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16. 友達だよね?

 いつもと何も変わらずニコニコとしながら、他愛もない話に花を咲かせる小鳥さんは、わたしが距離を置こうとしたことなんて、ちっとも気にしていない様子でした。もちろん、小鳥さんのことを嫌いになったから、敬遠していたわけではありません。でも、その理由も小鳥さんは知らないはずです。

 それなのに、どうして小鳥さんは明るく笑っていられるのか、わたしにはよく分かりませんでした。

「でね、リコリスったら、わたしのお母さんを泥棒と間違えて……」

 国道までの道のりはそれほど遠いものではありません。止まらない小鳥さんの口は、次から次へと言葉を連ねていきます。わたしはというと、いつもと変わらず、相槌を打つだけですが、それでもあの日から久しく遠ざかっていた、楽しいひと時に、心に空いた穴がじんわりと暖かくなるのを感じていました。

 不意に、小鳥さんが抱きかかえた子犬……リコリスが「くぅん」と喉の奥で鳴き声を上げ、空を見上げました。わたしもつられて、空を見上げます。抜けるような真っ青な空は、夏の鮮やかさの端に、秋の到来を知らせるいくつかの雲が浮かんでいました。

 怠惰な夏休みも半分終わり、海には海月(くらげ)が繁殖する季節となり、一緒に海へ行くという約束が果たせなかったのは、わたしの所為です。

 あの日、小鳥さんたちの会話を盗み聞きしてしまったわたしは、小鳥さんへの怒りよりも、小鳥さんの友人たちが、イジメの矛先を小鳥さんに向けようとしていることのほうが怖くて、小鳥さんを避けるようになってしまいました。そのとき、すでに約束は反故になったも同然でした。だけど、そうすることで小鳥さんを守りたい、と思ったのです。

 小鳥さんがわたしのことをどんな風に思っているのか、わたしには分かりません。他人の心を読む、超能力なんて、作り話の主人公だけが持っている特技です。でも、わたしは小鳥さんのことを、身勝手にも大切な友達だと思っています。わたしにそんな風に思われるのは、はた迷惑だったかもしれません。なぜなら、彼女はわたしをからかうために、わたしに近づいてきたのですから。

 それは、ハッキリ言えば、許せないことですが、小鳥さんと過ごす短い休憩時間は、わたしにとって、ザラザラに乾ききった高校生活における、唯一の潤いだったような気がして、そんな時間を与えてくれた小鳥さんの顔から、わたしには出来ないような明るい笑顔が消えてしまうことが、過去のトラウマを呼び覚ますようで、怖かったのです。そうして、失って初めて、わたしが思っているよりも、小鳥さんがとても大切な存在なんだということに気づかされました。

 それは、桜井先生についても同じことです。先生と喧嘩してはじめて、どれだけ先生がわたしのことを心配してくれているのか、わたしがどれだけ先生にわがままを言ってきたのか、思い知らされました。

 でも、すべて後の祭りです。

「ねえ、わたしの話、つまんない?」

 ぼんやりと空を眺めて、物思いに浸っていたわたしに、小鳥さんが不安そうな顔で言いました。わたしはあわてて「そんなことはないです」と頭を振りましたが、わたしに代わって小鳥さんがそのままの表情で、空を見上げました。

「あのね、わたしね、本当は宮野さんのこと嫌いだった」

 何の前触れもなく、突然の告白めいた言葉が、青い空に向かって吐き出されます。

「ずっと、いわなきゃって思ってたんだけど、地域清掃のとき、宮野さんに話しかけたのって、本当は宮野さんのことをからかうためだったの」

「わたし、知らないうちに、小鳥さんに嫌な思いさせてたんですね。ごめんなさい」

 と、悪い意味でドキリとしていたわたしが言うと、わたしたちの間に言い知れぬ重たい空気が流れ込みました。

「ううん、違うよ。宮野さんは何も悪くない。わたしが勝手にひがんで、勝手に宮野さんのこと嫌いになってただけ」

「ひがんでた?」

「うん。宮野さんがバイト始めたとき、それは、わたしの役目なのにって思うと、宮野さんのことが許せなかったの。宮野さんはわたしの代わりをしてくれてるんだって、思えなかった」

 話が見えてこなくて、わたしは当惑してしまいました。わたしのアルバイトと、小鳥さんに何の関係があるのかよく分かりません。すると、小鳥さんは少しだけ目を丸くして、

「えっと、わたしの名前聞いて、気づかなかったの?」

 と言いました。だけど、そもそもわたしは小鳥さんの本名を知りません。わたしが知っているのは、小鳥さんというのは、ニックネームで、本名じゃないことくらいです。申し訳ない気持ちでいっぱいになっていると、小鳥さんは改めて、わたしに自己紹介してくれました。

