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10. 夏休みの約束

 体が少し重いです。太ったわけではなくて、全身が疲労感に包まれているからです。でも、なるべくそういう顔を他人に見せてはいけないと思います。だって、園芸部を作りたいと言ったのも、アルバイトを始めたいと言ったのも、全部わたしのわがままだからです。

 つい先日、授業中に貧血を起こして、保健室を訪ねたときにも、校医の大川先生に、

「園芸部に一生懸命なのも良いけれど、無理をしてはだめよ」

 と釘をされたばかりです。

 わたし自身は無理しているつもりなんてないです。部活動をすることも、タカナシさんのお花屋さんで働くことも、とても楽しいことです。

 それなのに、透や桜井先生の前では、不意に疲れた顔をしてしまい、余計な心配をかけてしまうことは、反省するべきかもしれません。わたしのことを心配してくれる数少ない、心優しい人たちに迷惑をかけるのは、許されないのです。なぜなら、わたしが中庭の花壇に花を植えるということは、それだけできっと迷惑になるからです。

 それは、けして謙遜とか自分を卑下しているわけじゃなくて、わたしは花が好きだから、花壇を花で満たしたいわけではなくて、「計画」のためなのです。そのことを、透も桜井先生も知りません。

 だから、気をしっかり持って、疲れたなんて口にしてはいけません。そう思えば思うほど、早起きして学校に向かい、授業が始まるまで花壇の手入れをして、放課後もまた花壇の手入れとアルバイトという生活に、体がまったくついていかず、疲れが蓄積されていくのを感じて、ぼんやりとしてしまいます。

 そう、ちょうその時も、ぼんやりとしていました。

「ねえ、宮野さん、聞いてる?」

 突然、わたしの視界にふたつの大きな瞳が、飛び込んできました。すこし睨みながらも、心配したような瞳は、小鳥さんの瞳です。

 地域清掃の日から小鳥さんは、何故かわたしによく話しかけてくるようになりました。お昼休みには決まって、ガヤガヤとした教室の片隅にある、わたしの前の空席にちょこんと座って、たわいもないおしゃべりをします。

 わたしは自分が根暗で無口だということは自覚しています。だから、ほとんど小鳥さんが一方的にしゃべって、わたしは相槌を返すだけなのですが、小鳥さんはいやな顔ひとつしません。

「ごめんなさい」

 と、わたしが言うと、小鳥さんはさらに心配したような顔をします。そんな小鳥さんにも、わたしは迷惑をかけていると思うと、胸が痛みます。

「最近、よくぼんやりしてるよね。何か、悩みがあるなら話してよ。いつも、わたしが一方的にしゃべってるだけじゃ、申し訳ないし」

 優しい言葉をかけてくれる小鳥さんは、きっととても優しい人なんだと思います。でも、悩みではなくて疲れは、小鳥さんに相談するわけにも行きません。せめて、愛想笑いでも返せたらいいのですが、そんな器用なことは出来ません。

「あの、何の話されてたんですか?」

「夏休みの話。っていうか、その敬語みたいなのやめてよ。同い年でクラスメイトでしょ? そういうの、変だよ」

 ぷうっと、小鳥さんはほほを膨らませます。まだ付き合いは浅いですけど、なんとなく小鳥さんのことが、少しだけ分かったような気がします。そういう顔をする時は、本気で怒っているわけじゃないみたいです。それでも、小鳥さんが気分を害したのなら、謝らなくちゃいけません。

「ごめんなさい」

「謝るのも禁止。まったく……それで、夏休みなんだけど、宮野さんバイト詰め?」

 わたしが頭を左右に振ると、小鳥さんはにっこりと笑顔になりました。

「だったらさ、どこか遊びに行かない?」

「わたしと?」 

 思わずわたしはポカンとしてしまいます。

「他に誰がいるのよ。今わたしは、宮野さんと話ししてたはずだけど」

 空席になったわたしの前の席にちょこんと腰掛けた小鳥さんの言葉に、耳を疑わずにはいられませんでした。誰かからお誘いを受けるなんて、久しくなかったことです。身に余る光栄というのは、こういうことを言うのでしょうか。

「ほら、受験勉強の疲れを癒しに行くの。命の洗濯ってやつ。海とかどうかな!? 隣町に、新しいビーチがオープンするんだって!」

 海にはいってみたい気もします。だけど、わたしなんかと海に出かけても、きっと楽しいことなんかありません。何一つ楽しい顔なんて出来ないわたしを見たら、きっと……ううん、必ず小鳥さんは幻滅して、嫌な気持ちになるはずです。

