第六十三章 その一 カラカス・サンドラ
帝国情報部長官のミッテルム・ラードは、南米基地に潜入させた工作員全員が捕縛されてしまったのを知った。彼らに装備させていた発信機が全て通信を絶ったからである。
(あれほどの精鋭を送り込んでしくじるとは、大帝に何と申し開きすれば良いのだ?)
ミッテルムの広い額に汗が滲む。
(しかも、科学局のラルカスは衛星兵器でミケラコス財団を壊滅させた……。このままでは私は……)
ミッテルムはギリギリと歯軋りし、力任せに机の上を叩いたので、ブックエンドが倒れ、立て掛けられていたファイルが散乱した。
さすがのミッテルムも、ザンバースが念を押した「余計な事はするな」をまさに工作員達がしようとして墓穴を掘ったとは思っていない。工作員が任務を果たせなかったのは、余計な事の対象であったレーアの存在があったからだった。
「レーア、君の勇気に改めて感謝する。ありがとう」
メキガテル・ドラコンが司令室でレーアを讚えると、そこにいた全員が拍手をしてくれた。レーアはメキガテルに誉められたのと皆の注目を浴びたのとで顔が火照ってしまい、俯いた。
「そんな……。私のせいで、いろいろ迷惑をかけてるから、頑張っただけで……」
「レーアは頑張り過ぎよ。貴女が無茶すると私達、本当に寿命が縮む思いをするんだから、もう控えてよね」
ステファミー・ラードキンスが微笑みながらもレーアの「暴走」を窘めた。その隣でアーミー・キャロルドが大きく頷く。
「ごめん、ステフ、アーミー」
レーアは頭を掻いて詫びた。
「レーアは迷惑なんかかけていないよ。むしろ俺達はレーアに助けられている」
メキガテルがレーアの肩に手を置いて言った。レーアはまた顔を火照らせ、
「あ、ありがとう、メック」
二人はほんの一瞬見つめ合ったが、
「あらあら、もう見せつけないでよね」
ステファミーの言葉にハッとし、互いに視線を逸らせた。
(俺、レーアを意識してるのか?)
メキガテルは自分の気持ちに気づいて驚いていた。
「ステフ、やめてよね、もう!」
レーアは更に顔を赤くしてステファミーに抗議していた。
(彼女はそれだけの存在じゃない。エスタルトさんの遺志を継げる人物であり、リトアム・マーグソン師の願いを叶えられる女性だ。何としても彼女を守り、戦争を終結させる)
メキガテルはステファミー達と歓談するレーアを見ながら決意を新にした。
帝国の衛星兵器破壊に失敗したカラスムス・リリアス達の搭乗するシャトルは衛星兵器から距離をとり、落ち着きを見せ始めた戦局を見極めながら、南米基地への着陸態勢を取り始めた。
「ナスカートの状態も安定しているし、今を逃すといつになるかわからない。これより一時間後に大気圏突入を決行する」
リリアスは搭乗者全員に告げた。イスター・レンドとタイタス・ガットはナスカート・ラシッドが入れられたブースの事を気にしていた。
「大丈夫かな、ナスカートは?」
タイタスが小声で隣にいるイスターに囁く。イスターも小声で、
「大丈夫。必ず全員で地球に還るんだ」
と応じた。月支部の元知事であるアイシドス・エスタンは、そんな若者達を傍らで見ていた。
(未来を担う彼らは何としても地球に帰還すべきなのだ)
するとリリアスがエスタンの前に来て、
「エスタンさん、貴方はこれからの地球になくてはならない方です。自分の命に代えても、貴方には地球に還っていただきます」
リリアスの力強い言葉にエスタンは目を潤ませた。
「ありがとう」
二人は堅い握手を交わした。
帝国科学局はキラーサテライトの威力を示せたので、スタッフ全員が気持ちが高揚していた。
「次はサンドラ達の番だ。大帝のご期待に応えるようにな」
局長のエッケリート・ラルカスが顔色の悪いカラカス・サンドラに言った。
「はい……」
そんなサンドラを横目で見ているのは、武器開発課長のヨルム・ケストンだ。彼はキラーサテライトの功績のお陰で、ようやく肩の荷が降り、ホッとしていた。
(せいぜい頑張ってくれ、サンドラ)
ヨルムはサンドラの失敗を願うほど彼を嫌っている訳ではないが、サンドラが実績を上げると自分の地位が相対的に下降してしまうのを心配しているのだ。
「大帝に三日で毒薬を完成させろと言われて気に病んでいるのか、サンドラ?」
