第10話 明朝、東門に魔物が来る
東門へ戻る道は、夜なのに騒がしかった。
人が走っている。
馬車が動いている。
騎士が叫んでいる。
商会員が荷を運んでいる。
教会の鐘が、短く何度も鳴っている。
それは避難の合図ではない。
準備を急げという合図だ。
街が、眠ることをやめていた。
「先遣群の規模は?」
俺は走りながらガルドに聞いた。
「斥候の報告では、灰狼型が三十から四十。甲殻猪が十数体。後方に大型の影も確認された」
「それ、先遣群って規模なんですか?」
「普通なら小規模な魔物襲撃だ」
「普通なら?」
「東門がまともなら、だ」
その言葉が重かった。
東門は、まともじゃない。
表面だけ補修された粗悪な壁。
強度不足の右塔。
腐敗した補給部。
まだ応急補強の途中。
そこへ明朝、魔物が来る。
タイミングが悪すぎる。
いや、違う。
たぶん、狙われている。
街の中から物資を抜き、壁を弱らせ、疫病で南区を混乱させ、避難路を詰まらせる。
その上で、魔物の先遣群をぶつける。
偶然ではない。
誰かが、街を崩す順番を組んでいる。
俺の【最短経路】とは逆だ。
街を生かすための最短手順ではなく、街を殺すための最短手順。
そう考えると、背筋が冷えた。
「レンジ殿」
ガルドが低い声で言う。
「怖いか?」
「怖いです」
「だろうな」
「でも、怖がってる暇もないです」
「それでいい」
ガルドは前を見たまま言った。
「怖くても動ける者が、戦場では必要だ」
「俺、戦場にいるつもりなかったんですけど」
「もういる」
「ですよねぇ……」
笑うしかなかった。
現代日本で弁当を運んでいた俺が、異世界で魔物襲撃の防衛ルートを考えている。
人生、道を間違えすぎだ。
いや。
ある意味、最短経路なのかもしれない。
◇
東門に到着した時、そこは完全に戦場前夜だった。
松明がいくつも焚かれ、騎士たちが資材を運んでいる。
門の内側には、木材と荷車で作った仮設の防壁。
道幅を絞るための障害物。
怪我人を運ぶ担架。
水桶。
矢束。
石。
油壺。
混乱しているようで、少しずつ形にはなっていた。
ガルドが叫ぶ。
「状況報告!」
騎士の一人が駆け寄る。
「右塔の応急補強は六割! 門下部は木材で支えていますが、強度に不安あり! 第二防衛線は倉庫街手前まで構築中!」
「避難状況は?」
「東区住民の一部は西区へ移動開始。ただし、まだ残留者多数!」
まだ足りない。
全部が途中だ。
俺は視界に浮かぶ線を見る。
東門の外側は、赤い。
門。
右塔。
内側の大通り。
そこに危険が集中している。
一方、金色の線は東門を守り切る方向ではなく、内側の通りへ伸びていた。
【推奨戦術:完全防衛ではなく遅滞防衛】
【目的:先遣群の突破速度を低下させ、避難時間を確保】
「やっぱり、守り切るんじゃなくて時間稼ぎです」
俺が言うと、ガルドが頷いた。
「門は捨てるか?」
「完全には捨てません。でも、破られる前提で準備した方がいい」
「何分稼げる?」
金色の線がいくつかの数字を示す。
いや、正確な数字というより、感覚だ。
門前で正面衝突すれば、早く崩れる。
門を半開きにして誘導すれば、敵の流れを絞れる。
内側に第二防衛線を作れば、さらに稼げる。
「うまくやれば、一時間半」
「一時間半か」
「少ないですか?」
「今の状況では十分すぎる」
ガルドは即座に周囲へ命令を飛ばした。
「門前で全滅覚悟の迎撃はしない! 第一防衛線は門内二十歩! 敵を絞り込め! 第二防衛線は倉庫街入口! 弓兵は右塔ではなく左塔へ移せ!」
騎士たちが驚く。
「右塔を使わないのですか!?」
「右塔は信用できん! 崩れる前提で動け!」
俺は右塔を見上げた。
応急補強はされている。
だが、赤線はまだ消えていない。
魔物がぶつかれば、崩れる可能性がある。
そこへ弓兵を置けば、塔ごと巻き込まれる。
「油壺はどこに?」
俺が聞くと、騎士が答えた。
