第七十八章 その三 そして始まりへ
レーアはメキガテルの皮膚が裂けて血が滲むほど叩いたが、メキガテルは決して立ち止まらず、レーアを降ろす事もなかった。
「嫌いよ、メック! パパを見捨てるなんて!」
レーアに「嫌い」と言われ、さすがに心が痛んだが、それでもメキガテルはレーアの言葉に耳を傾けなかった。彼はリトアム・マーグソンと共に秘密の抜け道を通り、大帝府(旧連邦ビル)を脱出した。そこからもダスガーバン家へと続く地下道を抜けたので、三人はナスカート達が消息を案じていた頃には安全な場所に到達していた。
「パパ!」
ダスガーバン邸に到着すると、メキガテルは倒れ込むようにしゃがみ込んでしまった。その機を逃さず、レーアが走り出した。
「ダメです、レーアさん」
マーグソンが立ち塞がる。レーアは目を吊り上げてマーグソンを睨みつけ、
「どいてください! 私はパパを助けに行くんです!」
レーアはマーグソンを押し退けようとした。
「いい加減にしないか、レーア!」
マーグソンがレーアを平手打ちしようとした時、メキガテルが動いて彼女の頬を叩いた。レーアはその衝撃で床に倒れた。
「お嬢様!」
騒ぎを聞きつけて、婆やのマーガレット・アガシムが走って来た。彼女は床に倒れているレーアを見て仰天してしまった。
「聞き分けのない事を言うな! 子供じゃないんだろう? どういう事なのかわかっているんだろう?」
メキガテルの口調は激しかったが、彼は目を潤ませていた。レーアが逆上するのも理解できるからだ。しかし、あの時ザンバースを仮に運び出せたとしても、彼は失血死していただろう。それならば、せめてザンバースの考えを尊重し、大帝室に残す事を選んだのだ。決してザンバースを見捨てた訳ではない。
「レーアさん、辛いだろうが、この選択が一番なのですよ。貴女にとっても、ザンバースにとっても」
マーグソンはレーアに右手を差し出してそう言った。レーアは涙でグチャグチャになった顔を上げ、
「私にとっても?」
意味がわからず、マーグソンを見つめる。
「ザンバースを大帝府から連れ出したら、裁判にかける事になる。そうなれば、君自身も親族として法廷に呼び出される」
マーグソンの話を引き継いだメキガテルの言葉にレーアは顔色を変えた。
「君は長い時間拘束され、多くの尋問を受ける事になる。そして、ザンバースには極刑が待っている」
メキガテルは目が痒い素振りをして涙を拭った。
「時間です」
マーグソンが誰にともなく言った。レーアとメキガテルは顔を見合わせてからマーグソンを見た。マーガレットは意味がわからず、ポカンとしたままだ。しばらくして地面が揺れ出した。マーガレットは天井を見渡し、
「地震?」
「いや」
マーグソンは首を横に振り、廊下を大股で歩き出した。メキガテルがレーアを支えてそれに続き、マーガレットも慌てて三人を追いかけた。
「ああ!」
庭に出ると、森の向こうに火柱が上がっていた。それは天を支える巨大な柱のようにいくつも雲を突き抜けて遥か上空へと伸びていた。
「パパ……」
レーアの目からまた涙が零れ落ちた。崩れ落ちそうな彼女をメキガテルがしっかりと支えた。それを見てマーガレットは何が起こっているのか悟った。
「もしや……?」
彼女はマーグソンを見た。マーグソンは黙って頷いた。マーガレットの身体から力が抜け、地面に座り込んでしまった。
「旦那様……」
彼女の目からも大粒の涙が零れ落ちていた。
「ザンバースは連邦時代から燻り続けていたあらゆる火種を一つ残らず一緒に持っていってくれたのです」
そう言ったマーグソンの目にも光るものがあった。
爆発から逃れるために必死に走っていたナスカート達は、港近くで火柱を見ていた。
「勝ったんだよな、俺達」
荒く息をしながら、誰にともなく言った。するとカミリアが咳き込みながら、
「勝ったよ。勝ったのさ」
一番の仇であったエメラズ・ゲーマインハフトを討てなかった悔しさを押し殺して応じた。
