第二十四章 その二 ミローシャの決意
ミローシャ・ドッテルは、三人の子供達と共に街の中を歩いていた。
(貴方……。悪く思わないで下さいね。私、あの女の家に行ってみます)
彼女はホバータクシーを拾うと、ミストラン家へ向かった。
(わかっているのはあの女の名前とお兄さんの名前だけ……。一体何を話そうというの、ミローシャ?)
彼女は心の中で自問した。
「着きましたよ」
運転手が告げた。ミローシャは子供達を先に降ろしてから、
「お釣りはいらないわ」
と十アイデアル札を渡した。そして彼女は目の前にあるミストラン家を見上げた。彼女は意を決して子供達の手を引いて玄関へと歩き出す。ドアの横にある呼び鈴を押す。しばらくして、エスメアルがドアを開いて顔を出した。
「どちら様ですか?」
「ミローシャ・ドッテルです。アジバム・ドッテルの妻です」
「あっ、ドッテル様の? ようこそいらっしゃいました、さァ、お入り下さい」
エスメアルは思わぬ訪問者に驚き、慌ててミローシャ達を家の中に招き入れた。
玄関のホールでエスメアルがミローシャからコートを受け取っているところへ、カレンが奥から現れた。彼女はミローシャに気づいてギョッとし、立ち止まった。ミローシャは憂いに満ちた目をカレンに向けた。エスメアルはハッとして、
「申し遅れました、私、エスメアル・ミストランです。そして、あれが妹のカレンです」
と言った。ミローシャはカレンを見たままで、
「存じ上げていますわ」
と穏やかに言った。カレンは怖くなっていた。
(何て迫力なの? 全く気負っていないのに、どうして私、こんなに怯えているのかしら、あの女に?)
「貴女、よく夫と会ってらっしゃるわね?」
ミローシャはゆっくりとカレンに近づきながら言った。カレンは思わず一歩退いて、
「あの、その……」
カレンが言い倦ねていると、ミローシャは微笑んで、
「貴女がいらっしゃったのなら、貴女とお話する方が良さそうね。貴女のお部屋で、二人きりでお話しできないかしら?」
カレンはエスメアルの方を見て、
「お兄さん、お子さん達をお願いね。私、ミローシャ様とお話があるから」
「あ、ああ……」
エスメアルは呆気に取られながら返事をした。
その頃レーア達は、西部地方区の共和主義者の街であるカメルの地に降り立っていた。そこは既に廃墟である。爆撃で家が粉砕され、たくさんの人々が死んでいる。生存者は一人もいないのは、上空からの調査でわかっていた。廃墟の一角に、「赤い邪鬼」の旗が立てられていた。リームはそれをサッと引き抜いて、
「赤い邪鬼の仕業にしようって事か……」
レーアは涙ぐみながら辺りを見渡した。
「酷い……。どうしてここまでしなければならないの?」
「歴史を塗り替えるためには、それくらいやらなければならないという事さ」
ディバートが吐き捨てるように言う。リームは旗の柄をへし折って投げ捨て、
「畜生……」
するとその時、ガガガガッという音がして、周囲から警備隊の装甲車が五台現れた。三人はハッとして、背中合わせになった。
「ディバート・アルター、リーム・レンダース、無駄な抵抗はやめろ」
装甲車の一台から声がした。隊長の車両のようだ。ディバートとリームは顔を見合わせた。
「どうする?」
リームが尋ねる。ディバートは装甲車を見て、
「どうにもならないな。投降する事にしよう」
と言い、目で合図した。するとレーアが驚いて、
「ダメよ、二人共、殺されちゃうわ!」
装甲車は三人の手前で停止し、中からぞろぞろと警備隊員が降りて来た。隊長が一歩前に出て、
「ディバート・アルター、リーム・レンダース、お前達を銃殺刑にする」
隊員達が二人ずつでディバートとリームを取り押さえる。隊長は二人をレーアから引き離すと、ゆっくりと彼女に近づいた。
「来ないでよ!」
レーアは後退りしながら大声で言った。すると隊長は小声で、
「待って下さい。私は貴女の味方です、お嬢様」
「えっ? 味方?」
レーアはキョトンとして立ち止まった。
カレンの部屋は南に面した広いバルコニーのあるところだ。ミローシャは籐椅子を勧められて、腰を下ろし、カレンを見上げた。カレンはバルコニーに通じるフランス窓を開いて振り返り、
「ドッテル様の事ですか?」
「ええ。夫とすぐに別れて下さい」
カレンはニッコリとして、
「別れるとか、別れないとかは、この際問題ではありませんわ。私、あの方とは何でもありませんもの」
顔と口調は強気だったが、彼女の膝は震えていた。ミローシャはカレンから目を離してドアの方を見やり、
「そんな言い訳を聞きたくて貴女のところに来たのではありません。貴女と夫が一緒にホテルに入るのを見た方がいらっしゃるのです」
カレンはギクリとした。顔は蒼ざめ、額に汗が滲む。
(いざとなると、人妻って凄いのね……)
カレンはミローシャの気迫に押され気味だった。ミローシャは不意に籐椅子から立ち上がり、
「貴女、夫と結婚するつもりですの?」
とカレンに近づいて来る。カレンはハッとして目を背け、
「え、ええ……。そのつもりです。ですから、ドッテル様にはいろいろと情報を……」
と言ってしまってから、しまったと舌打ちして口を噤んだ。ミローシャはカレンの顔を覗き込んで、
「情報? 何の事ですか?」
カレンはミローシャの視線を避けるようにバルコニーに出た。ミローシャも後を追う。
「とにかく、ドッテルにはもう会わないで下さい。あの人は私の夫なのです。貴女の夫ではありません」
「でも私はあの方の愛人ですわ」
カレンのその言葉に、ミローシャは計り知れないショックを受けた。
(この女、何て事を……。他人の夫を奪っておいて、それを何とも思っていないような言葉を吐いて……)
「ドッテル様は、貴女の事などもう愛していないのです。ナハル・ミケラコス氏が亡くなったら、貴女と別れて私と一緒になるって言って下さったのです」
「……!」
ミローシャの怒りが爆発した。彼女はバッとカレンに飛びかかり、首を絞めた。
「夫を渡しはしないわ! あの人が私の事をどう思っていようと、私はあの人の事を愛している! だから貴女になんか、渡しはしない!」
「く、苦しい……」
カレンは必死になってミローシャの手を払おうとした。しかしミローシャの両手はカレンの首をますます強く締めつけた。その時ドアが開かれ、エスメアルが飛び込んで来た。彼は二人の間に割って入り、ミローシャの手をカレンから放した。
「何て事をなさるのですか、奥様!?」
エスメアルが怒鳴ると、ミローシャはガックリと膝を着き、声を立てずにすすり泣いた。カレンは首を擦りながら、ミローシャを見ていた。