第七十四章 その三 野心家の切り札
夜の闇の中をレーア達のホバーバギー部隊は疾走していた。辺りは人家もなく、以前はいつ稼働していたのかわからないような工場群が続いている。パルチザン隊の艦隊が北アメリカ大陸に接近しているという情報が入った時、帝国軍が沿岸にある工場全てを接収し、立ち退かせたのである。当初はパルチザン達が上陸したと同時に工場を爆破する手筈になっていたのであるが、ザンバースの娘であるレーアがいると知ったため、現場の部隊は皆作戦決行を躊躇ってしまった。
「大帝のお嬢様を殺したりしたら、大変な事になるのではないか?」
そんな考えと、
「大帝の令嬢を救出すれば、将来が保証されるかも知れない」
そんな考えが大勢を占めていた。それはまさにレーア自身が望んでいた反応であった。いや、彼女が予想していた以上の反応だったかも知れない。レーアは多少は妨害があると思っていたのだ。しかし、妨害はおろか、バリケードによる阻止すらなかった。
「レーアさんの目論みが図に当たったようですね」
隣のシートでカラスムス・リリアスがほくそ笑んだ。レーアは肩を竦めてシートに腰を下ろし、
「拍子抜けですね。ここまで過剰に反応するとは思いませんでした」
リリアスは笑うのをやめて真顔になり、
「このままアイデアルまで何事もなくいくとは思いません。そのうち、攻撃を仕掛けてくる部隊も出て来るでしょう」
レーアは風でなびく髪を掻き上げながら、
「ええ。それにナスカートの方も上陸したのですから、少しは反応が変わってくると思いますよ」
そう言って前を見据えた。
帝国軍司令本部は混乱していた。アイデアルの北から上陸した部隊にレーアが同行しているという情報が入り、そちらが囮だと判断した本部は、南から上陸した部隊に戦力を傾ける指示を下した。ところが、北上してくる部隊にもレーアがいるとの情報が入って来たのだ。
「どういう事だ? 見間違いではないのか?」
本部の混乱を知り、自ら直接指揮を執る事にしたタイト・ライカス司令長官は、オペレーター達に問い質した。
「暗いため、赤外線カメラで撮影したのですが、それでもわかりません。声も出しているので、声紋鑑定をさせましたが、どちらも本物という鑑定結果が出まして……」
オペレーターは普段は温厚なライカスが凄まじい形相で見ているので、震えながら答えた。
「そんなバカな事があるか! レーアお嬢様はお一人だ! どちらかは偽者だ」
ライカスはもちろん、オペレーターや現場の者達がレーアが二人になったと思っているとは考えていない。どちらかが偽者なのは、全員がわかっている。
(音声を変換しても、声紋まで換える事はできない。何かのトリックだ)
そこまではわかっても、どちらが偽者なのかはわからない。
(距離は北からの部隊が近い。こちらが本命なのか? だとすれば、お嬢様は南なのか?)
どちらが本命だとしても、レーアが本命の部隊にいるとは限らない。ライカスは歯軋りした。
「長官、大帝からお電話です」
交換手が告げた。それはライカスにとって死刑宣告のようだった。
「はい」
震える手で受話器を握り、応答する。
「何をしている、ライカス?」
ザンバースの声は抑揚がなかった。彼が怒っている証拠である。受話器を握る手に大量の汗が噴き出し、取り落としてしまいそうである。
「は、それが、両方の部隊でお嬢様のお姿を確認した模様でして……」
「お嬢様? 誰の事だ? もしそれがレーアとか言う女の事であるのなら、何を躊躇っているのだ? 私の娘はもういない。攻撃を開始させろ」
ザンバースの声は冷たかった。ライカスはその言葉を聞いて、更に震えてしまった。
「ライカス!」
ザンバースの怒気を含んだ声が受話器を壊さんばかりに轟いた。
「は!」
ライカスは受話器に向かって敬礼していた。そして、
「各部隊に通達! 攻撃を開始しろ! 敵を殲滅せよ!」
ライカスは渇き切った口を必死に動かして怒鳴った。
ナスカートは隣のマリリアが悲しそうな顔をしているので声をかけようか迷っていたが、
「む?」