「門の上です。敵が密集したら落とします」
「駄目です」
「なぜです?」
「門の上は崩れる。油壺を失うし、火がこっちに回る」
金色の線は、門上ではなく、内側の左右路地へ伸びていた。
「油は直接落とすんじゃなくて、内側の誘導路に撒く準備をしてください。ただし火は最後。敵の先頭じゃなくて、群れの真ん中を分断する」
騎士たちが顔を見合わせる。
ガルドが短く言う。
「従え」
「はっ!」
動きが変わる。
油壺が運ばれる。
荷車の位置がずれる。
木材の壁が組み直される。
俺は線を見ながら指示を出す。
「その荷車、三歩右です」
「三歩?」
「はい。そこだと猪型が突っ込んだ時に横転して道を塞げます」
「了解!」
「そこの木材、縦じゃなくて斜めに。敵がまっすぐ来られないように」
「こうか!」
「もう少し左!」
「細けぇな!」
「命かかってるんで!」
騎士たちが動く。
商会の作業員も動く。
いつの間にか、トマまで書類板を抱えて走っていた。
「レンジ様! 東門周辺の倉庫配置図です!」
「トマさん、何でここに!?」
「ミレーユ様に行けと言われました!」
「ブラック商会すぎる!」
「本当にそう思います!」
泣きそうな顔で差し出された配置図を受け取る。
助かる。
めちゃくちゃ助かる。
地図と金色の線が重なる。
倉庫街。
路地。
水路。
空き地。
敵を誘導できる道と、絶対に通してはいけない道。
全部が見えやすくなった。
「この倉庫、空ですか?」
「はい。麦の移送後なので空です」
「じゃあ、ここを救護所にしないでください。危険です」
「空なのに?」
「甲殻猪が突っ込むルート上です。救護所にするなら、こっちの石造り倉庫」
「そこは商会の高級香辛料倉庫です」
「命と香辛料、どっちが高いですか?」
「ミレーユ様なら一瞬悩むかもしれません!」
「悩まないでほしい!」
だが、たぶん貸してくれる。
いや、貸してもらう。
この際、香辛料には我慢してもらうしかない。
◇
深夜。
教会からセラフィナが到着した。
白い法衣の上に外套を羽織り、数人の修道女を連れている。
顔には疲労が濃い。
でも、足取りはしっかりしていた。
「セラフィナ様、南区は?」
「修道女長とバルロ様に任せています。薬草も届いたので、重症者は安定しています」
「休んでないですよね?」
「二時間休みました」
「本当に?」
「一時間半ほど」
「減ってる」
「目を閉じて祈りましたので、実質二時間です」
「その計算、聖女ルールすぎません?」
セラフィナは少しだけ笑った。
こんな状況でも笑えるのは、強い。
「こちらに救護所を作ります。負傷者の流れは?」
「門内から直接ここへ運ぶと詰まります。前線から一度、左路地の一時待機所へ。重傷者だけ石造り倉庫へ。軽傷者は後方へ流す」
俺が説明すると、セラフィナは真剣に頷いた。
「分かりました。治療班を三段階に分けます」
「それと、セラフィナ様は最前線に出ないでください」
「ですが――」
「出たくなるのは分かります。でも、あなたが倒れたら治療拠点が止まる。リリアナさんに言ったこと、自分にも適用してください」
セラフィナは言葉を止めた。
少しだけ困ったように俺を見る。
「レンジ様は、時々とても厳しいですね」
「配送管理です」
「人を荷物のように管理していませんか?」
「大事な荷物です」
そう言うと、セラフィナは一瞬きょとんとして、それから静かに微笑んだ。
「では、壊れないようにしてください」
「そのつもりです」
◇
さらにしばらくして、リリアナからの指令書が届いた。
まだ本人は動けない。
だが、騎士団長として正式命令を出してくれた。
内容は簡潔だった。
東門防衛の現場指揮は副官ガルド。
避難路および物資導線の調整はレンジの助言を重視。
商会・教会との共同運用を認める。
貴族区の妨害行為は騎士団権限で排除可能。
最後の一文を見て、ガルドが口元を緩めた。