「わたし、泳げないから……」

 嘘を吐いてでも、何とかして、お断りしようと思ったのですが、わたしがすべて言い終える前に、小鳥さんはわたしの手をぎゅっと握り締めて、

「泳げなくたっていいじゃん。浮き輪なら、貸してあげるよ。ね、海に行こう! 決まり!」

 と、有無を言わせず、勝手に決定してしまいました。どうやら、わたしに拒否権は与えられていないようです。だけど、本当は、心の中はうれしさでいっぱいでした。ある意味、馴れ馴れしく話しかけてくる小鳥さんですが、人とこんな風におしゃべりできるのは、嫌なことではありません。きっと、昔のわたしなら、二つ返事で海に行くのを了承していたでしょう。そして、ワクワクしながら夏休みを待ち続けていたはずです。

 でも、それは昔の話。今のわたしは、親しくなればなるほど小鳥さんを傷つけてしまうのではないかと、そんな漠然とした不安だけを感じていました。

「バイト、楽しい?」

 さっきまで、海の話をしていたのに、唐突に、何の前触れもなく、小鳥さんがわたしに尋ねました。わたしがアルバイトしているのは、桜井先生と大川先生、それに家族しか知らないことです。なので、わたしが驚いていると、小鳥さんはクスリと笑って、

「宮野さんが、国道の商店街にある花屋で、バイトしてるのを見たって子がいるのよ」

 と、わたしの疑問に答えてくれました。なるほど、目撃されていたというわけですか……。タカナシ・フラワーショップは、人通りの多い商店街にお店を構えています。店頭で、黄色いエプロンを身に着けて、お花に水をやったり、しおれた花を処分していれば、その姿を誰かに見られたとしても、何ら不思議なことではありません。

「大丈夫だよ。担任にしゃべったりしないって。どうせ、バイトやってる子なんてたくさんいるんだから。それより、バイト楽しい?」

 ぐるりと教室を見渡しながら、からからと小鳥さんは笑って、もう一度わたしに尋ねました。わたしが「楽しいです」と短く返すと、小鳥さんは何か得心したように、こくこくと頷きました。

「いやさ、わたしもバイト始めようと思うんだよね。でも、部活と両立するのが難しくって」

 だったら諦めなさい、とは言えないわたし。しかも、わたしの場合、部活のために校則違反のアルバイトをしているわけで、両立していると言えなくもありません。もっとも、その代償である疲れを引きずっているのだから、あまり自慢になる話ではありません。

 小鳥さんは、陸上部で走り幅跳びをしています。こうして、お互いに話をするようになってから、時折グラウンドを走る小鳥さんの姿を見かけました。いつも、楽しそうに笑っている小鳥さんが、とても真剣な顔で汗を流している姿は、とても凛々しくて、かっこいいと思いました。彼女にとって部活動は、「計画」のためだけに勤しむわたしとは違って、生きがいのようなものなのかもしれません。

 部活の小鳥さんとおしゃべりな小鳥さんの、ギャップを感じながら、わたしは一方的に語る彼女の話に、黙って耳を傾けました。

 こんなアルバイトがしたい、時給はいくらがいい、可愛い制服を着られるのがいい、と次から次へとアルバイトへの思いを口にしていきます。小鳥さんはわたしに負けないくらいの、わがままさんだと思います。そんな話を聞いていて、わたしはふと肝心なことを思い出しました。

 今日は、初めてのアルバイト代が出る日です。

 もちろん、受け取ったその場で、買える分だけの花の種や肥料を購入するつもりです。つまり、折角もらったお給金がまた、タカナシ・フラワーショップへと還元されるのです。きっと、タカナシさんは苦笑するでしょう。もしかしら、怒るかもしれません。でも、そのために、わたしはアルバイトをしているのだから、譲れないことです。

 突然、教室にチャイムが鳴り響きました。午後の授業開始五分前を知らせる予鈴です。小鳥さんの話と、アルバイト代のことで頭がいっぱいになって、ぼんやりしたわたしは、思わず驚きに声を上げそうになりました。

 雑談に花を咲かせていたクラスメイトたちが、ぞろぞろと自分の席に戻り、午後の授業で使われる教科書やノートを机の上に広げ始めます。小鳥さんも、立ち上がると、自分の席へと戻っていきます。ところが、二、三歩歩いて振り返った小鳥さんは、

「夏休みの約束、ぜったいだかんね!」

 と、片目でウィンクして、わたしに念を押しました。

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