第七十二章 その一 大陸進攻作戦
澄み渡った空とエメラルドグリーンのカリブ海。戦争中でなければ、最高のバカンス日和だと言える。だが、そんな事を想像する人間は一人もいなかった。
「計画の変更を伝える。当初はフローダ半島を制圧後、陸路と海路を使って帝国の中枢があるアイデアルに向かうつもりだったが、陸路を取りやめ、海路だけにする」
艦隊の旗艦である空母のブリッジで、総司令官であるナスカートがマイクを握りしめて言った。
「陸路は進行速度が落ちる上、戦闘が多くなる。海路に絞る事によって衝突を最小限に抑え、より早く目的地に到達する事ができる」
ナスカートの熱の籠った通達をレーアとマリリアは横に立って聞いている。海路だけに絞った方がいいと提案したのはマリリアである。多くのパルチザンの分隊長が異を唱える中、レーアとナスカートはマリリアの提案を受け入れる事を表明した。
「進行速度が遅くなる陸路は衛星兵器に狙われやすいという判断もできる」
ナスカートがマリリアの提案を受け入れる根拠を説明した。レーアは、
「マリリアさんはもう帰るところがないの。今ここで私達を騙しても、何の得もないわ。それにマリリアさんから聞いた大帝府への経路は様々な面からより確実なのが証明されたわ」
彼女はマリリアを信じ続ける事にしたのだ。もう彼女にはレーア達と行動を共にする道しか残されていないからだ。ナスカートとレーアの言い分を押し切るほど分隊長達は強情ではない。彼らは渋々ではあったが海路のみの作戦に同意した。
「この作戦変更は北米大陸を進軍中の各部隊にも伝える。衛星兵器の攻撃に備え、陸路部隊はできるだけ大部隊での移動をしないように指示してある」
少人数では敵に遭遇した時に危険であるが、南米基地にいるザラリンド・カメリスが、ケスミー財団の監視衛星で割り出した結果から、帝国軍の陸上部隊はカリブ海艦隊を迎撃するためにフローダ半島と大陸東岸に集結している事が判明していたので、衛星兵器の攻撃のリスクを減らす作戦に出たのである。
(何としても上陸を果たす。そして……)
ナスカートはレーアをチラッと見た。
(レーアには申し訳ないが、ザンバースは俺が倒す。ディバートやリームやメックの仇討ちじゃない。この戦争を終わらせるためだ)
彼はザンバースさえ倒せば、地球各地の戦乱も終結し、帝国軍も投降すると考えていた。
(ザンバースを捕縛するだけでもいいかも知れないが、それだと新たな火種を生みかねない。だから……)
ナスカートはまたチラッとレーアを見た。するとレーアもナスカートを見ていた。
「何、ナスカート?」
先日の一件以来、レーアはナスカートを指揮官として認めてはいるが、男としては最高レベルの警戒を継続中である。それもナスカートがマリリアを狙っていると思い込んでいるのだ。
(冗談通じねえのは、前と一緒だな)
ナスカートはレーアにニヤリとしてみせた。レーアはそれを見てムッとし、
「何がおかしいのよ!?」
いきなり喧嘩腰になる。そばで見ていたカラスムス・リリアスがハッとして間に入ろうとしたが、
「レーア、一つ言っておく事がある」
ナスカートがリリアスを手で制して真顔になった。レーアはナスカートの表情の変化にギクッとして、
「な、何よ?」
一歩退いて尋ねる。ナスカートは真顔のままで、
「俺はこのままアイデアルまで行き、ザンバース・ダスガーバンを倒す。つまり、命を奪うつもりだ」
レーアの顔色が一瞬で蒼ざめた。その言葉にリリアスだけでなく、ブリッジにいた全員がギョッとした。
(何を言い出すの……)
マリリアは唖然としてナスカートを見た。ナスカートは目を細めて、
「その時、レーアはどうする? 俺を止めるか?」
レーアはナスカートの念押しの言葉にハッとして彼を見上げた。レーアは口を開こうとするが、言葉が出て来ない。
(パパの命を奪う? ナスカート、何を言っているの?)
