12. とても素敵なこと
とても素敵なことが二つもありました。
ひとつは、念願だった、花壇に種を植えられたことです。花の種と肥料は、アルバイト先の「タカナシ・フラワーショップ」で買いました。折角いただいたアルバイト代が、瞬く内にタカナシさんの手元に還元されるのは、とても失礼だったかもしれません。でも、中庭の花壇に植える花の種と肥料などを手に入れるためにはじめたアルバイトです。どうせ買うなら、タカナシさんのお店で買った方がいいに決まっています。わざわざ、よそのライバル店に、塩を贈ったら、その方が、わたしを雇ってくれたタカナシさんに失礼です。
花の種は九種類買い求めました。今は七月の半ば。この季節に植えて、年内に花を咲かせるものを中心に、いつでも花壇に花が咲いているようにするため、どの種を買うのか、本当に悩みました。きっと一番役立つ種は、パンジーです。だいたい、一年中咲いています。鮮やかで色とりどりの大きな花弁は、とても可愛らしくて、花壇にはぴったりの花だと思います。その一方で、花壇の一番隅、もっとも陽の光が当たる場所に植えるつもりの、ヒースの種も買いました。
「今から植えつけても、花は咲かないわよ」
ヒースの種を買いたいというわたしに、タカナシさんは少しばかり驚いたような顔をしました。ヒースは、四月に植えて十月に芽吹く、冬の花です。三ヶ月遅れの、七月も後半戦に突入しようかと言う時期に植えても、ヒースの花が咲く可能性は、ほとんどゼロに近いことは、わたし自身よく知っていました。いわゆる、昔とった杵柄というやつです。
それでも、わたしがヒースにこだわったのには、理由があります。だって、それがわたしの計画だから……。もちろん、わたしの計画なんて、タカナシさんは知りません。桜井先生も知りません。でも、ヒースを植えなければ、わたしが園芸部を設立して、花壇に花を植える意味はないのです。
わたしはそれほどいい子ではありません。おとなしいことが、いい子の証ではないのです。計画のために、先生を巻き込んだことも、本当にわたし一人のわがままなのです。
先生は、そんなわたしの黒々とした内心なんて知るはずもなく、わたしのことを気遣って、麦わら帽子をプレゼントしてくれました。
それが、もうひとつの素敵な出来事です。
麦わら帽子は、ずいぶん色あせて、きっとピンク色だったはずのリボンは、真っ白になって、わらもところどころささくれ立っていました。でも、シンプルなデザインはとても可愛らしく、色あせても素敵な麦わら帽子です。
先生は「妹のお下がりだ」と仰られました。つまり、この麦わら帽子は、先生の妹さんがわたしと同じくらいの年のころに被っていた帽子ということです。
先生の妹さんって、どんな人なんですか……?。
驚きとともに、こんな素敵な帽子を被っていた先生の妹さんに、少しだけ興味を感じました。でも、わたしは咄嗟に言いかけた言葉を、ごくんと飲み下しました。それは、先生が明らかに妹さんの話題から避けようとしていたからです。
桜井先生の同級生だった校医の大川先生は、わたしが貧血で保健室に行くたび、桜井先生の話を聞かせてくれます。もちろん、わたしが聞かせてほしいとねだったのですが、大川先生は、桜井先生に妹さんがいるなんて一言も言っていませんでした。
でも、余計な詮索をめぐらせて、桜井先生に厭な思いをさせたくはありません。だって、先生は少なくとも、わたしのことを心配して、麦わら帽子をプレゼントしてくれたのですから。
だから、月並みなお礼を言いながら、本当は尋ねたかったことも飲み込み、わたしは先生の厚意だけを受け取ることにしたのです。先生がどうしてわたしに優しくしてくれるのかを知りもしないで、その優しさだけに甘えようとする、ずるくて賢しいやつなんです、わたしは。
そうして、夏色空の下で麦わら帽子を被って、すべての花の種を植え終わるころ、ちょうど、期末試験が近づいてくるころのことでした。
いつもどおりのお昼休み。近頃、休憩時間になると、わたしの所にやってきて、あれこれと一人で喋っては満足してっていく小鳥さんが、その日に限って、わたしの所にやってきませんでした。
クラスメイトなので、彼女が出席していることは確かなのですが、教室のどこを見渡しても、彼女の姿はありません。まるで、神隠しにでもあったみたいです。
少しだけさびしくて、少しだけ不安になりました。
彼女は、わたしの携帯電話のアドレス帳に登録された、初めてのクラスメイトです。友達、と呼ぶべなのかは分かりませんが、少なくとも、彼女はわたしに好意を持ってくれているのだと思っていました。だから、一日の例外もなく、たいした応答も帰ってこないのに、彼女は飽きもせずわたしに話しかけてくるのだと。
でも、ホントは違ったら……?
