18. 忘れられた笑顔
先生は、優しくしているつもりはない、とわたしに言いました。
だけど、先生に「ごめんなさい」を伝えたとき、わたしたちの間に吹いた風は秋の気配を感じさせるほど涼しかったにもかかわらず、わたしの頭をなでくれる先生の手はとても優しくて、胸の奥がじんわりとあったかくなりました。
どうして、そんなに優しくしてくれるの? どうして、先に謝ってくれたの? どうして、何も聞かずに微笑みかけてくれるの? 先生に問い掛けたい言葉はたくさんあります。だけど、先生が優しいのは、きっと先生の人柄で、なにもわたしを特別扱いしているわけじゃありません。そんなの、当たり前のことです。
当たり前のことだと分かっているのに、先生に頭をなでられたその時から、わたしの胸の奥に、たしかに先生と言う存在が刻み込まれ、いつか先生の「特別」になりたい、と思うようになりました。
そう、特別に……。
九月、夏の名残を残す日差しと、高くなった空に浮かぶ白い秋雲。夏休みの終わりは、わたしたち受験生にとって、大学受験という決戦へのスタートラインです。後期の始まりと共に、待ってましたと言わんばかりに、有名予備校の模擬試験が行われ、何とか志望校への合格ラインを確保できたのは、きっと小鳥さんのおかげだと、口には出さないけれど、心の奥では本当に感謝しています。
先生と仲直りできたのも、園芸部を再開できたのも、間違いなく、あの日の小鳥さんの後押しがあったからに他なりません。
そんな小鳥さんとの距離は、夏休みが終わるのを待たずして、ぐっと縮まりました。とうとう海に行くことは叶いませんでしたが、二人で街をぶらついたり、おしゃべりしたり。学校が始まってからも、小鳥さんが一方的に語りかけ、わたしが黙って聞くだけといういつもどおりのスタンスが、すでにわたしたちの学校生活の一部になりつつあります。
それは、久しく味わっていなかった、楽しい時間と言ってもいいのかもしれません。
小鳥さんの友達だった子たちは、小鳥さんがわたしと仲良くすることを、快く思っていないでしょう。だって、わたしは根暗で無口で、挙句の果てに桜井先生に媚を売る、いやらしい生徒、というレッテルを貼られています。もっとも、わたしが肯定も否定もしないから、そういう誤解が生まれるのです。
だけど、小鳥さんは周囲の陰口なんて、明るく笑い飛ばして、わたしに変わらない友情を与えてくれました。
そんな小鳥さんのことを、本当は親友と呼びたい……呼べる日が来ることを願って止みません。だけど、そう呼ぶことは、とても怖いことです。なぜなら、わたしは隠し事をしています。それは、先生にも隠していることです。幻滅されたくないから、必死になって心の奥底に閉じ込めながらも、わたし自身は、常にその過去の過ちに苛まれ続けている。このジレンマが、やがてもう一度同じような出来事に結びつくかもしれない、という恐怖は簡単に拭い去れませんでした。
人は、永遠に友達でいることは出来ない。偉い人の言葉ではありませんが、諍いやトラブルは、常に足元に転がっていて、一度捻じ曲がったものが、簡単には元に戻らないように、こじれた友情も簡単に元に戻すことは出来ません。その反面で、歳をとっても変わらない友情を育み続ける人もいます。そういうのは、とっても珍しいことかもしれませんが、わたしは出来るなら、わたしのことを友達だと言ってくれる人と、ずっとずっと友達でいたいと思うのです。こじれた友情も、取り戻したいのです。
そのためにも「計画」は絶対に成功させなければなりません。きっと、わたしの計画はわたしが思っているよりもっと、他の誰でもないわたし自身の未来を左右するものなのです。だから、わたしは、受験勉強の合間を縫って、先生と一緒にせっせと水をやり、雑草を抜き、肥料を与えました。
いろいろあって、小鳥さんがタカナシさんのお店を手伝うことになり、代わりに、わたしには十分な余裕が生まれ、先生との約束通り、無理をせずに部活動と受験勉強を両立することが出来るようになりました。もっとも、わたしはアルバイトをお払い箱になってしまったわけなのですが、小鳥さんとタカナシさんが母子の絆を取り戻せたことは、友達として喜ぶべきことです。
もしも、この花壇に花が咲いたら、二人にも感謝の花束をプレゼントをしたいと思います。だって、タカナシさんのお店でアルバイトできたから、こうして花壇に花の種を植えることも出来たのです。
ところが、いくら待ってもヒースの花が芽吹くことはありませんでした。
わたしがヒースの種を植えたのは二ヶ月前の七月。ヒースの植え付け時期はとっくに過ぎていて、それは遅すぎる部活申請と同じように、時期を完全に逸しています。ですが、そんなことは図鑑やガーデニング手引書を読めばすぐに分かることで、先生に言われるまでもなく、ちゃんと知っています。
