き顔を見たときは、頭にカッと血が上り、犯人を見つけ出して、ぶん殴ってやろうとさえ思った。しかし、俺は教師であり、名探偵ではない。心無い第三者が誰であっても、生徒や同僚たちに疑いをかけることは、教職の人間がするべきことではない。

 荒らされた花壇の片付けもそこそこに、大川と小鳥遊に送られて家路に就く、すっかり気落ちした宮野の背中を見送りながら、教師の俺に出来ること……いや、教師としてだけでなく、俺自身として出来ることは、彼女の涙を拭ってやることしかないと、思った。

 しかし、案の定と言うべきか、翌日宮野は学校に姿を見せなかった。予想していたこととは言え、昨日の事を思い出せば、宮野のことが気になって仕方がない。午前中の授業がまったく手につかず、板書を間違っては、生徒に指摘される始末。教師としては情けない限りで、このままではいけないと思い立った俺は、宮野のクラス担任に頼み込み、彼女の家の住所を聞き出した。

 そうして、取るものもとりあえず、午後の予定をすべて放り出して、通勤に使っている白い乗用車を、宮野の家まで走らせたのである。

『少し、待っていてください』

 短い文面の返信のあと、宮野は部屋のカーテンを閉めた。女の支度は時間がかかるもの。それが、高校生であったとしても、変わりないことは、八年前に大川から教わったことだ。

 待つことは嫌いじゃない。

 車の外でぼんやりと、宮野家の白い壁と赤い屋根の外観を眺めながら、タバコを吹かせて宮野が来るのを待つ。昔から、気長であることは、俺にとっての数少ない長所だ。

 しかし、たっぷり三十分の時間をかけて身支度を終え、玄関から飛び出してきた宮野は、寝癖こそ直っていたものの、何故かいつもと変わらない制服姿だった。

「なんだ、その格好。デートの服装じゃないよな。それとも、今から学校へ行きたいのか?」

 苦笑をかみ殺しながら言うと、宮野はいささか恥ずかしそうな顔を、左右に振った。

「その、わたし、私服をあんまり持ってないんです。だから、そのっ、制服が一番無難かなって。ごめんなさい」

「べつに謝るところじゃないよ。その方が、課外活動に見えるだろう。さあ、乗って」

 まるでハイヤーの運転手のように助手席の扉を開き、宮野を手招きした。宮野は、怪訝な目をして俺を見る。

「あの、わたしとデートって、本気なんですか?」

「本気本気、大真面目。俺は、いつだって真面目だから。とにかく、変なとこにつれて行くような趣味は持ってないから、安心しろ」

 軽いジョークを交えてやると、宮野は心なしか安心したように、助手席に乗り込んだ。

 平日の町並みを横目に、ハンドルを切って目的地……所謂デートスポットへと車を走らせる。無口な宮野との会話が弾むはずもなく、車内にひびくのは無機質なエンジン音ばかり。ステレオやラジオを付けて、沈黙を払うこともできたが、学校をサボったという特殊な状況と、普段は見ることのできない平日の町並みや行き交う人の姿を車窓から眺める宮野は、心なしかうきうきしているように見えた。昨日、あんなに辛いことがあったことを思えば、彼女のうきうきに水を差したくはない。

「先生」

 俺の内心を他所に、車窓越しに流れる町並みを見つめていた、宮野が呟く。

「どこへ行くんですか?」

「それは着いてからのお楽しみ」

「先生」

「なんだ? 本当に変なところじゃないから、安心してくれよ」

「違います。……この車、タバコくさいです」

 宮野なりの冗談のつもりだったのか、それとも本心かは分からない。言うほど、俺の車にタバコのにおいは染み付いていない。一応、これでも愛車だ。なるべく車中でタバコをすわないように心がけているし、手入れも欠かさないようにしている。

 俺は、宮野の言葉を冗談と受け取って、「慣れればいいにおいだよ」と笑って返した。だが、宮野の顔は簡単には微笑まない。もともと、分かりにくい表情の持ち主である。本人は「笑い方を忘れた」と言っていたが、中学時代の写真に見る、宮野美咲は今と言う時間を精一杯楽しんでいるような満面の笑顔をしていた。そんな笑顔を忘れてしまうことは、人間に出来ることではない。脳の一番深い場所に、記憶されているはずなのだ。

 つまり、宮野は「忘れた」のではなく、「忘れたい」だけなのだ。どうしてそうするのか、うなってしまった理由は何なのか、それを知りたい。

 しかし、花壇が荒らされ、つぼみをつけたエリカの花が全滅してしまった今、宮野が言っていた「やりたいこと」は、もう実りを迎えることはない。それなら、なぜ宮野が明朗快活だった自分を押し殺してしまったのか、そして、彼女が何を考えて園芸部を始めたのか、今すぐにでも、知りたい。知らなければ、彼女の波を拭いてやることなんて、できやしない。

 そのために、俺は宮野を助手席に乗せて、ここまでやってきたのだ。

『海の見える植物園』

 温室を五つほど備えたありきたりな植物園だが、世界中に咲く色とりどり、何千種もの花を一年通して鑑賞できる。また、『海の見える』と言う名前のとおり、古いメリケン埠頭に面した場所で、園内には、レンガ造りの倉庫やガス灯などの、趣のある明治期の建物が、当時の面影を残しているため、デートスポットとしても、それなりに名が通っている。

 園芸部の課外活動にはうってつけの場所だ。宮野が園芸部を始めた理由がなんであれ、あれだけ花のことに詳しいのだから、花が好きということは間違いないだろう。宮野と二人で行くなら、ここしかないだろうと、最初から思っていた。

