第六十四章 その一 カウントダウン
南米基地のメキガテル・ドラコンのプライベートルームに五人の人間がいた。それほど広くない部屋なので、まさしく膝を突き合わせるような距離感である。メキガテルとレーアは彼のベッドに腰かけ、カラスムス・リリアスとザラリンド・カメリス、そしてアイシドス・エスタンは小振りな折畳みの椅子に座っていた。
「スパイ、ですか?」
メキガテルの話を聞き終わると、カメリスが腕組みして言った。エスタンも顎に手を当てて、
「もし、こちらの動きを把握されているのだとすると、非常に危険だな」
「ええ。オセアニアのパルチザンが東アジアに移動するタイミングを狙われたのは、只単に運が悪かっただけとは思えないんです」
メキガテルはエスタンを見て言った。
「それにしては、ここを襲撃して来た連中はお粗末でしたね」
カメリスが言うと、
「そこなんですよ。どうやらそのスパイは帝国のスパイではなく、ザンバースが個人的に動かしているスパイのような気がするんです」
メキガテルの推理に一同は目を見開いて彼を見た。取り分けレーアは驚いていた。
「襲撃者達には手引きをした者がいた形跡はありません。もしスパイが帝国全体のために動いているのであれば、俺達を援護に向かったレーアの動きも伝えられたはずです。しかし、それはなかったと思われます」
メキガテルの話を聞き、レーアは身震いしそうになった。もしそうだったら、自分はどうなっていただろうと考えてしまったのだ。
「しかし、もしそうだとすると、帝国は一枚岩ではないという事になるね」
エスタンがメキガテルを見る。メキガテルは頷いて、
「ええ。ザンバースは部下達を動かしながら、更にそれをも監視、あるいは偵察させている。信用していないからなのか、他に目的があるからなのかはわかりませんが、その構造が推定される確率は高いです」
「で、どうするんだ?」
リリアスがメキガテルを見た。メキガテルは一同を見渡し、
「誤情報を流します。その結果で誰がスパイか、はっきりするでしょう」
リリアスは思わずカメリスと顔を見合わせ、レーアはエスタンと顔を見合わせた。
アフリカで反旗を翻したタムラカス・エッドスは進退窮まっていた。
(どうすればいい? このままでは俺はラルゴーの二の舞いだ)
彼はオセアニア州の帝国軍司令官であったメムール・ラルゴーが帝国の衛星兵器で蒸発した情報を入手していた。
(ここにいつあのレーザーが降り注ぐかわからない以上、採るべき道は一つ、か)
彼は屈辱に甘んじ、ザンバースに跪く事を考えていた。
(今は堪える時だ。プライドを捨てても、生き延びる道を選び、いつか必ず……)
隙を見てザンバースを倒す。エッドスはそう結論し、自分の部屋を出て司令室へと向かった。
「司令官、ゲーマインハフトの軍が地中海に達したそうです」
そこへ通信士が血相を変えて走って来た。
「あのカマヤロウ、もうそんなところまで進軍して来たのか……」
エッドスは拳を握りしめて歯軋りし、
「ゲーマインハフトに連絡をとれ。話をする」
彼は大股で廊下を歩いて行った。通信士は慌ててそれに続いた。
そのゲーマインハフトはエッドスから話がしたいと通信があった事を聞き、ニヤリとしていた。
「詫びを入れて帝国に戻るつもりかい、恥知らずが」
一瞬、その話をザンバースに伝えるのを躊躇したゲーマインハフトであったが、もし情報を握り潰したのを知られれば、自分も只ではすまないと思い、
「まあ、いいさ。奴をどうするかは、大帝にご判断いただくだけだね」
彼はザンバースのスパイがあちこちにいるらしい事も気づいていた。
(私達は試されているという事かい、ザンバース大帝?)