レーアは以前ザンバースに、
「人を殺さずに戦争ができるものか。まだまだ子供だな、お前は」
と言われたのを思い出した。
(そうよ。私達は戦争をしているのよ……。だからナスカートが敵であるパパを殺そうとするのは当然……)
だが、レーアには答えが出せなかった。ナスカートはレーアの顔が強張っていくのを見て、
「今すぐに答えを出せなくてもいい。アイデアルに辿り着くまでに教えてくれ」
そう言うと、彼はマイクを握り、
「作戦会議を開く。各艦の艦長並びに分隊長はモニタールームに集合してくれ」
ナスカートはマイクをリリアスに渡し、ブリッジを出て行った。
ヨーロッパ州の州都であるパリスにある帝国軍司令部の会議室で、エメラズ・ゲーマインハフトは三人の側近だけを集めて密談をしていた。兵士の中に潜んでいるザンバースの息のかかった者に聞かれないためである。
「帝国軍本隊に潜入させた連中からの報告によると、ザンバースは反乱軍を迎え撃つ作戦らしい。つまり我々には出番がないという事だ」
ゲーマインハフトは忌忌しそうに側近達に言った。側近達も深刻な表情のままで話を聞いている。
「先日、あの間抜けなタイト・ライカスからあった通達の通りって事さ。私らは待機のまま、そのうち始末屋が来るって訳だ」
ゲーマインハフトは自嘲気味に言う。側近達の顔色が変わった。
「始末屋とは何ですか、司令官?」
側近の一人が尋ねる。ゲーマインハフトは彼を見て、
「ミッテルム・ラードの工作員だよ。私らは軍人として死なせてもらえないって事さ」
「そんな……」
側近達は各々顔を見合わせた。するとゲーマインハフトはニヤリとし、
「だけど、私はそこまでお人好しじゃない。できるだけ足掻くさ。生き残るためにね」
側近達はザンバースよりゲーマインハフトの方が恐ろしいと思っていた。
その同じ建物のゲーマインハフトの私室として使われている部屋にカミリア・ストナーはいた。ゲーマインハフトは人形のようになってしまったカミリアに嫌気が差し、最近は監禁しているだけで性欲の捌け口にはしなくなっている。カミリアは監視員とゲーマインハフトが覗きに来る時は無気力なふりをし、それ以外の時には筋力トレーニングに励んでいた。
(奴がまたこの部屋に無防備に入って来た時がチャンスだ)
彼女はゲーマインハフトを一瞬で仕留めようと思っていた。
「この屈辱、必ず晴らす」
カミリアは腕立て伏せをしながら誓った。
「久しぶりだな、アドム。元気そうになって何よりだ」
アイデアルの大帝府の大帝室で、ザンバースは元帝国人民課担当官のマルサス・アドムとソファで向かい合っていた。マルサスは以前の精悍さは失われていたが、血色は良く、健康そのものの顔をしていた。
「ありがとうございます、大帝。私が復権できたのは、どうしてなのでしょうか?」
マルサスは脅えた目でザンバースを見た。ザンバースは煙草に火を点けながら、
「ある男に引導を渡してもらうためだ」
「ある男、ですか?」
マルサスは眉をひそめ、ザンバースの次の言葉を待つ。ザンバースはフーッと紫煙を吐き出し、
「エメラズ・ゲーマインハフト。我が帝国に反旗を翻そうとしている男だ」
その名を聞き、マルサスは目を見開いた。
(ゲーマインハフトが反旗? まさか……。奴は狡猾だが、大帝を裏切るような事はしないはず……)
ザンバースはマルサスの反応を見てフッと笑い、
「意外か、アドム?」
「はい。彼はそこまで愚かな男ではないと思いますが?」
マルサスは言葉を慎重に選びながら言った。ザンバースは煙草を灰皿でねじ伏せ、
「確かにな。だが、あそこまで版図を拡大してしまうと、人間は変わってしまうものだ」
マルサスはゲーマインハフトが現在ヨーロッパと西アジア、東アジア、アフリカの帝国軍司令官を兼任している事を補佐官のタイト・ライカスから聞いている。
「しかし、どうやって引導を渡せばよろしいのですか?」
マルサスは、自分には手段がないと思った。するとザンバースはスッと立ち上がり、
「お前の開発した人間の前頭葉だけを狂わす電波発信装置でな」
マルサスは驚きのあまり、黙ってザンバースを見上げていた。




