第五十七章 その一 大西洋を挟んで
マリリア・モダラーは、着用させられた地味な捕虜服を着ていても、パルチザン隊のどの女性兵士より美しかった。女性兵士の中には、それが癪に障る者もいるのか、マリリアは見張りの女性兵士に睨まれる事がある。
(惨めなものね)
マリリアはそんな嫉妬混じりの視線を感じ、自嘲した。
「出なさい」
女性兵士二人が監禁室に来て告げる。
「何でしょうか?」
マリリアはまたメキガテルが尋問するのかと思い、緊張した。彼女はメキガテルに惹かれている自分に驚いたが、それを否定しようとは思わなかった。
「総隊長の面会です」
女性兵士が言うと、マリリアはつい微笑んでしまった。
(バカだな、私。あの人と話せるのが嬉しいの?)
マリリアが笑ったのに気づいた兵士の一人が、
「何がおかしいの?」
と彼女の腕を強く引いた。
「いえ、別に」
マリリアは顔を俯かせて応じた。
マリリアは兵士二人に挟まれるようにして廊下を移動し、取調室に入らされた。
「あ……」
彼女は、部屋の中の革張りの椅子にメキガテル以外にレーアが座っているのに気づき、ギクッとした。
(一番顔を合わせたくない人が……)
マリリアはレーアがこちらを見ているので、顔を背けた。
「お久しぶりです、マリリアさん」
レーアは立ち上がって声をかけた。マリリアが目を合わせようとしないので、メキガテルが、
「何だ、マリリア、しばらくぶりの再会で、照れ臭いのか?」
とニヤリとする。
(違うわ。この人には、こんな形で会いたくなかった。それもこれほど早い段階で……)
レーアが宇宙から基地に降りて来ているのは知っていたので、いつかは顔を合わせると思っていたが、まさか投降二日目で会う事になるとは思わなかったのだ。
「マリリアさんほどの人が、どうして投降をしたのですか?」
レーアはマリリアが一向に目を合わせてくれないので、諦めて椅子に座り、尋ねた。それでもマリリアは何も答えず、向かい合わせに用意された背もたれ付きの椅子に腰掛けた。
「機嫌が悪いな、マリリア? そんなにレーアの事が嫌いなのか?」
メキガテルが言った。その言葉にマリリアはピクンとしたが、レーアは悲しそうに目を伏せた。
(以前から感じていたけど、私、マリリアさんに嫌われているんだ、やっぱり……)
レーアは、マリリアが父ザンバースに取り入って秘書になったという噂を聞いた事がある。そればかりではない。マリリアはザンバースの恋人だという話すら耳にした事があった。もちろん、レーアはそんな事を信じなかったし、マリリアは実力で秘書になったと信じていた。マリリアを信じた訳ではなく、父を信じたからだ。パパはママしか愛していない。そう思っていた。
(でも、違っていたのね。やっぱり、マリリアさんはパパと……)
考えたくはなかったが、マリリアの態度からそう思わざるを得なかった。
「そんな事はありません」
マリリアはメキガテルを見て答えた。レーアはハッとして目を上げたが、マリリアはレーアを視界に入れたくないかのように目を横に向ける。
「そんな事はないように見えるけどな。さっきからあんたは全然レーアを見ないようにしているじゃないか」
メキガテルはマリリアの視線をしっかり把握していた。マリリアはメキガテルに気づかれているのを知り、ドキッとした。
「まあ、いいさ。それはあんたの勝手だからな」
メキガテルはフッと笑ってそう言うと、
「で、レーアの質問に答えてくれ。それは俺の質問でもある。どうして投降した?」
メキガテルの目が鋭くなった。レーアはビクンとし、マリリアは思わずゴクリと唾を呑んだ。
「それは昨日お答えしたはずです。私は、」
マリリアはチラッとレーアを見てから、
「ザンバースのやり方についていけなくなったのです」
「それは建前だよな?」
メキガテルはマリリアの言葉を遮るように言った。マリリアはクッと歯噛みし、黙った。
「どういう事、メック?」
レーアがメキガテルを見る。メキガテルはマリリアを見たままで、
「あんたはザンバースを裏切ろうとして、消される一歩手前までいったはずだ。それなのに殺されずにいた。それはどうしてだ?」
メキガテルの鋭い指摘にマリリアは俯いてしまった。
「あんたがもう一度ザンバースに忠誠を誓ったからじゃないのか?」
メキガテルの口調は有無を言わせない勢いがあった。レーアはマリリアを見て、彼女が口を開くのを待った。
「ですからそれは、私を騙して……」
マリリアは震えながらまた話し始める。
「それは前段階だ。あんたは更にその後、ドッテルの配下と接触しているよな?」
メキガテルのその言葉で、マリリアは終わったと思った。
(何故そこまで? この男、一体どれほどの情報網を持っているの?)