「わたしの名前、小鳥遊花乃。小鳥に遊ぶって書いて、タカナシって読むのよ」

 タカナシ……タカナシカノ。その名前には心当たりがありました。わたしのアルバイト先の店長さんこと、タカナシさんの娘さんの名前です。そういえば、同い年だと聞いていました。今更それを思い出すなんて、自分の記憶力の薄弱さに、嫌悪してしまいそうになりました。

「小鳥が遊ぶような場所に、鷹はいないって意味らしいんだけど、読みにくい名前だから、みんな小鳥ってわたしのことを呼ぶの」

「ご、ごめんなさい! わたし、何にも知らなくて」

「ううん、謝るのはわたしのほうだよ。本当は、お母さんのお店を手伝うべきだったのは、わたし。でも、お母さんがお店開くのを反対したのに、気軽に『手伝うよ』なんて言えなくて……それで、宮野さんがお母さんのお店で働き始めたのを知って、多分、嫉妬したんだと思う」

 小鳥さんは、恥ずかしそうに頭をかきました。

「でもね、宮野さんと話するようになって、だんだんとその嫉妬心が消えていったの。むしろ、お母さんのお店を手伝ってくれて、ありがとうって気持ちでいっぱいになった。最初からそうじゃなきゃいけなかったのに、遠回りしちゃった」

「そんな……」

「ねえ、宮野さん。わたしたち、これからも友達だよね?」

 小鳥さんは真顔でした。もちろん、わたしは頷く以外にできません。だって、言われるまでもなく、わたしは小鳥さんのことを友達だと思っているから。

「良かった」

 ホッと胸をなでおろす小鳥さんの顔に、笑顔の花が咲きました。

「じゃあ、ひとつだけ聞いてもいい? 桜井先生となにかあったの?」

 ぐるり、と話題が百八十度転換されて、そのベクトルがわたしの方に向き、再びドキリとしました。

「どうして?」

「だって、暗い顔してる。試験の最終日に、宮野さんが倒れたって、先生に知らせたのはわたしなの。その後から、ずっと宮野さんは真っ暗な顔してる。もしも、わたしの所為だったら、謝らなくちゃって思って」

「ううん、小鳥さんの所為じゃない」

 本当に小鳥さんの所為ではありません。全力で首を左右に振って、わざわざ桜井先生に知らせてくれた友情に感謝しつつ、わたしはかいつまんで事情を説明しました。わたしの話を、小鳥さんが黙って聞く、というシチュエーションは初めてのことです。

「そっか、そんなことがあったのか、でも……」

 話を聞き終えた小鳥さんが間を置いて呟き、人差し指でわたしの顔をピッと指差しました。

「喧嘩したこと後悔してるんだったら、宮野さんから謝るべきだよ。いまこそ、ごめんなさいって言わなきゃダメ!」

「でも、先生ものすごく怒ってから」

 許してもらえないかもしれない、というわたしの不安を打ち砕くように、小鳥さんはにっこりとわたしに笑いかけてくれました。

「大丈夫。桜井先生は、頭のお堅い教師の中でも、融通の利く方だよ。だから、宮野さんのために、園芸部を作ってくれたんじゃない?」

 いつの間にか、わたしたちは、国道に横たわる歩道橋を渡り終えていました。歩道橋の傍から奥へ続く路地を行けば、小鳥さんのお母さんが営む「タカナシ・フラワーショップ」に、このまま国道沿いに歩けば、その先にはわたしたちの通う高校があります。そう、ここは、その分岐点なのです。

「ほら、今すぐ行ってきなよっ!」

 小鳥さんは片手でリコリスを抱えると、空いた手のひらでわたしの背中を強く押しました。よろけながら、わたしの体は、学校のほうへ向きます。

「でもっ、アルバイトが」

「でもじゃない! アルバイト店員なんて、他に代わりならいくらだっているけど、先生に謝って仲直りできるのは、宮野さんしかいないんだからっ」

 有無を言わせない勢いと正論が、小鳥さんの言葉にはあって、わたしは「でも」「だけど」という言葉を飲み込みました。先生に謝る。それは、心のどこかでわたしが望んでいたことです。そして、先生が許してくれるなら、どんなに素敵なことでしょう。

「あの、これっ」

 わたしは手持ちのバッグから、黄色いエプロンを取り出して、小鳥さんに手渡しました。タカナシ・フラワーショップのユニフォームです。洗濯したてのそれは、ふんわりと柔軟材の香りを漂わせながら、小鳥さんの手に収まりました。右手にエプロン、左手にリコリスを抱えた小鳥さんは、驚きの顔をします。

「きっと、タカナシさん……ううん、店長さん喜ぶと思う。だって、本当は小鳥さんに、お店を手伝ってもらいたいって、言ってたから」

 小鳥さんがそうしたように、わたしも小鳥さんの口から「でも」「だけど」という言葉がこぼれる前に、背中を向けて、学校のほうへと走り出しました。

 そうして、小鳥さんの姿が小さくなっていくにつれ、わたしの心臓は、爆発しそうなくらい早鐘を打ち始めました。



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