周囲に敵の気配を感じ、立ち上がった。マリリアもナスカートが突然動いたので驚いて彼を見上げた。
(空気が張りつめたような気がする。とうとうバレちまったか?」
彼は眉間に皺を寄せて辺りを窺った。そしてシートに座り、
「各隊、警戒しろ。敵が動き出したようだ」
そしてマリリアを見た。
「伏せていろ。敵さんに気づかれたのかも知れない」
「え、ええ……」
マリリアはそう応じたが、死に場所を探している彼女には必要のない事だった。
「レーア達に連絡。敵に気づかれた模様。作戦変更されたし」
ナスカートは助手席に座っている通信係に命じた。その直後、彼らの前方が急に明るくなった。帝国軍の陸上部隊がサーチライトを掲げて進行して来たのだ。戦車と砲台を備え付けたトラックが何台も見える。
「くそ、皆殺しにするつもりかよ」
ナスカートは舌打ちし、背後から対戦車砲を取り出して右肩に担いだ。
「各個に散れ! 固まると狙い撃ちにされるぞ」
ホバーバギーは散開した。
レーア達はナスカート達の連絡を受けていたが、彼女達も敵の出現に対応しているところだった。
「ナスカートの方が偽者だとバレたんじゃなさそうですね?」
リリアスはサブマシンガンを片手に持ち、レーアを見た。
「そうみたいですね。作戦自体が失敗したのかも知れませんね」
レーアも無反動バズーカ砲を持ち上げて応じた。
(パパ、とうとう本当に私を娘だと思わない事にしたのね)
悲しかったが、今は個人的な感情をあれこれ片づけているゆとりはない。とにかく、突破するしかないのだ。
「でも、私は必ずそこまで行くわ!」
レーアは立ち上がるとバズーカ砲を撃った。
大西洋を東進しているマルサス・アドムが乗り組んでいる護衛艦は、朝日を浴びて地中海を目指していた。
「ゲーマインハフトの部隊はどこまで来ている?」
マルサスがレーダー係に尋ねた。
「まだ出港していません」
「何!?」
マルサスはその答えに目を見開いた。
「あの男、意図的にゆっくり移動しているな?」
マルサスは歯軋りした。
(相変わらず食えん奴だ)
そのゲーマインハフトは、確かに海に出ずにいた。しかし、理由はマルサスが思っているのとは違っていた。
「そうかい、面白いものを見つけたねえ」
彼はテレビ電話で西アジアに残して来た別動隊からの報告を受けていた。
「なら、大西洋なんていう狙い撃ちされそうなルートはやめようか。まあ、カミリアとアフタルには海路を行ってもらっても構わないけどさ」
ゲーマインハフトは狡猾な笑みを浮かべ、ベッドの隣で全裸で俯せになっているカミリアを見た。彼は地中海に面した帝国軍専用の港に到着するまで普通の倍の日程をかけていた。そして、その間中、カミリアを慰みものにしていたのだ。カミリアは必死に堪え、呆けたふりを続けていた。
(こいつ、何をするつもりなんだ? 大西洋を使わないで、一体どうやって北米大陸に行くつもり……)
そこまで考えて、彼女はある事に思い至った。
(まさかこいつ、あれを見つけてしまったのか?)
彼女は思わず歯軋りしそうになった。ゲーマインハフトはとんでもないものを見つけてしまったのである。
ゲーマインハフトがヨーロッパを発とうとしないのをザンバースも把握していた。
(何を企んでいるのだ、ゲーマインハフト?)
ザンバースは煙草を燻らせて目を細めた。煙を吸い込むたびに傷口が痛むのであるが、彼は気にしなかった。
(何を企んでいようと、どこから来ようと、お前の頭は押さえてあるのだ)
ザンバースは煙草を灰皿にねじ伏せ、一気に紫煙を吐き出した。その時、インターフォンが鳴った。
「どうした?」
ザンバースがボタンを押して尋ねると、
「北上部隊は押さえ込んでいますが、南下部隊が我が軍の包囲網を突破しつつあります」
ライカスからの報告であった。ザンバースは目を細めて、
「そちらが本命だ。連中はやはりアドム達の作戦を踏襲しているのだ。北に戦力を振り向けろ」
「は!」
ザンバースはインターフォンから手を放すと苦しそうに息をして椅子に身を沈めた。




