第六十五章 その一 総力戦の兆し
レーア達が南米基地内部にいた帝国のスパイを炙り出して捕らえてから二日後、同じ南米にある大河ネメス周辺で異変が起こっていた。帝国軍の侵入を防ぐため、ネメス流域にたくさんの基地や補給所、駐屯地、倉庫などが建設されている。そのほとんどが帝国の南アメリカ州軍から奪取したものを再利用して造ったのだが、そこで働くもの達は全部で数万人規模に及び、対帝国の最重要拠点である南米基地を支えている。
その各所で、一度に数百人が原因不明の死を遂げたのだ。所見では全く死因が特定できないため、基地内の医師や医療関係者を集めて遺体の解剖が行われた。それでも死因は特定できず、事態を重く見た各部署のトップが南米基地に報告し、指示を仰いだ。
「死因不明というのが気にかかるな」
基地の中枢である司令室でメキガテルが読んでいる報告書を覗き込み、カラスムス・リリアスが呟いた。
「ああ。解剖してもわからないのでは、手の施しようがないな」
メキガテルはそう返しながら、分析をしてもらうために送られて来た死亡者の血液、皮膚組織、カルテが入ったアタッシュケースをザラリンド・カメリスに渡した。
「伝染病の可能性もあるの?」
レーアが怖々と尋ねる。メキガテルはレーアを見下ろして、
「まだ何も判明していない状態だ。その後も死者が増加しているらしく、場所によってはパニックに陥っているところもあるようだ」
「そう……」
レーアは悲しそうにステファミーやアーミーと顔を見合わせた。
「これらをケスミー財団の医療スタッフに渡して、分析を急がせます」
カメリスはメキガテルから受け取ったアタッシュケースを抱えて、司令室を出て行った。
「各部署にはどう返答しますか?」
通信士が困った顔でメキガテルに尋ねた。メキガテルは腕組みをして、
「病原菌なのか、それとも全く違う理由なのかわからないとなると、指示の出しようがないな」
そう言われて、通信士は泣き出しそうだ。メキガテルは彼の立場を察して、
「とにかく、全滅したのではないのだから、死亡者と生存者で何が違うのか、徹底的に調査するように伝えてくれ」
「わかりました」
通信士はホッとした顔になり、機器に向かった。
「場所は基地から見て、全部南ね」
レーアが報告書を見て言うと、メキガテルがハッとして彼女から報告書を取り上げた。
「きゃ!」
いきなり乱暴に奪い取られたので、レーアは文句を言おうとメキガテルを見上げたが、その顔があまりに真剣だったので、何も言えなくなった。
「南ばかり……。そして、帝国の連中が北から意味不明の攻撃を仕掛けて来た……」
メキガテルは工作員の闇雲の攻撃は作戦内容を知らされていない戦い方だと感じた。まさにそれかも知れないと直感したのだ。リリアスもメキガテルの考えている事に思い当たったらしく、
「あの攻撃は、陽動だったのか?」
「陽動と言うより、俺達の目を基地の南の地域から背けさせるためだったのだろう。現にどこも攻撃された連絡は入っていないからな」
メキガテルは報告書をレーアに返すと、コンピュータ係に歩み寄った。
「死亡者が出た部署のマップを出してくれ」
「はい」
コンピュータ係はキーボードを操作し、大型スクリーンに基地周辺の地図を出した。
「光が点滅しているのが、今回死亡者の報告があった部署です」
レーアはスクリーンを見上げた。死亡者の報告が上がって来たのは、ネメスを中心にして広がっていた。
「各部署ごとの死亡者の数をグラフに出します」
点滅している光の脇に棒グラフが出て、それぞれに数字が付記される。その数はネメスから離れるに従って減少していた。
「この傾向は何だ……?」
メキガテルは眉をひそめて呟いた。そして通信士を見ると、
「各部署に通達。周辺に不審なものが設置または敷設されていないか、あるいはされていた形跡がないか、調べるように」
「了解です」
通信士はすぐさま暗号通信で各部署に通達を発信した。
「レーア、一緒に来てくれ」
メキガテルはそう言うと、司令室を出て行った。
「え、あ、はい!」
報告書を読んでいたレーアはそれをステファミーに渡すと、慌ててメキガテルを追いかけた。
帝国情報部長官のミッテルム・ラードは憤懣やる方ない怒りを抑え、科学局局長のエッケリート・ラルカスと共にザンバースと対面していた。
「お前の部下達の活動のお陰で、科学局の作戦は無事完了した。よくやってくれた」
ザンバースは全く感謝の気持ちが籠っていない口調でミッテルムに言った。
「はい」
それでも反応しない訳にはいかないミッテルムは、背筋を伸ばして敬礼した。
