第五十四章 その三 アジバム・ドッテルの暗躍
地球最大の企業グループであったケスミー財団が名目上消滅し、第二位に甘んじていたミケラコス財団がその力を表立って伸ばし始めている。創業者のナハル・ミケラコスが呆けてしまい、娘婿であったアジバム・ドッテルは本格的にその主導権を振るい始めて来た。
「ルグル・ガームめ。この私を裏切るのか」
財団ビルの総帥室で、ドッテルは報告書に目を通していた。
「バトルフィールドカンパニーは、帝国に寝返るって事なの?」
ソファに寛いでいる黒のパンツスーツのカレン・ミストランが尋ねる。ドッテルは椅子から立ち上がって報告書をシュレッダーに叩き込むと、
「そのようだな。愚かな事だ。ザンバースは、寝返った者は信用しないという性格なのを知らんようだな、ルグルの爺さんは」
と吐き捨てるように言いながら、カレンの隣にドスンと座る。
「もう一社のコンバットファクトリーはどうするのかしら?」
カレンはドッテルの首に腕を回して唇を耳元に寄せて囁く。ドッテルはカレンの腰をグイッと抱き寄せて、
「あそこの会長のダイトロン・ケリムは、ルグルと違ってザンバースに煮え湯を飲まされた事がある男だ。帝国に従う事はないだろう。あくまでビジネスで付き合うさ」
ドッテルは、ケリムが連邦時代にザンバースとルグルの密約を知らずに武器の大量発注を見込んで大損をしたのを知っている。だから、コンバットファクトリーが帝国につく事はないと踏んでいる。
「でも、コンバットファクトリーには、ミケラコス財団は影響力がないわよ」
カレンが言う。するとドッテルはニヤリとして、
「表向きはな」
「表向き?」
カレンはドッテルが自信に満ちた顔をしているのを意外に思った。
「コンバットファクトリーは、元々ナハルの爺さんに対抗するために私が個人的に投資していたのだ。それも、信用の置ける人間を間に入れてな」
ドッテルは、ザンバースが行動を起こす遥か以前から、対ナハルのためにコンバットファクトリーの囲い込みに動いていたのだ。カレンはその用意周到さに目を見開いた。
「怖い人ね、貴方は」
「そうかい」
二人は互いの唇を貪り合った。
レーア達の乗るシャトルが地球を一周して再び南米大陸上空にさしかかった時、帝国軍とパルチザン隊の戦いに決着がつこうとしていた。
「帝国軍が撤退して行きますよ」
レーダーを見ていたザラリンド・カメリスが言った。
「そうみたいですね。何があったのかしら?」
レーアはキャノピーから外を見た。あちこちで上がっていた煙は帝国軍の敗退の狼煙だったのだ。
「補給線を断たれたのでしょうね。メキガテル・ドラコンという人の戦い方は、兵站を叩く作戦が多いですから」
「兵站て何ですか?」
アーミーが嬉しそうに訊くが、レーアもステファミーもからかわない。見守る事にしたのだ。ステファミーは知らないのだが、レーアはカメリスが今は亡きクラリア・ケスミーを好きだったのを知っている。だから、アーミーの思いはそう簡単には叶わないかも知れないが、クラリアの死を引き摺っているカメリスに立ち直って欲しいのと、クラリアのためにも、彼には前を向いて欲しいと思っているので、アーミーの恋がその一助になる事を願っているのだ。
「兵站というのは、食糧・弾薬を補給するための部隊です。そこを叩かれて補給線が断たれると、最前線は立ちいかなくなりますから」
カメリスは身を乗り出して質問しているアーミーにギョッとしながら答えた。
「そうなんですかあ。カメリスさんて、物知りなんですね」
アーミーは席に戻り、屈託のない笑顔で言った。
「ははは……」
カメリスは苦笑いして、隣の席のレーアを見た。レーアは肩を竦めた。
南米基地の司令室では、帝国軍の陸上部隊が撤退して行くのを知り、メキガテルがホッとしてシートに腰を下ろしたところだった。
「何とか面目を保てたな。みんな、感謝するぞ」
彼はマイクを通じて、作戦に参加した全ての同志達に礼を言った。
「後はお姫様を無事迎える事だな」
メキガテルは窓の外の空を見上げて呟いた。
