第二十五章 その一 カレン・ミストランの変貌
ディバート達のアジトの中に、重苦しい空気が漂っていた。リーム・レンダースの遺体はすでに埋葬されていたが、ディバート、レーア、ナスカート、カミリアの四人は、暗く沈んだまま、ほとんど会話する事もなく過ごしていた。そこへケラル・ドックストンが現れた。ディバートは力なく立ち上がり、
「首領……」
ケラルは頷きながら、
「リームの事は、本当に残念だ。お前もショックだろう……」
「……」
ケラルはディバートに近づくと、
「しばらくアイデアルを離れたらどうだ? ここにいると、リームの事を思い出さずにはいられないと思うから」
「はァ……」
レーア達が一斉にディバートを見た。ディバートは目を伏せて、
「わかりました。そうします。俺自身、どうしたらいいかわからなかったので……」
レーアが悲しそうにディバートを見ているのに気づいて、ナスカートは複雑な思いだった。
(レーア、やっぱり君はディバートの事を……)
安ホテルの寝室のベッドで、ミローシャはすすり泣いていた。
(私ったら、何て事をしてしまったのだろう? カレンさんの首を絞めるなんて……。自分でもわからない……)
そこへ子供達三人がやって来た。長女のキャミーが、
「お母さん、どうしたの?」
長男のトーブと次女のアリンも心配そうにミローシャを見ている。ミローシャは起き上がって、
「何でもないのよ。ごめんなさいね」
と言って、三人の頭を撫でた。
(私、これからどうすればいいのかしら? エスメアルさんは、警察には言わないって言ってくれたけど……)
ミローシャは、これから先の事を考えて、頭が狂いそうだった。カード類を一切持たずに、わずかな現金を持って家を飛び出したため、彼女の手元には小銭が少々残っているだけだった。
総裁選の立候補の締め切りの日が来て、とうとうメラトリム・サイドの信任投票が決定した。投票日は二週間後の日曜日で、サイド陣営は当選確実と信じていた。サイドは自分の事務所で、
「ラストの老いぼれが当選を辞退してくれて、本当にホッとしたよ。しかも、政界から引退するらしい」
と嬉しそうに秘書に放した。秘書も笑顔で、
「そうですね。ラスト氏は、故エスタルト総裁の右腕と言われていましたからね」
事務所の中では、何人かの運動員が忙しなく動き回っている。その中の一人は、バジョット・バンジーであった。彼は黒縁眼鏡をかけ、口髭を付けていた。
「君達にも折角来てもらったのに、全くする事がなくなってしまって、すまなかったのね」
サイドが労いの言葉をかけると、バンジーはニッコリして振り返り、
「いえ、その代わり、当選が決まりましたら、祝賀会で大いにご馳走になりますので」
サイドはその言葉に秘書と顔を見合わせて大笑いした。
「君、なかなか面白い事を言うねえ」
「ハハハ、そうですか? こりゃどうも」
バンジーは頭を掻いてみせた。
(この狐め。ザンバースと何を企んでいるんだ?)
「とにかく、祝賀会の手配をしておこう。ホテルに連絡してくれ。大ホールは貸し切りだ」
サイドは嬉々として秘書に命じた。
翌朝。
ドッテルはホテルのレストランでカレンと会っていた。カレンはいつになく苛立っていた。ドッテルは気遣わしそうに彼女を見て、
「一体どうしたんだ、カレン? 何かあったのか?」
「何かあったのか、ですって? 貴方の奥さんが私の家に来て、私を絞め殺そうとしたのよ」
「何だって!?」
ドッテルは思わず大声を出してしまい、周りを見てから小声で、
「どういう事だ?」
カレンは簡潔に事のあらましを話した。ドッテルは目を伏せて、
「そうか、ミローシャがそんな事を……」
「知らなかったって言うの?」
カレンは眉を吊り上げた。ドッテルは彼女を見て、
「ああ……。あいつは今、家を出ている。だから、お前の家に行った事など、全然知らなかった」
ドッテルは自分の不覚を責めていた。
(私は、自分の妻の行動さえ把握できないような能無しなのか……?)
カレンはフフンと笑って、
「あの女、正気じゃないわね。私がこの事実を公表するから、貴方はそれを口実にあの人と別れなさい。そして、子供を引き取るのよ。そうすれば、ナハル・ミケラコスが死んでも、貴方の手元に遺産が入るわ」
ドッテルはカレンの悪女ぶりに戦慄した。
(純真な女程、一度堕ちると奈落の底まで堕ちるものなのか? こいつは一体……)
「子供は君が育てるというのか?」
ドッテルが尋ねる。するとカレンは目を見開いて呆れ顔になり、
「どうして私が他の女が生んだ子供を育てなければならないのよ? 子供なんか、ベビーシッターにでも頼めばいいのよ」
そして彼女は意味ありげに腹を擦り、
「私の子供は、まだこの中にいるわ」
ドッテルは仰天した。
(ま、まさか……?)
彼は椅子を倒して立ち上がった。カレンはそれをおかしそうに見上げ、
「私、生むつもりよ。貴方と私の子供ですもの。そして、三人で幸せに暮らすの。貴方との結婚は、生まれる前の方がいいわね」
「だから君は私にしつこく結婚を迫ったのか!?」
「そういう事……」
カレンは両手をテーブルの上で組み、小悪魔的な笑みを浮かべた。ドッテルは蒼ざめ、呆然としていた。