第七十三章 その三 加速する野望
ザンバースが銃撃された情報はすぐに補佐官でもあるタイト・ライカスの元にも伝えられた。彼は大急ぎで大帝室に駆けつけたが、ザンバースを撃って射殺されたミッテルム・ラードの遺体はなく、ザンバースは自分の椅子に悠然と座り、煙草を吸っていた。
「大帝、ご無事でしたか」
ライカスは心の底からホッとして言った。インターフォンで伝えて来た情報部の人間が大袈裟だったのかと思ったほどだ。
「不意を突かれたせいで不覚をとったが、大丈夫だ。但し、私が撃たれた事に対しては箝口令を敷け。反乱軍に知られると、勢いづかせる事になる」
ザンバースはほとんど無表情のままでライカスに言った。
「もちろんです。情報統制は確実に遂行致します」
そう応じながら、ライカスはザンバースの後ろの壁に少しだけ付いている血痕に気づいた。
「大帝、その壁の血痕は……?」
彼はそこまで言いかけて口を噤んだ。ザンバースの目つきが鋭くなったからだ。
「ミッテルムには六発撃ったからな。その時の血が飛んだのだろう」
言葉は穏やかだったが、ライカスは自分が射殺されるのではないかと思った。
(大帝はもしや……)
そこまで考えたが、それ以上はやめた。ザンバースは人の思考を見抜く天才である。うっかりした事を考えると気づかれると思ったのだ。
「それから、情報は外部だけでなく、内部でも統制しろ。ゲーマインハフトに知られると厄介だ」
ザンバースは煙草を灰皿にねじ伏せた。
「はい。奴がこちらに援軍を派遣するのは、堂々と北米大陸に向かう口実ができたからでしょう。反乱軍以上に警戒しております」
実直なライカスも狡猾なゲーマインハフトを好かない。だからザンバースに言われるまでもなく、彼への情報漏れには細心の注意を払っていた。
「それにしても、ミッテルムは愚かでした。あの男もダットスも、もっとうまく立ち回ると思っていたのですが」
ライカスはミッテルムの最期に同情はしていなかったが、哀れとは思っていた。ザンバースはニヤリとして、
「所詮出世と権力に取り憑かれた者の最期はそんなものだという事だ。気をつける事だ、ライカス」
「は!」
私はそんなつもりはありません、などと言ってしまうほどライカスは愚かではない。彼もザンバースを近くで見て来て、彼の考え方を理解しているつもりである。
「情報部は暫定的に私が直轄する。お前に任せたいところだが、さすがに帝国軍司令長官と補佐官の他には兼任は荷が重かろう?」
ザンバースは煙草にまた火を点けた。ライカスは、
「はい。ありがとうございます」
敬礼して応じた。ザンバースは椅子を回転させて背を向けた。退室しろという合図である。
「失礼致します!」
ライカスは敬礼して部屋を出た。足早に歩きながら、彼は鼓動を高鳴らせていた。
(大帝は重傷なのかも知れない……)
彼には野心はない。それは彼が無気力だという事ではない。彼は自分がトップに立つ器ではない事を知っているからだ。
(ゲーマインハフトには野心がある。しかも奴には容赦がない。どんな手段を講じても、欲しいものは手に入れるタイプだ)
ヨーロッパ、アフリカ、西アジアの各州を手に入れたゲーマインハフトが次に望むものは帝国そのものしかない。ライカスはそう考えていた。
(だが、それはさせない。大帝を継がれるのは、レーアお嬢様を措いて他にはいらっしゃらない)
ライカスは本気でそう考えている。かつてミケラコス財団の支配者だったアジバム・ドッテルに最高権力に関して誘惑をされた事があったが、ライカスにはそのつもりは全くなかった。そして、どのような形であろうとも、次の最高権力者はレーアだと思ったのだ。
(地球人類の歴史は、この百年、ダスガーバン家が握って来た。歴史がそれを許すのなら、それが理想だ)
ライカスはある決意を胸に廊下を進んだ。
ザンバースからゲーマインハフトに引導を渡すように命じられ、アイデアル近郊の軍港から出港する護衛艦に乗艦したマルサス・アドムは大西洋を東に向かっている。北上をしているレーア達の艦隊は無視しての航行である。彼はしばらく忘れていた元の恋人であるマリリア・モダラーの事が気になってた。
(マリリアは何故反乱軍に加担したんだ?)