月基地は、ヤルタス・デーラのシャトルの攻撃に曝され、被害を拡大していた。パルチザン隊のカラスムス・リリアスは基地の端に降り立ち、突入を開始していた。
「帝国め、レーアさんがいないのを知ったのか? 攻撃が激しくなったぞ」
リリアスは部下達を見て、
「急ぐぞ。まだエスタンさん達がいるんだ。無事救出が俺達の任務だからな」
「はい」
リリアスは物品搬入口を発見してそこから基地内部に侵入した。
エレイム・アラガスは、リリアス隊が基地内部に侵入した事を察知していた。
「お前らは医療棟の方に行っていろ。ここはそろそろ危険になる」
アラガスはイスターとタイタスに言った。
「はい」
イスターもタイタスも、アラガスが死ぬ気なのを知らない。アイシドス・エスタンだけが、アラガスの覚悟を感じているが、イスターとタイタスを脱出させるまでは伏せておこうと考えていた。
(この男は、すでに行き場を失ったのを知っているのか)
エスタンは、アラガスに足を撃ち抜かれた事も忘れ、彼に同情していた。
(例え一瞬でも、ドッテルと共同でザンバースを倒そうと思った私が情けない。あの男はザンバース以上に危険だ)
使いものにならないと悟ると、容赦なく切り捨てるドッテルは、味方にする事はできないと改めて思うエスタンだった。
ドッテルは、帝国軍がパルチザン隊の罠にかかって敗走したのを知ると、南米に行く事を決意した。
「メキガテル・ドラコンに会うの?」
同行を求められたカレンも白のスカートスーツに着替えている。ドッテルはカレンを抱き寄せて、
「いや。レーア・ダスガーバンに会うのさ。次世代を担う未来の大統領だからね」
と言ってニヤリとした。
「まあ。本当にそれだけでしょうね? レーアって娘、美人だから心配だわ」
カレンが冗談めかして言うと、ドッテルは苦笑いして、
「いくら私が女性好きでも、まだ十八歳の子供には興味はないよ」
と言うと、カレンの唇を貪る。カレンもそれに応じ、ドッテルの口に舌を入れた。
ヤルタス・デーラは、ここまで攻撃しても反撃がない月基地を見て、
「機能不全に陥ったようだな。投降を呼びかけろ。これ以上の攻撃は武器弾薬の無駄になる」
と命じた。シャトルはレーザー攻撃を中止し、ゆっくりと基地の端に着陸した。
帝国情報部は、ドッテルが動き出したのを察知していた。
(大帝は何故ドッテルを放置されているのだろう? いつでも始末できるというのに)
情報部長官のミッテルム・ラードは、ザンバースの考えが不思議でならない。
「まあ、あの男自体は大した存在ではないからな」
あまり深く考えて、ザンバースの逆鱗に触れたくないので、ミッテルムはそう思う事にした。
「監視はしっかりしろよ。行方がわからなくなったりしたら、許さんぞ」
彼は部下達に厳命し、ドッテルを尾行させる事にした。
タイト・ライカスは、大帝室のザンバースの前で震えていた。帝国軍は十倍ほどの戦力を有していたにも関わらず、反乱軍に撃退されてしまったからだ。
「申し訳ありませんでした!」
ライカスは詫びる事しかできなかった。しかしザンバースは、
「詫びている場合ではないぞ、ライカス」
とニヤリとしてライカスを見上げている。ライカスは背筋がゾッとしてしまった。ザンバースの考えている事が全くわからないのだ。
「メキガテル達は今一番油断している。少数の精鋭部隊を組織し、メキガテル暗殺に特化して仕掛けさせろ」
ザンバースは鋭い目になり、ライカスに命じた。ライカスはビクッとして敬礼し、
「わかりました!」
「ミッテルムの部下も使うのだ。暗殺は連中の方が秀でていよう」
ザンバースは立ち上がって窓に近づく。ライカスはザンバースを見ながら、
「了解致しました」
と言うと、全身から大量に汗を噴き出した。
(メキガテル・ドラコン。侮り過ぎていたな)
ザンバースは自分の采配ミスだと思っている。
(ドッテルがどうするつもりなのかを見極めてから動くのでも遅くはないか)
慎重にいかないとまずい。ザンバースは今回の大敗北を教訓とする事にした。