マリリアは顔を上げてメキガテルを見た。メキガテルはニヤリとして、
「何だ、図星か?」
と言った。
「え?」
マリリアには、それがメキガテルの本音なのか、それとも自分を混乱させるためのフェイクなのか、判別できなかった。
「マリリアさん、私は貴女に本当に投降して欲しいんです。どんな命令でここに来たのか知りませんが」
レーアが言った。メキガテルは立ち上がり、
「レーアの言う通りだ。悪い事は言わない。これ以上連中に協力するのはやめろ」
マリリアは、
「恋人のマルサス・アドムが人質に取られているんです」
と言いたかったが、言えなかった。
(信じてもらえないというより、マルサスの事がどうでもよくなったのかも知れない)
マリリアは退室するメキガテルとレーアをぼんやりと見ていた。
「マリリアさん、待ってますから」
レーアがドアを閉めながらそう言ったが、マリリアは俯いたままでいた。
(マルサスが人質になっているのも、もしかするとミッテルムの策略かも知れないし……)
何を信じればいいのか、マリリアにはわからなくなっていた。
取調室を出たメキガテルは、そのままレーアを伴って、基地のエントランスへと向かった。
「今度はどこに行くんですか?」
レーアは大股で歩くメキガテルについて行くために小走りになっていた。
「今度はアジバム・ドッテルに会う」
「ドッテル?」
レーアは面識こそないが、今は亡きミタルアム・ケスミーからよく聞かされた名だ。
(あの当時は、まだミケラコス財団のナンバーツーだと聞いていたけど、確か先日ナハル・ミケラコス氏が亡くなったはず)
ミタルアムから聞かされたドッテルのイメージは「金で買えないものはないと思っている男」だ。
帝国首府アイデアルの大帝府の一角にある情報部の長官室では、長官のミッテルム・ラードが、部下からの報告をパソコンで整理していた。
(アジバム・ドッテルが危険をものともせずに反乱軍の基地に向かったか。焦ってるな)
ミッテルムはニヤリとした。
(マリリアは、アドムが監禁されている事に疑いを抱くだろう。何しろ、常に私はあの女を騙して来ているからな)
ミッテルムは、今度は本当にマルサス・アドムを監禁しているのだ。
(どちらにしても、二人には消えてもらうのだから、マリリアがどう動こうが構わんがな)
ミッテルムは狡猾な顔をし、
「南米に潜入した工作員に連絡。最悪の場合はマリリア・モダラーを殺害し、基地を内部から爆破せよ」
とインターフォンに告げた。
爆発炎上する月基地を背後にして、カラスムス・リリアスのシャトルは月を離脱した。ナスカート・ラシッドのブースを気遣っての、角度の低い離脱だった。
「ようやく地球に向かえるか」
コクピットで一息吐いたリリアスが呟いた。車椅子から降りて宇宙服に着替えたアイシドス・エスタンは辛そうな顔で、
「地球はどんな状態なのかね?」
と尋ねた。通信士が振り返り、
「南米基地は無事です。敵戦力はゆっくりとヨーロッパ方面に展開しつつあるようです」
「そうか……」
エスタンは悲しそうに応じた。
(ザンバース君、君は一体何を考えているのだ?)
古くから彼を知るエスタンにも、ザンバースの意図はわからなかった。
アフリカ。
最古の人類が誕生した地である。そのほぼ中央に位置するアフリカ帝国軍司令部では、司令官のタムラカス・エッドスが仏頂面でテレビ電話に出ていた。相手は帝国軍司令長官代理のタイト・ライカスである。
「旧帝国軍の残党狩りで忙しいと申し上げたはず。我々には、余力がない」
身長が二メートルを超えるエッドスは、特注の大きめの椅子に身を沈めたままで受話器を持っている。
「ヨーロッパが抑えられれば、お前のところも危なくなるのだぞ、エッドス」
ライカスはやや呆れ顔で言い返す。しかしエッドスは、
「その時はその時です。しかし、補佐官、私は現実に起こっていない事を気にしても始まらないと思うのですが?」
と皮肉混じりに言った。ライカスはムッとしたようだ。
「わかった。お前がそういう考えなら、何かあった時もそれ相応の対処をさせてもらう」
ライカスはそれだけ言うと、通話を切った。エッドスは受話器を叩きつけるように置き、
「ドッテルからの連絡はまだか?」
と通信係に尋ねた。通信係は、
「はい。メキガテル・ドラコンとの接触に手間取っているようです」
「そうか」
エッドスはギシッと椅子を軋ませて立ち上がり、
「いずれにしても、我々が動くのはもう少し先だ」
と言うと、ニヤリとした。