「団長らしい」
「結構強い命令ですね」
「本来はもっと早く出すべきだった。だが、これで動きやすくなる」
リリアナは寝台の上でも戦っている。
剣は振れなくても、命令で道を作ってくれている。
街を救うには、本当にいろんな形の戦いがある。
◇
夜明け前。
東門の上空が、薄く灰色になり始めた。
空気が冷たい。
吐く息が白い。
騎士たちは無言で持ち場につく。
商会員たちは後方へ下がり、馬車の準備を整える。
教会の治療班は救護所で祈りを捧げている。
俺は門の内側に立ち、外の森の方を見た。
見えない。
まだ何も。
けれど、赤線は確かに近づいている。
地面が、かすかに震えた。
一度。
また一度。
遠くから、獣の唸り声が聞こえる。
見張り塔の騎士が叫んだ。
「来たぞ!」
黒霧の森の方角から、灰色の影がいくつも現れた。
狼のような魔物。
低い姿勢で走り、目が赤く光っている。
その後ろから、甲殻に覆われた猪型の魔物が突進してくる。
数は、報告より多い。
「灰狼型、五十以上!」
「甲殻猪、二十!」
「後方に大型影!」
ガルドが剣を抜いた。
「全員、配置につけ! 門前で受けるな! 引き込んで潰す!」
騎士たちが声を揃える。
「はっ!」
俺の視界に、金色の線が走る。
魔物の群れ。
門。
内側の誘導路。
荷車。
油。
弓兵。
騎士。
救護所。
避難路。
すべてがつながる。
心臓が痛いほど鳴っている。
逃げたい。
今すぐ逃げたい。
でも、ここで逃げれば、後ろにいる人たちへ届かない。
水も。
薬も。
飯も。
避難路も。
全部、ここで途切れる。
「レンジ殿」
ガルドが言った。
「合図を頼む」
「俺が?」
「お前が一番、流れを見ている」
俺は喉を鳴らした。
手が震える。
足も震える。
でも、目は逸らさなかった。
魔物の群れが東門へ迫る。
右塔の赤線が強くなる。
門下部が軋む。
まだ。
まだ早い。
敵の先頭を入れすぎても駄目。
止めすぎても門が壊れる。
群れの流れを、こちらの道へ乗せる。
配送のタイミング。
信号。
車線。
人の流れ。
全部同じだ。
いや、全然違う。
でも、俺にはそれしかない。
【最適開門角度:三分の一】
【第一波誘導開始まで:五秒】
「門、三分の一だけ開けてください!」
俺が叫ぶ。
騎士たちが鎖を引く。
巨大な門が、重い音を立ててわずかに開く。
「馬鹿な! 開けるのか!」
誰かが叫ぶ。
ガルドが怒鳴る。
「従え!」
開いた隙間へ、灰狼型が殺到する。
だが、幅が足りない。
一度に入れる数は限られる。
先頭が門内へ飛び込んだ瞬間――。
「今! 左の荷車を倒せ!」
荷車が倒れる。
灰狼の進路が右へ曲がる。
「弓兵、右通路!」
矢が降る。
灰狼が倒れる。
後続が詰まる。
甲殻猪が門へ突っ込む。
【衝突予測:門下部】
「門から離れろ!」
騎士たちが飛び退く。
直後、甲殻猪が門下部へ激突した。
轟音。
門が歪む。
右塔から石片が落ちる。
でも、崩れない。
まだ持った。
「第一防衛線、下がりながら受けろ! 猪を正面から止めるな!」
ガルドが叫ぶ。
俺は線を見る。
甲殻猪の突進ルートが、斜めに置いた木材へ向かっている。
「そのまま! 触るな!」
甲殻猪が木材にぶつかり、進路を滑らせる。
巨体が横を向き、荷車に突っ込む。
荷車が横転し、道を塞ぐ。
後続の灰狼が巻き込まれる。
「油、まだ!」
騎士が油壺を構えたが、俺は止めた。
まだ真ん中が薄い。
火を使うなら、群れを分断する瞬間。
早すぎれば前だけ焼いて後ろが抜ける。
遅すぎれば騎士が巻き込まれる。
赤と金の線が入り乱れる。
目が痛い。
頭が割れそうだ。
「レンジ様!」
後方からセラフィナの声。
振り返ると、一時待機所に最初の負傷者が運ばれていた。
もう怪我人が出ている。
だが、救護線はまだ詰まっていない。
機能している。
大丈夫。
まだ大丈夫。
【第二波接近】
【群れ中央密集】
