第七十一章 その二 帝都潜入
「もう面白味がないよ、あんたは」
ヨーロッパ州の州都パリスにある帝国軍の司令部の司令官私室で、エメラズ・ゲーマインハフトは吐き捨てるように言った。彼は捕虜であるカミリア・ストナーを私室に呼び、悦楽に浸ろうとした。しかし、もう生きる希望を失ったかのように無気力なカミリアは、ゲーマインハフトが何をしても無反応で、いくら責めても声一つ上げなくなっていた。
(追い込み過ぎたという事か?)
ゲーマインハフトは服を着ながら苦笑いする。
(この女を使い魔にするためだったが、ここまで精神が弱いとは思わなかったよ」
ゲーマインハフトは全裸のままでベッドに横たわっているカミリアを侮蔑を込めた目で見下ろし、私室を出た。
「トレッド……」
カミリアは涙を流す事もなく、虚ろな目で天井を見つめてかつて愛した男の名を呟いた。
(早く貴方の所に行きたい……)
カミリアは目を閉じ、在りし日のトレッドの笑顔を思い浮かべる。しかし、どんなに記憶を辿っても、トレッドの笑顔が浮かんで来なかった。
(私はトレッドに愛想を尽かされたのか……)
そう思うと、彼女の美しい瞳に涙が溢れて来る。
(私は何のために死を選ばなかったの? 何のためにあの外道の所業を堪えたの?)
カミリアは目を開いた。それは光を取り戻しつつあった。
(あの外道を捻り潰すために堪えてきたんじゃないの!)
彼女は身を起こし、ベッドの周りに散らばっている服をかき集め、私室の奥に備え付けられたシャワールームに走った。
「私は負けない!」
カミリアは自分に言い聞かせ、中に入った。
レーアが最前線に発つと決断した翌朝。彼女はマリリアと共にジェットヘリに搭乗し、南米大陸を北上した。
「メック……」
彼女はナスカート達の艦隊に向かう前にどうしてもジャマイ島の基地に立ち寄りたいと希望し、今はそこに巡洋艦で向かっている。
「ジャマイ島までは我々の制圧下にありますから、それほど危険はありませんよ」
カリブ海に到着した時、出迎えてくれたパルチザン隊の隊長が言ってくれた。彼らはもちろん、上空から狙われている事を忘れた訳ではない。普段は極力思い出さないようにしているのだ。パルチザン達はレーアの事を知っているのか、たくさん集まって来て、彼女を見ていた。
「人気者ね、レーア」
隣に立つマリリアが囁く。彼女とはヘリの中でいろいろ話し、随分と打ち解けられたとレーアは思っている。
(私が北米大陸に向かっている情報は意図的に流してもらっているから、衛星兵器が狙って来る事はないと思いたいけど……)
レーアはほんの一瞬空を見上げた。
(でもパパは、もう娘でも父親でもないって言ってた……。関係ないのかも知れない)
ナスカートには大見えを切って南米基地を飛び立ったレーアだったが、不安がない訳ではなかった。
「皆、感動しているんですよ。レーアさんを直に見られて」
隊長はパルチザン達が集まって来ている事をそう説明してくれた。
「そんな……。私なんて、わざわざ見に来るほどの存在ではないですよ」
レーアは苦笑いして応じた。
(最初にパルチザンに加わった時とはみんなの目が違うのがよくわかるけど、あまり崇められるような扱いは困るな)
レーアとマリリアは隊長の案内でジャマイ島に上陸した。
「随分片づきましたが、まだ油臭さは残っています」
隊長が急ごしらえの仮の司令部に向かいながら言った。レーアとマリリアはあちこちに残る焼け焦げた跡を見ながら隊長に続いた。
(もう何日も経っているのにまだこんなに焦げ臭いなんて……)
そう思った時、突然涙が溢れ出た。
「レーア?」
マリリアはレーアが急に泣き出したのでびっくりして彼女に声をかけた。隊長や周囲にいるパルチザン達もレーアの涙に驚いている。
「ごめんなさい、何でもないの……」
レーアは泣き笑いをしながら涙を拭い、隊長に先を促した。
(メックが生きてはいないと悟ったのかしら?)
