第七十四章 その一 それぞれの覚悟
ザンバースの邸にまた姿を見せたかつての救国の英雄であるリトアム・マーグソンは、レーアの世話係であったマーガレット・アガシムと庭園の片隅にある東屋で以前と同じように紅茶を飲んでいた。
「マーグソン様」
マーガレットはリトアムが自分とお茶を飲むためだけにここに来たとは思っていない。リトアムはカップをソーサーに置いてマーガレットを見た。
「お話があるのではないですか?」
マーガレットは意を決して言った。するとリトアムは微笑んで、
「マーガレットさん、貴女は覚悟を決めたようですね。私が何を話に来たのか、聞く決心がついたようだ」
「はい。どれほど恐ろしい事でも、お聞き致します。旦那様の事ですね?」
マーガレットは口ではそう言いながらも、手は小刻みに震えていた。リトアムはそれに気づいていたが、何も言わなかった。そして、口を開いた。
「ザンバースが撃たれたという話は聞いていますね?」
マーガレットはそれを聞いて一瞬だけ身じろいだが、
「はい。ですが、その直後に誤報だったというお話も聞きました」
そして両手をギュッと握りしめ、リトアムを見る。リトアムもマーガレットを見て、
「その誤報というのは偽りです。ザンバースは部下のミッテルム・ラードに撃たれて重傷というのが真相です」
覚悟をしていたはずだったが、リトアムの口から語られた事は、マーガレットの胸を締めつけるのに十分であった。
「そんな……」
マーガレットはもう少しで椅子から転げ落ちそうになった。
「大丈夫ですか、マーガレットさん」
しかし、それより早くリトアムが彼女を支えた。
「何故ですか?」
マーガレットは目に涙を溜めてリトアムに尋ねた。リトアムはマーガレットを椅子に座らせながら、
「理由はわかりません。只、ミッテルムは何度も失態を演じていたので、処分される事になったのでしょう。そこで自暴自棄になり、ザンバースを殺そうとした。そんなところではないかと思われます」
マーガレットは涙を流して、
「旦那様のご容態はどうなのでしょうか?」
リトアムは自分の椅子に戻ってからマーガレットの手を自分の手で優しく包み込み、
「その後も執務を続けているようですから命に別状はないようです。ですが、撃たれた以上は無理は効かなくなる」
「はい」
マーガレットは潤んだ目でリトアムを見た。
「私はもう一度ザンバースと会うつもりです」
マーガレットはリトアムの言葉に目を見開いた。リトアムは彼女から手を放して、
「これ以上の戦いは無意味です。ザンバースを説得し、終戦にさせます」
「マーグソン様、でもそれは危険です」
マーガレットは思わず立ち上がった。リトアムもゆっくりを立ち上がり、
「私は誰よりもあの建物の内部を熟知しています。心配要りませんよ」
マーガレットに別れの挨拶のキスをし、立ち去った。
「マーグソン様……」
マーガレットはしばらくリトアムが消えた方角を見つめていた。
リトアムはマーガレットに全てを語れなかった。彼女の動揺するのを見て、真相の半分しか言えなかった。
(ザンバースは恐らく大量に出血したはず。私が秘密の通路を通って駆けつけた時、大勢の人間が慌ただしく部屋を出入りしていた。ミッテルムの遺体の始末もあったろうが、その多くが医療関係者であったから奴とは関係ない)
リトアムがもう一度ザンバースに会いに行くのは、ザンバースの状態が良くない事を見抜いているからなのだ。そして同時に時間がないザンバースが強行手段に出る可能性を恐れていた。
(自分の命があと僅かだとなれば、ザンバースは更に急ぐはずだ。ならば私も急がねばならない)
リトアムは周囲を見渡してから、スッと消えてしまった。
レーア達の小艦隊は北進を続け、アイデアルより北に出ていた。ジリジリと照りつける太陽が甲板に陽炎を立てている。
「もう少し進めば、アイデアルに一番近い港に出ます。帝国軍も空にはしていないでしょうが、ナスカート達の大艦隊に対抗するためにその多くの戦力を南に振り分けているはずです」
ブリッジでカラスムス・リリアスがレーアに説明していた。
「ナスカート達はどれくらいで戦闘を開始しますか?」
レーアはリリアスを見上げて尋ねた。リリアスは3Dの地図を展開させて、
「今から十二時間後です。夜襲をかけます。ちょうどそれと時を同じくして、我々の艦隊も接岸します」
レーアは地図を真剣な表情で見つめて、
「夜襲、ですか?」
「ええ。数が違いますから、戦法を考えないと被害ばかりが大きくなってしまうんです」
リリアスはレーアが夜襲に難色を示したと思い、そう言った。するとレーアは、
「夜襲もいい作戦ですが、それよりもそのまま戦闘を避けて上陸する方が犠牲が少なくなりませんか?」
全く違ったアプローチをして来た。そのため、リリアスは一瞬ポカンとしてしまったが、
「ああ、確かにそうかも知れませんね。検討してみます」
と応じた。
「それから、私達も同時に接岸するとの事ですが、こちらが先に上陸し、騒がしく進んだ方がいいのではないでしょうか?」
レーアが更に妙な事を言い出したので、リリアスは目を見開いた。
(この人、本当に戦争は素人なのか?)
レーアはリリアスが固まってしまったのを見て、彼が怒ったと勘違いし、
「ごめんなさい、私みたいな素人が口出ししたらダメですよね」
「あ、いや、ダメではないですよ。只、どうして我々の方が先に接岸した方がいいんですか? それも騒がしくって……」
リリアスはレーアが勘違いしたのに気づき、慌てて言い添えた。レーアは苦笑いして、
「私達が先に上陸して騒がしく進めば、こっちが囮だと思ってくれるのではないかと考えただけです。ごめんなさい」
「あ、いや、その方がいいです。ナスカート達が囮だと見せかけておいて、こちらがわざとらしく上陸すれば、どちらが囮か敵は判別が難しくなると思われます」
リリアスはそう言いながらも、
(これがダスガーバンの血なのか? 軍師の才覚があるぞ)
恥ずかしそうにしているレーアをジッと見てしまった。
(リリアス、やっぱり!)
それをブリッジの端から見ていたタイタスが怒りに震えていた。イスターがいないとタイタスはいつ暴走するかわからない。その上、レーアには、
「貴方は私の幼馴染みなの。貴方を男として見た事はないわ」
と言われてしまっている。だから危険度が増しているのだ。
(レーアは俺が守る)
タイタスは自分の命を捨ててもレーアをアイデアルに行かせるつもりでいた。
アイデアルにある大帝府の大帝室で、ザンバースは沈み込むように椅子に座っていた。
『くれぐれもご無理なさいませんよう。傷は決して浅くはありませんので』
医師に応急手当しかさせなかったのであるが、その中の一人が去り際にそう言ったのをザンバースは目を閉じて思い出していた。
(間に合うのか? いや、間に合わせるのか……)
彼は目を開き、ゆっくりと椅子から身を起こして立ち上がると、窓に近づいた。すでに日は高いが、窓のそばにはまだ日差しが入って来ている。
(レーア、早く来い。時間がない)
彼は射し込む日の光に目を細めた。そして踵を返すと、机に近づいてインターフォンを押し、
「ヨルム・ケストンを呼べ。エッケリート・ラルカスもだ」
補佐官のタイト・ライカスに命じた。
「は、直ちに!」
ライカスの声を聞くと、ザンバースはボタンから指を放して倒れ込むように椅子に座った。
(キラーサテライトに活躍してもらう時が早まってしまったようだ)
彼はまた椅子に沈み込み、目を閉じた。