「大帝……」
図らずも再会し、もう一度やり直そうと決めたマルサス・アドムとマリリア・モダラーは異口同音に呟いた。立ち昇る火柱を見て泣き出す帝国兵もいた。ホッとして隣にいる者と肩を叩き合う者もいた。そんな人間模様を見ているうちにタイタスとイスターは自分達が生き延びた事に思い至り、抱き合って泣いた。
「大帝……」
マリリアとマルサスの姿を見つけたタイト・ライカスもまた、涙を流し、炎上する大帝府に向かって敬礼した。反乱軍に見つかり、捕縛されるのも厭わず、そうしようと思ったのだ。ザンバースが最後まで明かしてくれなかった帝国復活の真の狙いを今ようやく理解し、ライカスは涙が止まらなかった。
「あれは……」
元西アジア州知事であったドラコス・アフタルは、兵士に交じって敬礼しているライカスに気づいた。しかし、人目も憚らずに泣いている彼を見て、敵の幹部がいるとは言えなかった。
(今こそその憎しみの連鎖を断ち切る時なのかも知れないな)
アフタルはそう思って視線を移した。
「あれは何だ?」
タイタスが空の上から落下していく火の玉を見つけて指差した。
「多分、衛星兵器だろうな。あの角度なら、海に落下するんじゃないか」
ナスカートも上を見て言った。次の瞬間、火の玉は爆発四散し、数多くの破片になって燃え尽きていった。
南米基地でも、大帝府とその関連施設の全てが爆発炎上しているのを捉えていた。
「勝ったんですね、我々は」
ザラリンド・カメリスが言った。元月支部知事のアイシドス・エスタンは沈痛な面持ちのままで、
「そうだね」
それだけ言い、腕組みして監視衛星が送ってきた映像を見つめた。ステファミーとアーミーは戦争が終わった事を喜びたかったが、親友であるレーアの父親のザンバースが爆死したのもわかっているので、手放しでは喜べなかった。
(レーアさん、これからが大変だよ)
エスタンはレーアにのしかかる戦後の情勢を思い、息が詰まりそうになった。
「大帝府が炎上した事を受け、地球各地で行われていた戦闘が終結しつつあります。帝国軍の兵士達が次々に投降し、パルチザンはそれを受け入れているようです」
カメリスはすぐさま情報収集を開始していた。
「メキガテル君と連絡を取って声明を出し、パルチザンにも戦闘停止を呼びかけてもらおう」
ジッと映像を観ていたエスタンがカメリスに言った。カメリスは頷き、
「ナスカートさんに連絡を取ってみます」
機器を忙しなく動かした。
爆発が収まり、事態が収拾へと動き始めた時、科学局の技師達がナスカート達の部隊に投降して来た。その中には衛星兵器である「キラーサテライト」を開発したヨルム・ケストンや、毒薬作戦を決行したカラカス・サンドラ、そして、全ての指揮をしていたエッケリート・ラルカスがいた。パルチザンの中には衛星兵器や毒薬で身内や友人を失った者も多くいたが、それすら知らないまま、彼らの投降を受け入れていた。
レーアとメキガテルとマーグソンはマーガレットに一時の別れを告げ、ナスカート達と合流した。そして、エスタンからの伝言を聞き、メキガテルが地球中のパルチザンに戦闘停止を呼びかけた。
「パルチザン隊総隊長のメキガテル・ドラコンだ。帝国との戦争は終結した。直ちに戦闘を停止し、敵兵に投降を呼びかけてくれ」
メキガテルは一呼吸置いてからマイクを持ち直し、
「我らの勝利だ。心ゆくまで喜びを分かち合ってくれ」
レーアの事を知らない者達にまで、一緒に悲しめとは言えない。それはレーアの希望でもあった。
「ザンバースは敵の総大将だったのよ。そのザンバースがいなくなった事は、皆にとってはいい事なのだから、喜んで欲しいわ」
レーアは渋るメキガテルにそう告げたのだった。
「これからもっと忙しくなるぞ、大統領閣下」
メキガテルがふざけてそう言うと、レーアは泣き笑いして、
「もう! その呼び方、禁止します」
少しだけ心が和んだ。