第十九章 その三 カレンとライカス
カレン・ミストランは、誰もいない事を確かめると、ソッとタイト・ライカスのプライベートルームに忍び込み、机の引き出しを開けた。そこにはたくさんの書類が入っており、彼女の目に「帝国」と言う単語と、「総裁選」、「エスタルト」、「メラトリム・サイド」という言葉が飛び込んで来た。
「一体何かしら?」
カレンはその時、ライカスが執務室に入って来たのに気づき、引き出しを閉じて机の片付けを始めた。
「やァ、ミストラン君」
ライカスはプライベートルームに入って来て、カレンに声をかけた。
(堅物と言われた私でさえ、彼女には心惹かれる)
ライカスはカレンの魅力に圧倒されていた。カレンはギクッとしてライカスを見た。人の心を読む事にかけては、人後に落ちない彼は、カレンの気まずそうな表情を見て取った。
「一体どうしたのかね、ミストラン君?」
「い、いえ、別に……」
カレンは慌ててプライベートルームを出て行った。ライカスは妙に思いながら椅子に座り、引き出しを開けた。
「はっ!」
ライカスは、わずかながら書類の位置がずれている事に気づいた。
(変だな。書類が動かされている。それに張っておいた糸が切れている)
糸を引き上げたライカスは、カレンの事を思い出した。
(彼女が? まさか……)
ライカスはその考えを頭から追い出し、机の上の書類に目を通し始めた。
特別機の中で、レーアはすすり泣き続けていた。バジョット・バンジーは慰める事もできず、操縦を続けた。
「私、私、もう嫌よ! トレッドやキリマス達は死んだわ。カミリアだって、きっと……」
「お嬢さん、カミリアさんはまだ死んじゃいない。お仲間に連絡して、カミリアさんを助ける事です」
「でも……」
レーアは涙に濡れた目をバンジーに向けた。
「貴女が親父さんの事でまだ吹っ切れていないのはよくわかりますが、この際ザンバースの事は忘れなさい。今我々が立ち向かうべきは、歴史そのものなのですから」
バンジーの言葉は、レーアにズシリとのしかかって来た。
(歴史そのもの? そう言えば、ミタルアムおじ様の言葉からも、歴史の重圧を感じたわ)
「父親と娘が、戦わなければならないなんて、常識じゃ考えられない事だ。でも現に貴女はザンバースと対立する立場にいる。それは他人が貴女に強いた事かも知れませんが、歴史が貴女に課した試練と考えた方がいい」
「……」
バンジーは操縦桿を動かしながら、
「貴女の家系は、常に親が子を乗り越えて大きくなって来た。貴女もザンバースを乗り越えなくてはならない。そうしなければ、貴女は歴史に抹殺されますよ」
「歴史に抹殺される?」
レーアはキョトンとした。バンジーはフッと笑い、
「そうです。ザンバースがやろうとしている帝国の復活は、歴史に対する挑戦であり、歴史の逆行です。それがもし成功すると、歴史の歯車が逆に回り出して、貴女を引きずり込み、押し潰してしまうでしょう」
「そんな……」
レーアは蒼ざめた。バンジーは苦笑いをして、
「これは少しばかり、脅しがきつかったかな? まァとにかく、今はカミリアさん救出を考えましょう」
「ええ……」
レーアは自分に迫って来る目に見えない何かを感じ、身震いした。
ザンバースは、総裁執務室で椅子に沈み込み、窓の外を眺めていた。夕日がビル街の向こうに沈みかけている。そこへマリリアが入って来た。
「何だ?」
ザンバース派椅子を回転させて彼女を見た。マリリアは持っていた書類を渡して、
「私の部下の報告によりますと、ライカス補佐官の秘書の一人の様子がおかしいようです」
ザンバースは書類を読んで、
「カレン・ミストラン……。この女か?」
「はい。野暮ったくて色気もない秘書でしたが、ここ二、三日で見違えるようになりました」
ザンバースは目を細めて、
「どういう事だ?」
マリリアは彼に近づき、
「はい。彼女は何日か前にある男と会っています。男の名は、アジバム・ドッテル」
ザンバースはキッとしてマリリアを見上げる。マリリアはザンバースの膝の上に腰を下ろした。
「ドッテルが? 奴がライカスの秘書と接触したのか?」
「はい」
ザンバースはニヤリとし、
「まァいい。しばらく放っておけ。ドッテルの腹が読めるまではな」
「はい」
そして、二人は唇を貪り合った。
「何ですって? コーリン会長が、事故死?」
特別機をアイデアルの郊外に着陸させたバンジーを待っていたのは、残酷なものだった。彼を出迎えたケラル・ドックストンは、
「暗殺団の仕業でしょう。とにかく、貴方も気をつけて下さい」
「ええ……」
バンジーは呆然としていた。レーアはそんな彼を悲しそうに見ている。ケラルが彼女に近づき、
「早くここを離れましょう。カミリア君救出をディバート達と考えねばなりません」
「ええ……」
レーアはケラルと共にホバーカーに乗り込み、特別機から離れた。バンジーは思い出したように歩き出し、街に向かう。
「会長……。申し訳ありません……」
彼は泣いていた。
「カミリア君の事も気になりますが、もっと気がかりなのは、悪魔の孤島を解放したザンバースの意図です」
ホバーカーの中で、ケラルが言った。レーアは彼を見て、
「エスタルト伯父様が可哀想だわ。パパ、酷い……」
と呟く。しかしケラルは、
「エスタルト総裁の事をそう思ってくれる人は、あまりいないでしょうね」
「えっ? どうして?」
レーアはピクンとした。ケラルも悲しそうな顔で、
「ザンバースの意図が、まさにそこにあるからですよ」
ケラルのその言葉に、レーアは混乱した。