第五十四章 その一 大気圏突入
エレイム・アラガスに足を撃ち抜かれたアイシドス・エスタンは、応急処置をされて車椅子に乗せられた。
「あんたにはもう少し我々に付き合ってもらおうか」
アラガスは凶悪な顔ではないが、未だ凄みのある表情でエスタンに言う。エスタンは足の痛みに堪えながら、
「わかった。だから、彼らは解放してくれ」
「ああ」
アラガスは横柄に返事をすると、部下達に目で合図をした。部下達はイスターとタイタスに銃を向け、取り囲む。
「な、何だよ!?」
タイタスがそれを見て怒鳴った。
「騒ぐな。そのまま基地の外に放り出されたいのか!?」
アラガスがタイタスを睨みつけて怒鳴り返した。タイタスはたちまち萎縮してしまい、顔を強張らせた。
「今、お前らの仲間のシャトルと交信中だ。もうすぐこちらに到着するはずだが、帝国のシャトルも近づいている」
アラガスは忌ま忌ましそうに続けた。
「あんたが妙な策を弄してくれたお陰で、俺達はとんだ道化だ。ヤルタス・デーラ達は、こちらが攻撃できないのを知ってしまったようだ」
エスタンは混乱を招いているのが自分なのを知り、
「すまない。そんな事になるとは思っていなかった……」
「まあ、その憂さはあんたの足を撃ち抜いた事で晴らしたけどな」
アラガスがニヤリとして言ったので、エスタンは苦笑いした。
カラスムス・リリアス達のシャトルは月基地上空に到着していたが、デーラのシャトルの威嚇射撃で、基地に降りられない。
「あのヒゲヤロウ、やっぱり休戦を反故にしやがった。まあ、戦況が一変したんだから、仕方ないけどな」
リリアスはキャノピーの向こうに見えるデーラのシャトルの光点を睨みつけて呟いた。
「隊を二手に分ける。A班は俺と共にシャトルから出て月基地に強行着陸する。B班は帝国のシャトルを食い止めろ」
リリアスは宇宙服を着込み、ヘルメットを被りながら命じた。一斉にシャトルの乗員が動き出す。
「エレイム・アラガスがこちらにつくのを表明してくれたのは朗報だったな」
リリアスは口ではそう言ったが、完全にアラガスを信用してはいなかった。
(奴はエスタンさんを人質にとっている。まだ油断はできないが、ナスカートの安全を確保するのが最優先だ)
リリアスのシャトルには、ナスカートのブースを安全に固定し医療活動を続けるためのシステムが搭載されている。元々、火星に向かうデーラのシャトルを追跡する予定だったので、食料や医薬品も大量に積んでいるのだ。彼らのシャトルはナスカートが地球に帰還できるようになるまで、衛星軌道を周回する予定なのだ。
「何にしても、今は月基地に到達するのが第一目標だな」
リリアスはヘルメットを固定しながら言った。
その話題のヤルタス・デーラのシャトルは月基地に接近しながら、リリアスのシャトルを威嚇射撃していた。
「連中のシャトルにも武器があるはずなのに反撃して来ないのは妙だな」
デーラは顎に手を当てて思案していた。
(何を企んでいる?)
