第五十五章 その三 二人の悪女
マリリア・モダラー。地球帝国大帝ザンバース・ダスガーバンの秘書にして愛人。いや、正確には、ザンバースは妻を亡くしているのであるから、恋人という表現が妥当かも知れない。そこまで上りつめ、欲しいものは何でも手に入るという立場だった彼女が、本当の恋人であるマルサス・アドムに手を貸し、帝国転覆を画策した。
彼らに間接的に手を貸していたエレイム・アラガス、そして資金援助をしていたと思われるミケラコス財団の支配者のアジバム・ドッテル。
今では彼らはマリリアともマルサスとも繋がりはない。ザンバースの配下である情報部長官のミッテルム・ラードの差し金で分断されたのだ。
(私はマルサスを最後まで信じられなかった……)
マリリアはその女性としてのプライドと心理を巧みに突かれ、マルサスと決別させられた。更にドッテルからの誘いをも把握され、追い込まれた。最早マリリアに選択の余地はなくなっていた。
「お前には断わるという選択肢はない。しかし、一応訊いておこうか、お前のプライドのために」
ミッテルムはニヤリとして舐めるような視線でマリリアの身体を上から下まで見る。マリリアは吐き気がしそうだったが、自分の命はともかく、愛しいマルサスを助けるために決断するしかなかった。
「協力します」
マリリアはミッテルムを射るような目で見て答えた。ミッテルムは肩を竦めて、
「ほう。即答されるとは思わなかったよ。もうお前にはプライドもなかったんだな」
と蔑むような目で言った。マリリアは歯軋りしたいのを堪え、拳を握りしめるに留めた。
「まあ、余計な時間と手間をかけずにすんで良かったよ」
ミッテルムは椅子から立ち上がり、3D映像を展開した。
「これは?」
マリリアはミッテルムを見上げた。
「これはメキガテルがいる基地付近の映像だ。但し三ヶ月前のものなので、正確ではない」
ミッテルムは書類をマリリアに差し出した。
「お前は帝国を裏切ったという設定だ。協力を申し出て、メキガテルに近づけ」
ミッテルムは至って真面目に話しているが、マリリアには皮肉めいて聞こえた。
(まるっきり今の私じゃないの)
それでも資料に目を通し、
「でも、信用してもらえるかしら?」
と質問した。するとミッテルムは、
「信用させろ。アドムの命が懸かっているんだからな」
その言葉は冷たくマリリアの心を抉るように迫って来た。
その頃、専用ジェット機で南米大陸を大きく迂回し、南側からメキガテルのいる基地に接近を試みていたドッテルだったが、南米最大の河川であるネメス川に帝国の潜水艦が出現し、パルチザン隊と戦闘に入ったという情報が飛び込んで来たため、そのルートも断念せざるを得なくなっていた。
「戻った方がいいんじゃなくて?」
カレン・ミストランが言った。しかしドッテルは、
「いや、急がないとまずい。私個人の情報網によると、帝国の情報部が動いているらしいのだ」
カレンはドッテルに抱き寄せられた。
「情報部が?」
さすがにタイト・ライカスの秘書をしていただけあり、情報部が動いているという話だけで何かを察したようだ。ドッテルはカレンの反応に満足そうに微笑み、
「メキガテルが危ないかも知れん。今奴に死なれるのは我々としても痛い。だから何としてもその前に会いたいのさ」
「なるほどね」
カレンはそう応じると、ドッテルの唇を貪った。
メキガテルは、レーア達のシャトルが進路を変更せずに基地に向かっている事を知り、喜んでいた。
(もしここに降りるのを断念するようなら、レーアとの会談は諦めるしかなかった。ホッとしたよ)
メキガテルは空を見上げた。
「ネメスを遡って来ている潜水艦に注意しながら、制空権を維持しろ。重爆撃機が飛来してしまえば、俺達は丸裸同然だ!」
メキガテルは通信機に怒鳴った。そして、コンピュータ係を見る。
「確かな情報か?」
「はい。間違いありません」
コンピュータ係はメキガテルにプリントアウトした資料を手渡した。
「もしこれが事実なら、帝国軍は大胆な作戦に出て来たという事だな」
資料を読むメキガテルの眉間に深い皺が寄った。
「ザンバースめ、何を企む?」
そのザンバースは、大帝府の大帝室で寛いで煙草を燻らせていた。
「何だ?」
インターフォンが鳴った。相手はミッテルムである。
「マリリアが南米行きを受け入れました」
「そうか。引き続き、彼女を監視しろ。裏切りはしないだろうが、反乱軍に殺される恐れもある」
ザンバースは無表情に告げる。
「了解しました」