マリリアは心を惹かれたパルチザン隊の総隊長であるメキガテル・ドラコンが生きてはいないと思っている。レーアがどうしても彼の死を受け入れられないのは仕方がないとも思っていた。現場を見て、ようやく彼女が現実を受け入れたと考えたのだ。
(メックはそれでも生きていてくれるはず。まだ戦争は終わっていないんだから)
しかし、マリリアの推測とは違って、レーアはメキガテルの生存を信じていた。
帝都アイデアルにある大帝府の最上階の大帝室で、ザンバースは情報部長官のミッテルム・ラードと会っていた。ミッテルムはフローダ半島の失策の責任をとらされるのだと思ってビクビクしながら入室していた。
「ミッテルム、マルサス・アドムは今どうしている?」
ザンバースはすでにタイト・ライカスに命じて情報部から引き渡させたマルサス・アドムの事を敢えて尋ねた。ミッテルムはまさかその事を訊かれるとは思わず、顔を引きつらせた。
「私はアドムをマリリアを利用するために確保しろとは命じたが、監禁して拷問をしろとは言っていないぞ」
ザンバースは穏やかな口調で煙草の煙を吐き出しながら告げる。ミッテルムの額に幾筋もの汗が流れた。
「お前には失望したよ、ミッテルム。ゲーマインハフトに引導を渡す役目はマルサスにさせる。お前はもう用済みだ」
ザンバースは灰皿に煙草をねじ伏せてミッテルムを目を細めて見た。ミッテルムの顔色が激変した。
「た、大帝、もう一度、もう一度機会をお与えください! あと少しでリトアム・マーグソンの居所がわかるのです」
ミッテルムは身を乗り出して懇願した。ザンバースは無表情に彼を見ている。
「奴はフローダ半島を出て、また帝都に向かいました。現在包囲網を狭めている段階です」
ミッテルムは目を血走らせ、唾を飛ばした。ザンバースは彼から身を離して立ち上がり、
「嘘ではないだろうな?」
「もちろんです。時間の問題です。今日明日中には奴の首を持って来られるはずです」
ミッテルムはザンバースを見上げて言い添えた。ザンバースは自分の机に戻りながら、
「ならば二日だけ待とう。それ以上はダメだ」
「あ、ありがとうございます!」
ミッテルムは演技ではなく、本心から涙を流した。彼は膝の震えが止まらないほど恐怖に支配されていた。
「マーグソン様……」
ザンバース邸の庭で、レーアの婆やであるマーガレット・アガシムは再び救国の英雄であるリトアム・マーグソンと対面していた。
「しばらくでしたね、マーガレットさん」
リトアムは微笑んで応じた。マーガレットは目を見開いたまま彼に駆け寄り、
「一体どうされたのですか? 旦那様のお話では、フローダにいらっしゃると……」
するとリトアムは苦笑いをして、
「先日こちらに戻りました。ザンバースに会うために」
「旦那様に?」
マーガレットは首を傾げた。
「旦那様はマーグソン様をお探しです。恐らく、お会いになれば只ではすみません」
彼女は身震いして言う。リトアムは再び微笑んで、
「心配は要らない。私なら大丈夫。それに私はザンバースと戦うために会うのではない。あの男の真意を問い質すために会う」
「真意を?」
マーガレットにはますます意味がわからないようだ。リトアムは彼女の両肩に手を載せ、
「貴女は何も心配する必要はないんですよ、マーガレットさん。レーアさんが戻った時、いつでも迎えられるように彼女の部屋の掃除をしていてください」
軽く彼女を抱きしめると、スッと離れ、庭を出て行ってしまった。
「マーグソン様……」
マーガレットは夢を見ているような気がしていた。
「おい、奴はどこに行った?」
するとそれと入れ違いにミッテルムの部下の工作員達がどやどやと駆け込んで来た。マーガレットは彼らを見て、
「マーグソン様は旦那様とお会いになるとおっしゃっていましたよ」
その言葉に工作員達は驚愕し、庭を飛び出して行った。
(マーグソン様、レーアお嬢様をお守りください)
マーガレットは神に祈るように心の中でリトアムに願いを言った。