デーラは月基地が攻撃ができないのは、アラガス達が脱出しようとしているからだと考えていたが、どうやらそれも怪しくなって来ていた。
「威嚇射撃を止めろ。月基地に白兵戦だ。その前に反乱軍のシャトルを撃退する。高度を下げろ」
デーラは一気にケリをつける事にした。
(このまま手を拱ねいていても何も進展しない)
レーア達のシャトルは耐熱シールドを装甲に張り、冷却システムを作動させた。
「大気圏突入五分前です」
ザラリンド・カメリスが機器を操作しながら言う。レーアはヘルメットを装備し、シートベルトを固定する。ステファミーとアーミーも仮眠室から出て来てヘルメットを着けた。アーミーがカメリスのヘルメットを彼に被せる。
「ありがとう、アーミー」
カメリスがニコッとして礼を言うと、
「いえ」
アーミーは照れ臭そうに返事をした。
「なあんだ、そういう事なんだ」
ステファミーがアーミーのヘルメットに自分のヘルメットを接触させて言う。
「な、何が?」
いつものおっとりした雰囲気とは違い、アーミーは慌てていた。ステファミーは肩を竦めて、
「何よ、私だけなの、一人なのは?」
「一人って何の事?」
それを聞きつけたレーアが振り返る。ステファミーは苦笑いして、
「だって、レーアにはメキガテルがいて、アーミーにはカメリスさんがいて、私には誰もいないから」
「何言ってるのよ、ステファミーは。メックと私はそんな関係じゃないし、貴女にはイスターとタイタスがいるじゃないの」
レーアその言葉を聞いて、ステファミーはアーミーと顔を見合わせた。
(それをタイタスが聞いたら、落ち込むわよ、レーア)
ステファミーとアーミーは心の中で全く同じ事を思っていた。
「あ、そうだ」
アーミーが不意に言い出す。
「何よ、びっくりさせないでよ、アーミー」
ステファミーがアーミーを睨むと、
「私とカメリスさんもそういう関係じゃないわよ、ステフ」
アーミーは赤くなりながら言った。説得力の欠片もないわとステファミーは思ったが、
「はいはい」
と返事をする。その間中、カメリスは脇目も振らずに機器類を操作していたが、
(女子達の会話に入って行けない)
と思っていた。
一方南米基地のメキガテル・ドラコンは、レーア達のシャトルが予定と違うコースを周回しているのを知り、驚いていた。
「どういう事だ? レーアと回線を繋いでくれ」
メキガテルは怒ってはいなかった。むしろシャトルに異変があったのではないかと心配していた。
「レーアさんのアイディアらしいですよ。陽動に見せかけるのだそうです」
通信士が答えると、メキガテルはニヤリとして、
「なるほどな。さすが、ダスガーバン家のお嬢様だ。肝が座ってらっしゃる」
と呟いた。
(ありがとう、レーア。これで少しは俺達も楽ができそうだ)
メキガテルは司令室の天井を見上げて投げキスをした。
地球帝国首府アイデアルの大帝府。その一角の帝国軍司令本部では、レーア達の乗るシャトルの軌道が南米基地から逸れたらしいという情報が入り、混乱が起こっていた。
「お嬢様のシャトルがどこを目指しているのか、すぐに計算し直せ!」
大帝府の補佐官室で、軍司令長官を兼任しているタイト・ライカスがインターフォンに怒鳴っていた。それを秘書の席からマリリア・モダラーが見つめている。
(大帝は、ライカス補佐官を過労死させるおつもりなのかしら?)
彼女が、冗談ではなく真面目にそう思うほどライカスは激務に追われていた。
(ドッテルの息のかかった連中が近づいて来たのをミッテルムが気づいている。どうしたものか……)
マリリアはザンバースを裏切るつもりはない。もう一蓮托生だと思っている。このまま帝国が続こうと、レーア達が勝利しようと、彼女はザンバースに従うより他に生きる道は残されていないと思っていた。
(互いに利用するつもりでいたはずなのに、私の方が本気になっていたという事ね)
マリリアは、恋人であると思っていたマルサス・アドムが自分を裏切っていたのを知り、彼を見限った。それ以来、彼女は本当にザンバースに身も心も捧げる覚悟をしたのだ。もちろん、マルサスがマリリアを裏切っていると思わせたのは、ザンバースの指示を受けた帝国情報部長官のミッテルム・ラードの策略だったが。
レーア達のシャトルは遂に大気圏に突入した。その目標は当初の通り南米基地である。
「陽動、うまくいきましたか、カメリスさん?」
突入の衝撃に堪えながら、レーアが尋ねる。カメリスも衝撃に堪えながら、
「うまくいったようです。軍の何隊かはどちらに行けば良いのかわからず、途中で動けなくなっているようです」
「そうですか」
レーアはホッとして、防護シャッターが降りたキャノピーに映る自分の姿を見た。
ザンバースは、大帝室の椅子に座り、ライカスからレーアのシャトルが最初の予測通り南米基地に降下したと報告を受けた。
「プロの連中が、そろいも揃って、素人の陽動作戦に引っかかったという訳か?」
ザンバースは報告書を机の上に投げ出してライカスを見上げる。
「は、誠に申し訳ありません!」
ライカスは直立不動の姿勢で言った。ザンバースはニヤリとし、
「いずれにしても、戦力の大半を南米に向ける必要があるのは変わりない。レーアのシャトルが辿り着くより早く、南米基地を制圧させろ」
「は!」
ライカスは敬礼して答えた。