ラルカスが反応の悪いサンドラに尋ねる。サンドラは虚ろな目でラルカスを見て、
「一週間でも相当厳しいのです。それを三日でとは、あまりにも……」
「それ以上は言うな、サンドラ」
ラルカスはザンバースが密偵を各部署に送り込んでいるという噂を耳にしていたので、彼の言葉を遮った。
「我々は常に成し遂げて行かねばならないのだ。それだけを考えろ。そして全力を尽くせ」
ラルカスは自分より年上のサンドラの肩に手を置き、諭すように言った。サンドラもラルカスの目を見て、自分がもう少しで消されてしまいかねない事を言いかけていたのに気づかされた。
「はい、局長。全力を尽くします」
サンドラは敬礼してラルカスに応えた。ラルカスは黙って頷き、サンドラの肩をポンと叩いた。
ミケラコス財団が展開していた陸海空の軍隊が壊滅した情報は、東アジア州の帝国軍司令官のエメラズ・ゲーマインハフトにも伝わっていた。
「こりゃ傑作だね。エッドスの泣きっ面を拝みに行こうか」
ゲーマインハフトは右の口角を吊り上げて呟く。
「反乱軍はすでに敗走している。大帝のご機嫌を取るためにも、エッドスは我が軍が仕留めるんだ」
彼はそれと引き換えにヨーロッパをいただこうと考えていた。
「全軍、進路変更。目標はアフリカ大陸北岸。エッドスの追討作戦を開始するよ」
ゲーマインハフトは通信マイクを握りしめ、全軍に通達した。
ヨーロッパ解放戦線をズタズタにされてしまったカミリア・ストナー率いるパルチザン隊は、地下道を敗走していた。彼女達は勇敢に戦ったが、ゲーマインハフトの狡猾な戦略によって戦力を分断され、何個かの部隊を壊滅させられてしまった。
「ミケラコス財団の軍が全滅したというのが確かな情報なら、もう帝国に迷いはないという事だな」
カミリアの運転するホバーバギーの助手席で、元西アジア州知事のドラコス・アフタルが腕組みをして言った。カミリアは頷きながら、
「私達も戦力を結集する必要があります。南米のメック達と合流し、北アメリカ大陸に攻勢をかける以外、戦局の打開はあり得ません」
「アフリカ州のタムラカス・エッドスと話し合う余地は残されていないかね?」
政治家のアフタルが言った。カミリアはチラッとアフタルを見て、
「あの男は信用ができません。確かに以前と情勢は違って来ていますが、下手をすると、エッドスが我が身可愛さにもう一度帝国につく可能性も否定できませんよ」
「そうだな……」
アフタルは腕組みをし直して溜息交じりに言った。
メキガテルは軽い朝食をすませると、大車輪の活躍を始めた。まず彼はオセアニア州のパルチザン隊に連絡し、ゲーマインハフト軍を背後から突く事を提案した。そしてその見返りとして、南米基地から帝国軍の残党である南氷洋方面軍を攻撃する艦隊を差し向ける事にした。そして更にカミリアに連絡をとり、ゲーマインハフトの軍をオセアニアのパルチザンが撹乱する事を伝えた。
「ザンバースは衛星兵器をまた使って来る可能性がある。こちらとすれば、ヒットアンドアウェイで行くしかない。長居をすれば、空から雷が落ちて来るからな」
暗号通信のため、モニターに映るカミリアは白黒だったが、レーアには元気そうに見えた。
「久しぶりね、カミリア。元気そうで良かったわ」
レーアが声をかけると、カミリアは弱々しく微笑み、
「あんたもね。ディバートやケスミーさんの事、本当に残念だけど、生き残った者にできるのは、前に進む事だけだからね」
「そうね」
レーアは涙を浮かべて頷いた。
「帝国の衛星兵器は、ケスミー財団の監視衛星が二十四時間体制で見張ってくれている。動きがあったらすぐに知らせるよ」
メキガテルが告げた。
「了解」
カミリアは敬礼して通信を切った。いくら暗号通信でも、長くしているとキャッチされる可能性があるからだ。
地球帝国首府アイデアルは、以前の活気を完全に失い、ゴーストタウンと化していた。その静まり返った街に轟音が響き渡った。地鳴りのようなその音は、実際に地面を揺らしていた。それは地下に潜伏していた大帝府が地上に戻って来る音だった。散乱した瓦礫をかき分け、徐々に上昇して来るその建物は、まさに地球の支配者の象徴を思わせた。
「もうすぐ終わる」
窓から射し込んで来た朝日を眺めながら、ザンバースは煙草の煙を燻らせ、呟いた。