「メキガテル・ドラコン以下、反乱軍の連中は原因が掴めず、パニックになっているようだ。作戦の半分はほぼ成功した」
ザンバースは二人にソファを勧め、自分は反対側に座る。ラルカスとミッテルムはソファに互いに離れて座った。
「これからが本番だ。混乱している反乱軍を壊滅させるチャンスだ。ヨーロッパの反乱軍はゲーマインハフトが掃討してくれる。今こそ南米の忌ま忌ましい若造を捻り潰すのだ」
ザンバースはニヤリとしてミッテルムとラルカスを見た。
「海軍の潜水艦全艦を南米大陸に向かわせている。そして、空軍には海軍の空母と連携して大陸の反対側から攻め入る準備を進めさせている」
ミッテルムとラルカスはギクッとした。
「そして陸軍は強襲ヘリ部隊を組織し、北から攻める。反乱軍は逃げ場を失い、全滅だ」
ザンバースは愉快そうに言った。ミッテルムは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
(大帝は令嬢を見殺しにするおつもりなのか……)
だからといってそれを問う事はできない。そんな事を訊けば、自分の身が危ないのはわかっているのだ。
「だが、只攻めるのでは連中に防衛の時間を与えてしまう。その前にヨーロッパを総攻撃する動きを見せる。一度戦力を分散させ、その上で総攻撃をかける」
ザンバースはスッと立ち上がって言った。ミッテルムとラルカスはザンバースを見上げ、慌てて立ち上がった。
「科学局にはキラーサテライトの攻撃をしてもらう。情報部には誤情報を流してもらう」
ザンバースはミッテルムをギロッと睨んで言った。ミッテルムは思わずピクンとしてしまった。
「期待している。以上だ」
ザンバースは自分の椅子の戻り、ドスンと座ると背を向けてしまった。ミッテルムとラルカスは顔を見合わせてしまったが、
「失礼します!」
すぐさま敬礼し、大帝室を出た。
「いよいよ最終段階だな」
ザンバースは机の上の煙草をくわえ、火を点けた。
メキガテルがレーアを誘ったのは、マリリア・モダラーの待つ取調室だった。
(ドキドキして損しちゃった)
ロマンティックな事を想像していたレーアは、自分の早とちりに赤面してしまったほどだ。しかし、そう思ったのはレーアだけではない。メキガテルがレーアを伴って司令室を出て行ったのをタイタスは泣きそうな顔で見ていたのだ。
「何かしら、メック?」
マリリアはレーアが一緒なのでやや機嫌が悪そうな顔でメキガテルを見た。
「帝国には、確か科学局があったな?」
メキガテルはマリリアを見据えながら椅子に座る。レーアはマリリアを警戒しながらその隣に腰を降ろした。
「さあ、どうかしら?」
マリリアはニヤリとしてとぼけてみせた。するとメキガテルはマリリアの襟首を捩じ上げ、
「ふざけている場合じゃないんだよ、マリリア! 何百人もの人間が原因不明の死を遂げているんだ」
マリリアは息が止まりそうなくらい苦しかったが、その言葉を聞いてギョッとした。
「あ、あるわ。それがどうしたの?」
メキガテルはマリリアを放すと、椅子に戻り、
「すまない。乱暴をして悪かった……」
と詫びた。それにはマリリアばかりでなく、レーアも驚いてしまった。
「私の方こそ、ごめんなさい、そんな事とは知らずに……」
マリリアもいつもの彼女の反応ではなくなっていた。メキガテルは真顔のままで、
「その部署には、毒薬とかを研究している者もいたか?」
「毒薬?」
ザンバースの側近であったマリリアは、帝国の組織のほぼ全てを把握していた。だから、毒薬課の存在にもすぐに思い当たった。
「あるわ。毒薬課という部署がね」
マリリアはそこの研究員達と何度か顔を合わせた事があるが、皆常人の発想ではない連中だったのを覚えている。
「そうか。そこでどんな研究をしていたか、知らないか?」
メキガテルが身を乗り出して尋ねたので、マリリアと彼の距離がいきなり詰まった。
(ちょっと!)
レーアはつい叫びそうになったが、今はそんな事を指摘する場合ではないと思い、言葉を飲み込んだ。マリリアはマリリアで、メキガテルの顔が目の前に迫ったので、赤面しかけた。
「研究内容までは知らないわ。只、その部署のリーダーはカラカス・サンドラという男よ」
マリリアはメキガテルとの「睨めっこ」に堪えられないのか、俯いて答えた。
「そうか。わかった。ありがとう、マリリア」
メキガテルはマリリアの左肩を軽く叩き、立ち上がる。レーアもそれを見て立ち上がった。
「また何かあったら訊きに来るよ」
メキガテルは微笑んで言い添え、部屋を出た。レーアは目礼だけして出て行った。
(サンドラが動いたの……? 最終段階が近いという事ね……)
マリリアの額を汗が伝った。