ゲーマインハフトは高笑いした。
帝国軍司令長官を兼任しているタイト・ライカス補佐官は大帝府の最上階にある大帝室に赴き、ゲーマインハフトからもたらされたエッドスの投降情報をザンバースに伝えていた。
「如何致しましょう?」
ライカスは汗ばんだ顔で尋ねた。ザンバースは煙草を灰皿にねじ伏せ、
「一度反旗を翻した者は二度と帝国には戻れない。ゲーマインハフトにエッドス掃討を命じろ」
「は!」
ライカスは敬礼して応じ、大帝室を出て行った。ザンバースはそれを見届けてから立ち上がり、窓からアイデアルを眺めた。
「そろそろ気づく頃か」
彼は謎めいた事を呟くと、再び煙草に火を点けた。
帝国情報部長官のミッテルム・ラードはメキガテル・ドラコン暗殺失敗をザンバースに咎められ、何とか名誉挽回の機会を得ようと画策していたが、突然ザンバースから、
「もう一度南米に工作員を送り込み、基地を混乱させろ」
と命じられた。最初は機会を与えられたと思い、喜んだミッテルムだったが、
「我々の作戦は陽動のようです」
工作員の部隊の隊長からそんな事を聞かされ、また焦っていた。
(陽動、だと? どういう事なんだ? 何のための陽動なんだ?)
何も知らされていないで、ミッテルムの焦りようは凄まじかった。
「その情報をどこから入手した?」
ミッテルムは隊長に尋ねた。隊長は声を低くして、
「科学局に潜入させている部下からです」
「科学局、だと?」
ミッテルムの右の眉が吊り上がる。
「衛星兵器を使うための陽動なのか?」
「そこまではわからないようです。部署が違うので、わかったのは陽動だという事だけのようです」
隊長の言葉にミッテルムは落胆した。
(何をさせられているんだ、我々は?)
ミッテルムの背中を冷たい汗が流れた。
ゲーマインハフトはザンバースからの応答を受け、ほくそ笑んでいた。
(可哀想に、エッドスの奴。少しだけ喜ばせたあげようかね)
ゲーマインハフトは右の口角を上げた。
「エッドスに回線を開け。大帝からのお言葉を伝える」
彼は通信士に命じた。
「俺だ。返事はどっちだ?」
スピーカの向こうから聞こえて来るエッドスの声は、顔は見えていないのに怯えているのがわかり、ゲーマインハフトは笑いを噛み殺した。
「大帝は寛大なお心で、あんたを赦すとおっしゃったよ」
ゲーマインハフトは笑いを堪えながら告げた。一瞬間が空いて、
「本当か?」
エッドスの声は震えていた。ゲーマインハフトは身体を震わせて、
「ああ、本当さ。直ちに武装解除して、あんた一人で私のところに来るんだ」
「そうか。わかった。仲立ちしてくれた事を感謝する、ゲーマインハフト」
エッドスが礼を言ったので、ゲーマインハフトは目を見開いた。
(こいつ、よほど追いつめられていたんだね)
それでもゲーマインハフトはニヤニヤしていた。
南米基地に緊張が走っていた。基地の北側から、歩兵部隊と思われる一隊からの攻撃が始まったのだ。
「どうして感知できなかったんだ?」
リリアスが司令室に飛び込んで怒鳴った。
「敵は金属の兵器を所有していない模様です」
レーダー班の一人が答えた。
「カラス、出るぞ」
メキガテルは火器を身に着けながら言った。
「俺らも……」
タイタスとイスターが同行しようとしたが、
「お前達はもう一日休め」
リリアスに言われ、ションボリした。メキガテルもそれが陽動だとは夢にも思っていなかった。
そして南米基地の南側に少数の一団が現れた。彼らは科学局の研究員達である。本来なら戦地に自ら赴く事はないのだが、失敗は許されないので自分達で志願したのだ。
「情報部の部隊が敵の目を引きつけているうちに素早くすませるぞ」
毒薬課の課長であるカラカス・サンドラは背中にある大きな特殊樹脂製の容器を背負い直して部下に指示した。部下達は黙って頷き、目の前に流れる南米一の大河ネメスに近づいた。皆震えていた。怖いからではない。自分達がこれからなそうとしている事に対する思いからである。
「この川は生態系を破壊される事なく、人間だけを抹殺する」
サンドラはやや興奮気味に呟き、河辺に立った。