第十八章 その二 ザンバースの決意
翌朝、連邦ビルの秘密の地下室で、ザンバース達は幹部会議を開いていた。
「諸君も、アーマン・ダスガーバンの『血の誕生日事件』はよく知っているだろう?」
一同は戦慄した。アーマン・ダスガーバンの「血の誕生日事件」とは次の通りである。
アーマン・ダスガーバンは、自分の父親であるカイゼル国連事務総長を追い落とし、地球帝国を建国した。それから十年後、帝政十周年と自分の四十歳の誕生日が重なった年に、恐ろしい事を提言した。
「私の聖なる誕生日には、如何なる犯罪も許さぬ。どれ程些細な犯罪者であろうとも、全て極刑を以て処罰せよ」
すなわち、犯罪者全員を死刑にしろ、と命じたのだ。側近達ですら、この狂気の勅命に異を唱えようとしたが、それはすなわち、「不敬罪」に該当し、自分達までも死刑にされてしまうので、逆らう事はできなかった。そして、その恐るべき「お言葉」は帝国中に伝えられた。国民の誰もがあまりの内容に驚愕し、アーマンの誕生日には誰も出かけようとしなかった。しかしそれでも、仕事などで動かざるを得ない者達もいて、交通事故、窃盗、痴漢等があり、検挙された。中には事情を知らない者もいたが、それは免罪理由とはならず、地球各地で死刑が執行された。その日一日で死刑にされた人間の数は万単位に及び、人々は改めてアーマンの狂人ぶりを知る事となった。
「アーマンは狂人だった。その子アーベルも同じだ。二人は理性に欠けていたため、たった二代で帝国崩壊を招いた。狂人には権力は凶器でしかない。そしてエスタルトは、万民平等を強調したため、少数の反対者に憎悪され、一代で連邦を終わらせる事になった」
ザンバースは淡々と話を進める。
「私はこの愚か者共とは違う。私の理想は、法の保護の下で惰性で生き、肥え太っている堕落した大衆を徹底的に叩き直し、地球人類のより一層の発展を図る事にある。そのためには諸君の協力が必要だ。そして、急進派以下、エスタルトに与した者は、全て叩き潰さねばならない。あくまで速やかに、あくまで冷静に、だ。地球帝国の建国にはもうしばらく時間がかかろうが、私は急いではいない。只、しくじるような事をしたくないのだ」
ザンバースは、帝国軍司令長官であるリタルエス・ダットスを見た。ダットスはハッとした。
「ダットス、警備隊の方は、準備は整っているか?」
「はっ。ご命令があればいつでも全ての州政府を占拠し、支配下に置く事ができます」
「よろしい」
ザンバースは満足そうに頷き、次いで一同を見渡す。
「後は国民の感情を、メディアを通じて操作し、時が来るのを待つだけだ」
ザンバースの圧力のようなものが、他の全員にのしかかっていた。
ケラル・ドックストンはディバート達の事情を聞いて考え込んだ。しばらくして彼は、
「危険です、お嬢様」
「危険なのはどこにいても同じよ。とにかく、行かせて」
ケラルはレーアが言い出したら聞かないのはよく知っていたが、それでも、
「悪魔の孤島には、バンジーが行きますよ」
「それはわかっているわ。でも、私の目で確かめたいの。伯父様のやり残した事を……」
レーアの目は、何があっても後には退かない強い意志が宿っていた。ケラルは彼女を説得するのを諦め、
「わかりました。仕方ありませんね。しかし、行動はなるべく目立たないように。いくら連中に貴女を殺すつもりがないとしても、危険な事に代わりはありませんから」
「ありがとう、ケラル」
レーアはケラルにも抱きついた。ケラルは苦笑いしてディバートとリームを見た。
「バンジーには伝えておくから、そのつもりでいてくれ。それから、悪魔の孤島の解放は、事実上の連邦制の終結を意味する。ザンバースの部下達の動きも活発になるから、気をつけるようにな」
「はい、首領」
ディバートとリームは頷いて応じる。何故かナスカートはその場にいなかった。
「では私は邸に戻ります。お嬢様、カミリア君、気をつけて」
「はい」
二人はケラルを見て答えた。ケラルはディバート達に目配せすると、アジトを出て行った。
カレン・ミストランは、ドッテルと会っていた。今度は一流ホテルの最上階にあるレストランである。カレンは実に情けない感じがしていた。ドッテルのスーツは、高級ブランドのものなのに、自分の服はまさに普段着である。他にお客がいないのが救いだ、と思った程だ。実はドッテルがレストランを貸し切っていたのだが。
「どうしましたか、ミストランさん?」
ドッテルは手を休めてカレンを見た。カレンは俯いて、
「私、恥ずかしくて……。こんな格好で、これほどのお店に来てしまって……」
「ああ、これは気づきませんでした。私は女性の服装に疎いものですから、わかりませんでした。大変失礼しました」
ドッテルはにこやかな顔で詫びた。
「食事がすんだら、私の行きつけの店ですぐにドレスを新調しましょう」
カレンはその言葉に驚いて目を見開いた。
「そんな……。そんな事をされたら、私、困ります……」
慌てるカレンを宥めるようにドッテルが続ける。
「いや、これは私の無礼の謝罪のつもりです。お気になさらないで下さい。それに貴女は、もっと素敵な女性になれるはずです。貴女は自分で自分を貶めています。しかし貴女は、ご自分で思っているより、ずっと素晴らしい女性ですよ」
カレンは顔が紅潮するのを感じた。
(やだ、私、人前でこんなに顔が熱くなるなんて……)
彼女は男性に面と向かって誉められた事がなかったのだ。嬉しいような、恥ずかしいような、そんな複雑な感情が、彼女の心の中を駆け巡った。
「そんな事……。私なんか、全然ダメです。お化粧なんてした事はありませんし、服も凝った事がありません。できないんです。ずっと勉強ばかりで、何もわからなくて……」
ドッテルはカレンのその言葉に耳を疑った。
(まさか!? この女、アイラインや口紅くらいは使っていると思ったのに……。あの目許も唇も、自然のままだと言うのか?)
ドッテルの妻ミローシャなど比べ物にならなかった。化粧をしないでこれ程の美貌なら、例えミローシャがカレンと同年代だとしても、カレンの勝ちである。ドッテルはすっかり驚いて、カレンを見つめていた。そしてようやく、
「いや、素晴らしい……。化粧をしていないとは……。ますます素晴らしい女性ですよ、貴女は。磨きをかければ、ミス・アイデアルはおろか、ミス・地球連邦も夢ではありませんよ」
ドッテルはお世辞でなくそう思っていた。カレンは恥ずかしそうに俯いて、
「ミス・アイデアルだなんて、とても……」
ドッテルはカレンが可愛くなった。
(こんな純真な女が今時いるとはな。本当に素晴らしいよ、あんたは)
二人はしばらくして席を立ち、ホテルを出てブティックに向かった。そこはミローシャの行きつけの店で、結婚当時はドッテルもよく付き合わされたものである。
「これはドッテル様」
店長がわざわざ店の奥から飛び出して来て、二人を出迎えた。彼はカレンに気づき、
「こちらのお嬢様のお召し物ですね?」
「そうだ。この娘は何もわからないそうだから、君らに任せるよ」
「はい、かしこまりました」
店長は目を輝かせて答えた。