わたしをからかってただけだったとしたら、どうでしょう。それは得体の知れない神様から、素敵なことが重なって浮かれていたわたしへの天罰なのかもしれません。
『お前に、友達を作る資格なんか、ないんだ! 過去の罪を忘れたのか?』
頭の中に、白いひげを生やしたありきたりな格好の神様が現れて、棍棒のような杖を振りかざしてわたしを怒鳴りつけます。そんな漠然とした、寂しさと不安にかられたわたしは、思わず小鳥さんを探していました。
雑談の声がこだまする廊下、生徒たちが思い思いに休む、会談の踊り場や、グラウンドの隅にある芝生、運動好きの子たちがボール遊びに興じる体育館。
やっぱり、小鳥さんの姿はありませんでした。
本当は、友達を作る資格がわたしにないことくらい、神様に言われるまでもなく、分かっていることです。だから、あの日以来、わたしは一人ぼっちの時間を過ごしすぎました。だけど、わたしは寂しがり屋なのです。一度、誰かの優しさや明るさに触れると、それが消えてなくなった瞬間に恐怖感を感じてしまいます。
でも、とうとうお昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いても、小鳥さんを見つけることが出来ず、わたしは落胆しながら、教室へと戻りました。
その途中。ちょうど廊下の曲がり角にある、女子トイレの扉の向こうから、聞いたことのある声が聞こえてきました。普段なら、おトイレの中で誰かが雑談に花でも咲かせているのだろう、と素通りするところですが、わたしの足はまるで接着剤でくっつけられたかのように、ぴたりと止まりました。
「ねえ、小鳥、どういうことなの!?」
小鳥さんの名前がとびだしてきて、思わずわたしは耳を澄ましました。
「最近、宮野とすごい仲いいじゃん。どういうことなの?」
叱責するような別の声がしました。聞き覚えのある声ではありませんでしたが、きっと小鳥さんの友達でわたしのクラスメイトでしょう。
「それは……」
返答に困ったような小さな声は、間違いなく小鳥さんの声です。なるほど、おトイレにいたんですね。なんて、悠長なことを思う余裕がわたしにはありません。
「それはそうだけど、宮野って、話してみたら、そんなに悪いやつじゃないし……やっぱり、よくないと思うの」
「何よ、今さら。だいたい、宮野をイジメようって言い出したのは、小鳥だよ。一抜けする権利なんて、あると思ってるの?」
え? 突然突きつけられた、死刑宣告のような言葉が、わたしの心に開いた穴を、木枯らしとなって通り過ぎました。
小鳥さんが、わたしをイジめる?
「でも、みんなだって、桜井先生に媚を売る宮野が気に入らないって言ってたでしょ?」
小鳥さんの声は、おトイレの扉を隔てても、よく聞こえます。きっと小鳥さんたちは、外にわたしがいるなんて、想像もしていないでしょう。
「あんただって、宮野のこと気に入らないって言ってたじゃん。だから、あたしたちも、宮野イジメに参加することにしたんだよ!」
「あんたがやらないなら、あたしたち、あんたをイジメちゃうけどいいの?」
息を呑む、小鳥さんの声が扉越しに聞こえてきました。突然死刑宣告の矛先が、わたしから小鳥さんに変わった瞬間でした。
詳しい事情はよく分かりません。少なくとも小鳥さんには、わたしに対する友情なんて存在していない、ということは分かります。受け入れたくない事実ですが、小鳥さんはわたしをからかっていただけだったのたということに、わたしは気づきました。
小鳥さんと友達になれたとは思っていませんでした。でも、他愛無く一方的な会話でも、小鳥さんの笑顔と一緒にいる時間が、少しずつかけがえのないものになり始めていたのに、一瞬にしてがらがらと崩れていきます。
だけど、不思議と小鳥さんへの怒りが沸いてきません。むしろ、わたしは自分を呪いました。これじゃ、また「三年前と同じこと」の繰り返しです……。
わたしは、体の震えをおさえながら、おトイレの扉から離れて、急ぎ足で教室へ戻りました。ややあって、教室に戻ってきた小鳥さんは、わたしのことをちらっと見て、何事もなかったかのようににっこりと笑いました。
その笑顔を見て、わたしは確信しました。小鳥さんは、自分に向けられた死刑宣告を甘んじて受けるつもりなんだと言うことを。
そして、もうじき期末試験を控えたその日から、わたしは小鳥さんのことを、わざと避けるようになりました。
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