 現に、車を降りた宮野は、表情に表れなくても、嬉しそうだった。

 もちろん、ここは大人として、先生として、課外活動の名を借りたデートに誘った者として、宮野の入場料くらいおごる義務がある。遠慮しがちな宮野をどうにか説得し、財布片手にチケット売り場へ進むと、チケット売りの女性は、一瞬怪訝な顔をして俺たちを一瞥したものの、さしてとがめる様子もなく、流れ作業のようにチケットをもぎってくれた。

 そうして、半券を握り締め入場した園内は、入り口の広場から、すでに鮮やかなの花であふれていた。いわゆる季節の展示と言うやつで、温室へ続くコンコースの両脇の花壇を、ピンク色に染まったコスモスが埋め尽くしている。それは、宮野が感嘆の声を漏らすのも、無理ないほど、美しい光景だった。

「きれい……」

 彼女の両目に映るものと、俺の目に映るものは同じ。だが、宮野の感じているものと、俺が感じているものは少し違うだろう。確かに、あたり一面のコスモスは、荘厳な迫力と美しさがあり、目を奪われる。しかし、俺の視線はコスモスの花壇に目を輝かせる宮野に向いていた。宮野が嬉しそうにしていることが、俺にとって嬉しいことなのだ。

 コンコースのコスモス畑を縦断すれば、そこからは温室が続く。平日と言うこともあってか、客の姿はまばらだったが、温室内には、季節外れの花も、日本では咲くことのない外国の花も、ガラス張りの温かさに守られて、見事に咲き誇っていた。

 花のことに詳しくない、と言うよりは無知な俺は、温室内に飾られた花々を見て、こんなにも世界にはいろんな花があったのかと、赤、白、黄色の花々を見て、なんだか平凡な感想を思いついた。もちろん、格好悪いので

口には出さない。

 一方、花好きの心に火がついたのか、微妙にだが、宮野の口数が多くなっていった。

「あっちの白い花は、ランの一種で……」

 別に訊いてもいないのだが、宮野は逐一、覚えきれないほどの花の名前など色々なことを俺に教えてくれる。花を前にすれば、教師と生徒の立場が逆転してしまうのも、実のところ少しばかり心地よかった。

 そうして、二時間近くじっくりと花を観賞した俺たちは、温室を抜けて、植物園の裏手にある、メリケン埠頭へと足を向けた。もともとここには、外国から輸入された小麦の貯蔵倉庫があったらしい。その土地を買って、植物園にした、初代園長がメリケン埠頭の名残を残すことにした。そのおかげで、植物園にとっては蛇足的なレンガ造りの倉庫群だが、デートスポットとしては最適な植物園となったのだ。

「二時間も歩きっぱなしで疲れた。そこで一休みしないか? ジュースでも買ってくるよ」

 ガス灯の下に並べられたベンチを指差して言うと、ひとまず宮野を残して、手近な自販機で適当な飲み物を手に入れる。そして、缶を両手に握りベンチまで戻ると、先に腰を下ろしていた宮野は、ぼんやりとしていた。

 彼女の瞳に映るのは、ベンチから見渡せる、穏やかな海だ。緩やかに埠頭を駆け抜ける心地よい秋色の海風に、宮野の長い髪がなびいていた。静かで、とても絵になる風景に、俺はしばし立ち止まって、彼女のうしろ姿を見つめた。

 初めてであったとき、宮野の姿を見て、思わずあいつと重ねそうになった。顔かたちはそれほど似ていないし、背丈も声も仕草だってまったくの別人だと言うのに、醸し出す雰囲気が瓜二つだったのだ。しかし、園芸部を始めて、宮野と長い時間接するにつれて、宮野は宮野だと思うようになった。だから、今俺の目に映るのは、宮野美咲だ。

 彼女の心は、目の前の海と同じように、穏やかでいるのだろうか。いや、そんなはずはない。昨日の出来事を思えば、泣きたいくらいだろう。しかし、どうやったら、宮野の涙を拭ってやれる? 大川なら、冗談の一つも言ってやれば、すぐに元気になるが、宮野は違う。過去の彼女が明るく朗らかな少女だったのかどうかさえも疑わしいほど、現在の宮野は、繊細なガラス細工のようだ……。

「先生、どうしたんですか?」

 視線に気づいたのか、宮野は怪訝な顔をする。俺は取り繕うような笑顔を浮かべつつ、宮野の隣に腰を下ろした。

「オレンジジュースでよかったか?」

 中身と同じ色をしたジュースの缶を差し出すと、宮野は少しばかり遠慮がちに「ありがとうございます」と礼を口にして、それを手に取った。

 二人してベンチに腰掛け、海を眺めながら、ジュースを飲む。今日が平日で、お互いに仕事と学業を放り出してきたことも、ゆるゆると時間が過ぎていくことも忘れるほど、本当に穏やかで平静な時が流れていく。ジュースが空になるまで、お互い沈黙していたが、それは嫌な沈黙ではなかった。むしろ、心地いいほど、俺と宮野は埠頭の眺めに心癒されていた。

「あの、先生」

 不意に、宮野が口を開く。

「ありがとうございました。わたしを元気付けてくれるために、植物園に連れてきてくださったんですよね? それとも、今日がわたしの誕生日だってこと、覚えていてくれたんですか?」

「まあ、そのどちらもあるけれど……ずっと前から、お前に聞きたいことがあった。ちょうどいい機会だからな」

 と、もったいぶったように言うと、宮野は手持ちの缶を膝の上に乗せて、きょとんとした。

「聞きたいこと?」

「ああ、そうだ。俺は、まだるっこしいのがあんまり得意じゃない。だから、単刀直入に聞くよ」

 俺は、そう前置いてから、宮野に尋ねた。そう、ずっと気になっていたことだ。

「宮野、嘘ついてるよな。お前の本当の誕生日は、十月七日じゃないよな?」


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