マルサスはミッテルムがマリリアを騙した事を知らない。だから彼女の裏切りの理由に思い当たらないのだ。
(好きな男でもできたのか?)
マルサスはそう推理した。それは半分当たっていた。だがその好きな男がまさかパルチザン隊の総隊長のメキガテル・ドラコンだとは夢にも思わないマルサスである。
「ゲーマインハフト司令官との通信がとれました」
通信士が窓の外を見ていたマルサスに告げた。マルサスはハッとして通信士を見て、
「わかった」
と応じ、通信機の前に立った。
「お久しぶりです、司令官」
マルサスがマイクで語りかけると、ゲーマインハフトの声は、
「そうだね、アドム。恋人が行方不明なんだってね? 寂しいだろ?」
ふざけた口調で返して来た。マルサスはムッとしたが、
「ライカス司令長官の勅命で司令官を護衛する事になりました」
冷静な声で続けた。するとゲーマインハフトは笑いながら、
「ああ、聞いてるよ。ご苦労な事だね、事務方のあんたがさ。ラルカスみたいに機械に張り付いているだけの仕事の方がいいだろ?」
マルサスが一番聞かされたくないエッケリート・ラルカスの話をした。
(相変わらず嫌味な奴だ)
マルサスは年上だからこそ、ゲーマインハフトを司令官と呼んでいるのだ。階級的には同格なので、名前で呼んでも差し支えないのである。そして、それをゲーマインハフトも知ってるはずなのだ。
「その仕事もいやな仕事ですよ。このところ、ほとんど活躍の場がないですからね」
マルサスはゲーマインハフトの挑発をうまくいなしながら、ラルカスの現状をやんわりと皮肉ってみせた。
そのマルサスの乗る護衛艦から南に五十キロ程のところを航行中のレーア達の艦隊は、彼の護衛艦をレーダーで捉えていた。
「進行方向が違いますから、こちらに向かっているのではないですね」
レーアが乗る空母のレーダー係が告げた。レーアはリリアスと顔を見合わせてホッとした顔になり、
「引き続き監視してください。本当に一隻なのですよね?」
たった一隻だというのも気にかかっているのだ。レーダー係はレーダーで付近を探り直しながら、
「はい、間違いありません。他に敵艦は航行していませんから」
レーアはリリアスを見上げた。リリアスは腕組みをして、
「ヨーロッパの数少ない仲間からの情報では、ゲーマインハフトがパリスの司令部を出発したとの事です。そちらとの接触をするのではないですかね?」
「それにしても、一隻だけというのが妙ですよね?」
レーアの言葉にリリアスは苦笑いした。
「そうですね。確かに妙です」
彼にもたった一隻の護衛艦の動きは理解不能だった。レーアはしばらく思案していたが、
「とにかく、私達は北へ急ぐしかありません。今はそれだけを考えましょう」
「そうですね」
リリアスは大きく頷いた。
(レーアさんはやっぱりダスガーバン家の人だな。大局的なものの見方をされる)
彼は感心しながらレーアを見ていたのだが、タイタスがそれを誤解していた。
(リリアス、あんたもなのかよ!)
男は皆レーアに気かあると思ってしまう重度のレーア症候群だった。
ザンバースの邸の庭で、マーガレット・アガシムはぼんやりと考え事をしていた。
(旦那様が撃たれたというお話があって、その直後に誤報だったとお話があった。どちらが真実なのかしら?)
ザンバースがどのような立場であろうとも、自分は職務に忠実なだけ。そう決めているマーガレットだったが、今回の連絡には心が揺れていた。
(お嬢様はご存知なのかしら?)
それだけが気がかりであった。
「マーガレットさん」
そこへまた不意にリトアム・マーグソンが姿を見せた。マーガレットは一瞬驚いたが、すぐに嬉しそうに微笑み、
「マーグソン様、ご無事で何よりです」
マーグソンはマーガレットに近づきながら、
「またお茶をいただきたくて参りました」
と言った。