それなのに、花壇にヒースを植えたのは、わたしの「計画」それ自体が、「賭け」みたいなものだったからです。
賭けごとはあまり好きではありません。そもそも、勝ち負けを競い合うことが好きではありません。中学のころ、わたしは水泳部に所属していました。県内大会でも、それなりの成績を収められる実力を持っていたのですが、わたしが一等でゴールのタッチを決めれば、それとほぼ同時に、わたしに負ける人たちが存在します。勝負に負けた人たちは、悔しい思いをして、時には涙を流します。大会のために行ってきた辛い練習も、文字通りすべて水の泡になってしまったのですから、無理もありません。そのとき、敗者を目の当たりにしたわたしは、決まって胸が苦しくなりました。
同じように、プロセスに多少の違いはあっても、賭け事もきっぱりと、勝者と敗者を決めるものです。でも、この賭けは、わたしだけの賭け事です。勝つのも負けるのもわたしだけ。だからこそ、勝ちたい。勝たなければ、「計画」は実りを得ません。実りを得なければ、わたしのわがままに付き合ってくれる先生に、なんと説明したら良いのかも思いつきません。
だから、言葉や意思が伝わらない植物に、わたしが出来ることは、芽吹きを強く思い描きながら、園芸部員としてふさわしく、中庭の花壇を手入れしてやることだけでした。
そうして、時間はあっという間に過ぎていき、九月のカレンダーも終わりに近づいたころ、半ば諦めと落胆が鎌首をもたげ始めた矢先、放課後の教室に桜井先生が駆け込んできました。先生は、わたしたちのクラスを受け持っている先生ではありません。わたしたちの教室に用があるとすれば、それはわたしに用事があるということなのです。
ちょうどそのとき、わたしは帰り支度をしながら、小鳥さんのおしゃべりをいつも通りに黙って耳を傾けている真っ最中でした。話題は、フラワーショップのお話で、小鳥さんのお母さん……つまりタカナシさんが、「たまには顔を見せてほしい」とわたしに仰っている、とのことで、あながちわたしに関係のない話ではありませんでした。
そんな小鳥さんとわたしの、ある種独特な一方通行の会話をさえぎるように靴音を響かせながら、足早にわたしのところへやってくるなり、先生はわたしの頭を軽く小突いて「やったな!」と言いました。
何が「やった」なのかわからなくて、わたしは思わずきょとんとしてしまいます。それほど鋭いほうでなはないわたしに代わって、先生の言葉の意味にいち早く気づいたのは、つい先ほどまで、おしゃべりに夢中だった小鳥さんでした。
「もしかして、花壇の花が芽吹いたんですか?」
すると、先生は力強く頷いて、わたしに満面の笑みをくれました。鈍いわたしも、ようやく理解した時には、派手な音を立てて椅子を跳ね除け、先生の呼び止める声もよそに、中庭へと駆け出していました。
グラウンドから聞こえて来る運動部の掛け声が、東と西、両側の校舎に反響し、中庭という谷間に降ってきます。
すでに、ひと目見ただけで、花壇の様子が変わっていることに気付いたわたしは、高鳴る胸の鼓動を押さえながら、一歩一歩を踏み締めるように、花壇へと近寄りました。昨日までは、ただの畝だった場所に、ぽつり、ぽつりと、淡い色をした若芽が顔を出しています。まるで、一斉に目を覚ましたかのようでした。
「宮野! まったく、走らせるなよ。俺も若くないんだからっ」
一足遅れて、先生がやって来ました。若くないと言っていますが、先生はまだ二十六歳。十分若くて、息を切らしてはいませんでした。
わたしは、先生が隣にやってきたのを確かめて、その視線を花壇の端に向けました。そこに植えたのは、わたしが一番植えたかった花、ヒースの花です。もちろん、ヒースも例外なく、土を割って芽を出しています。
「先生……奇跡って本当にあるんですね」
季節外れの花が咲く。それは、奇跡と言ってもおかしくありません。そっとつぶやくように言うと、先生は少し驚いたように目を丸くして、妙にまじまじとわたしの顔を見つめました。それは、わたしが「奇跡」なんて言葉を口にしたからではありませんでした。
「宮野の笑顔、はじめて見たよ」
先生が言いました。わたしは、わたしが笑っていることなんて、全然気づいていませんでした。だけど、心の一番深い場所に、ぽっかりと空いている穴の辺りから、温かいものがどんどん溢れてきます。それが、嬉しい、と言う気持ちだと知ったとき、校舎の窓ガラスに映る、わたしの顔は確かに、三年ぶりの笑顔を浮かべていました。
「わたし、まだ笑えるんだ……」
小鳥さんの駆け寄ってくる足音と、三年間忘れてしまっていた笑顔、そして、ついにわたしの「計画」が実りを結ぼうとしていることをかみ締めながら、時間が経つのも忘れてヒースの芽をじっと見つめていました。
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