ミッテルムが応じると、ザンバースはインターフォンを切った。
「さて、どう出る、メキガテル、ドッテル?」
彼はメキガテルばかりでなく、ドッテルですら場合によっては暗殺しようと考えていた。
(ミケラコス財団は大きくなり過ぎた。利用価値が低下した今、ドッテルをこれ以上野放しにしておくメリットはない)
ザンバースは煙草を灰皿で揉み消して立ち上がった。
(私はまだ遠いぞ、レーア)
彼はレーアがいると思われる空の彼方を見上げた。
レーア達のシャトルは、もう一度南米大陸上空に来ていた。
「空中戦は落ち着いたようなので、一気に降下します」
操縦を手動に戻したザラリンド・カメリスが言った。
「わかりました」
レーア達は最悪のケースを考え、脱出用の機材が備え付けられた宇宙服を着込んでいた。
「大丈夫かなあ」
アーミーが間延びした声で言う。彼女なりに緊張しているのだが、それは伝わりにくい。
「大丈夫よ。カメリスさんを信じなさいよ、アーミー」
ステファミーが言うと、アーミーは何故か赤くなって、
「し、信じてるわよ、カメリスさんは!」
と大声で言い返した。
「ありがとう、アーミーさん」
カメリスが通信機を通じてアーミーにだけ礼を言ったので、アーミーは卒倒しそうになった。
「すごい……」
狭いキャノピーからも地上の惨状が見て取れる。レーアは涙が零れるのを感じた。
「降下開始します!」
カメリスが次々に機器を操作して行く。シャトルはグッと機首を下げ、大気圏に突入した。外が赤く染まり出す。大気と機体が擦れ合い、摩擦熱で温度が急上昇しているのだ。キャノピーの防護シャッターが閉じられ、外が見えなくなった。
「くうう!」
レーア達の身体にGがかかる。シャトルは機首から冷却シールドが出て、更に機体各部から冷却剤が放出される。摩擦熱で機体が溶解するのを防止するためだ。シャトルは真っ赤に染まりながら地上へと降下して行く。その速度は秒速8km。目にも止まらぬ速さなのだ。
「バリュート放出!」
シャトルの後部からパラシュート状のものが出て、加速にブレーキをかける。
「くうう!」
レーア達の身体にまた負担がかかった。
シャトルの降下は、メキガテル達もキャッチしていた。
「何としてもここに降りてもらうんだ。落とさせるなよ!」
メキガテルはマイクに叫ぶ。
(ザンバースの愛娘が乗っているシャトルを撃ち落とすバカはいないだろうが、万が一という事もあるからな)
メキガテルはレーアの事を心配している自分に驚いていた。
「おいおい、何考えているんだよ、俺は?」
メキガテルは苦笑いし、インカムを付け直して、別の戦場に連絡をとり始めた。
月基地。エレイム・アラガスとエスタンは未だに司令室にいた。あちこちが破壊され、すでに危険な状態だ。
「エスタン閣下」
不意にアラガスが言った。
「何だね?」
エスタンがアラガスを見上げる。アラガスはニヤリとして、
「やっぱりあんたは生きろ。生きて、レーア・ダスガーバンを助けろ」
「何を言い出すんだ?」
エスタンにはアラガスの言っている事が理解できない。
「いいから!」
アラガスはエスタンの車椅子を押し、司令室を出た。そして廊下を走る。
「どうするつもりだ、君は?」
エスタンは答えがわかっていながらも、訊かずにいられなかった。
「俺は帝国のシャトルとのケリをつける。それだけさ」
「一人で死ぬ気か?」
エスタンが首をひねってアラガスを睨む。アラガスは苦笑いして、
「あんたと心中なんてごめんだよ」
「おい!」
エスタンは椅子に縛りつけられているので、どうする事もできない。やがて二人は先に出ていたナスカートのブースを運んでいる部下達に追いついた。
「閣下もお連れしろ」
アラガスの言葉に部下達はギョッとした。アラガスが来たので、一緒に脱出すると思ったからだ。
「隊長はどうされるのですか?」
部下の一人が涙声で尋ねる。彼もやはり答えがわかっているのだが、訊かずにいられないのだ。
「俺は後から行くよ」
アラガスはそう言うと、エスタンの車椅子を蹴飛ばして進め、二人の間にある隔壁を下ろしてしまった。
「隊長!」
隔壁が下り切る寸前に部下の叫び声が聞こえた。アラガスは敬礼して、
「生きろよ」
とだけ言うと、司令室に戻って行った。
「メキガテル・ドラコン……」
マリリアは軍の輸送機に乗り、移動中だった。彼女はミッテルムに渡された資料に目を通していた。
(マルサスと同じくらいの歳かしら?)
マリリアはメキガテルの手配写真を見ながら思った。