ここだ。
「油!」
俺は叫んだ。
「左右から撒いて! 火は中央!」
騎士たちが油壺を投げる。
通路の中央に油が広がる。
灰狼と甲殻猪の群れがそこへ流れ込む。
「火!」
火矢が放たれる。
次の瞬間、炎が走った。
轟、と音を立てて、誘導路の中央が燃え上がる。
魔物の群れが分断された。
前に出た魔物は騎士たちが囲む。
後ろの魔物は炎で足を止める。
成功した。
「前方部隊、押し返せ! 後続を入れるな!」
ガルドが剣を振る。
その動きは、迷いがなかった。
灰狼の首を落とし、甲殻猪の足を狙い、騎士たちを鼓舞する。
強い。
これが騎士団副官。
俺には絶対にできない戦いだ。
だからこそ、俺は道を見る。
彼らが戦える場所へ、敵を届ける。
怪我人を救護所へ届ける。
避難民に時間を届ける。
それが俺の戦いだ。
◇
戦闘は一時間以上続いた。
途中、右塔の一部が崩れた。
しかし弓兵を移していたおかげで、死者は出なかった。
門は半壊した。
だが完全突破はされなかった。
第一防衛線は途中で放棄し、第二防衛線へ下がった。
そこでも荷車と木材の誘導路が効いた。
甲殻猪は直進できず、灰狼は細い通路で数を活かせない。
それでも怪我人は出た。
騎士も、商会員も、何人も運ばれた。
セラフィナの救護所は限界まで回った。
俺は声が枯れるまで叫んだ。
「左、抜けます!」
「そこの担架、右へ!」
「火を消して! 味方が通れない!」
「水桶を第二線へ!」
「その路地は塞いで! 子どもがいる避難所に抜ける!」
何度も判断を間違えそうになった。
何度も倒れそうになった。
でも、金色の線は消えなかった。
やがて、朝日が東の空を照らし始めた頃。
最後の甲殻猪が、ガルドの剣と騎士たちの槍に貫かれて倒れた。
灰狼の残りは森へ逃げていく。
東門前には、魔物の死骸と壊れた木材と、焼けた油の匂いが残った。
誰も、すぐには声を出せなかった。
ただ、荒い息だけが響いていた。
「……止めた」
誰かが呟いた。
次の瞬間、騎士たちの間から歓声が上がった。
「止めたぞ!」
「東門は抜かれてない!」
「生きてる!」
俺はその場に膝をついた。
足に力が入らなかった。
ガルドが血のついた剣を下ろし、俺の方へ歩いてくる。
「レンジ殿」
「はい……」
「一時間半、稼いだぞ」
「本当に?」
「ああ」
ガルドは珍しく、はっきり笑った。
「お前の言った通りだ」
俺は空を見上げた。
朝日が眩しい。
生きている。
街も、まだ生きている。
頭の中に表示が浮かぶ。
【魔物先遣群の遅滞防衛に成功】
【東門防衛線:損傷大、維持】
【避難時間の確保に成功】
【都市崩壊回避成功率:五十七パーセント → 六十八パーセント】
「六十八……」
声が震えた。
勝てる。
初めて、そう思えた。
でも、その直後だった。
黒霧の森の奥から、低い咆哮が響いた。
さっきの魔物たちとは比べものにならない。
空気そのものを震わせるような声。
騎士たちの歓声が止まる。
俺の視界の奥で、巨大な赤線が蠢いた。
【本隊氾濫まで、残り四日】
【大型個体:黒霧の門番を確認】
【東門正面突破時、都市崩壊確率上昇】
森の向こうに、巨大な影が見えた。
四足の獣。
背中に黒い霧をまとい、角のようなものが伸びている。
距離はまだある。
だが、あれが本隊と一緒に来るなら、今の東門では絶対に持たない。
ガルドが低く呟いた。
「……あれは、まずいな」
「ですよね」
俺は乾いた笑いを漏らした。
先遣群は止めた。
でも、本番はまだ先だ。
しかも相手は、こちらの準備を見ている。
次は同じ手が通じないかもしれない。
俺は震える足で立ち上がった。
届けるものは、まだ残っている。
避難完了。
東門再構築。
黒霧の門番への対策。
そして、街を殺そうとしている本当の黒幕。
七日後の崩壊まで、残り四日。
朝日は昇った。
けれど、黒い霧はまだ晴れていなかった。




