第五十章 その二 レーアの戸惑い
地球帝国首府アイデアルの大帝府。その最上階にある大帝室のソファで、マリリア・モダラーは小刻みに震えていた。
「私は……」
彼女は潤んだ目で目の前に座るザンバースを見た。マリリアは決して目を潤ませて媚を売ろうとしているのではない。もうそんな余裕がないほど、彼女は追いつめられているのだ。
「マルサス・アドムと結び、帝国を打倒し、新たな国家建設を目論んだ事を認めるのか、マリリア?」
ザンバースは無表情のままで尋ねる。マリリアは息が止まりそうになった。
(マルサス……)
本当に愛している男の命すら、すでにザンバースに握られている。マリリアの目から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
「はい……」
彼女は、ザンバースに呼ばれた時点で、死を覚悟していた。助かろうなどとは思っていない。
「そうか」
ザンバースはマリリアの目の前に報告書をドサッと投げた。マリリアはハッとしてザンバースを見た。
「君は惜しい人材だ。本当なら銃殺刑だが、これからも私の元で働くのだ。もちろん、拒否する権利はない。拒否は死を意味する」
マリリアは、ザンバースの言っている事が理解できない。理由を尋ねようと思った時、目の前に投げられた報告書のタイトルに気づいた。
(マルサス・アドムの行動報告書?)
マリリアはザンバースをもう一度見た。ザンバースは頷き、
「その報告書に目を通してみろ。君が命を捨てて守ろうとしている男の正体が書かれている」
マリリアは目を見開き、報告書を手に取った。
「マルサス・アドムは帝国の主要メンバーに声をかけ、内部からの切り崩しを画策していたようだな? 今はアジバム・ドッテルに尻尾を振ってみせているエレイム・アラガスもその一人だ。そして、ダットスに殺されたドードス・カッテムも、マルサスの同調者だった」
マリリアはザンバースの言葉に心臓が止まりそうになった。そして、報告書の内容とそこに添えられている写真に驚愕した。マルサスが、マリリアの知らない女と腕を組んで歩いているのだ。
「君はアドムに利用されていたのだ。愛されてなどいなかった」
ザンバースの声は最後まで聞こえなかった。マリリアはあまりの事に硬直してしまった。
「アドムの後ろ盾は、ヨーロッパに本拠を置く軍需産業のバトルフィールドカンパニーのルグル・ガーム。最近疎遠になって来たので、ミッテルムに調べさせた」
帝国情報部長官のミッテルム・ラードは、連邦時代からのザンバース派だ。マリリアは少し絡繰りが見えた気がした。
「軍需産業の大手と手を組むまでは良かったが、相手が悪かったな。ルグルは女癖が悪く、そこから情報が漏れ放題だったようだ」
ザンバースはニヤリとした。マリリアは報告書をゆっくりとテーブルの上に置き、ザンバースを見る。
「これからも、大帝の元で働かせてください」
その言葉を聞き、ザンバースはフッと笑った。
アジバム・ドッテルは、ミケラコス財団のビルに到着し、アラガスから、月基地陥落とレーアの救出の報告を受けた。
「エスタン閣下は丁重にな。もちろん、今世紀のジャンヌ・ダルクになるかも知れないレーア嬢はもっと丁重に扱ってくれよ」
ドッテルはニヤリとして、テレビ電話の向こうのアラガスに言う。アラガスはフッと笑い、
「無論です。エスタン閣下には今後も作戦の指揮官としてご活躍いただくのですし、レーアお嬢様には新政府の初代大統領に就任していただくのですから」
ドッテルは笑みを封印し、
「帝国が月基地奪還に動き出している。そちらの方は大丈夫なのか?」
アラガスも真顔になり、
「ご心配なく。軍の各基地には、自分の顔見知りがたくさんいます。そして、ザンバースに従いたくない連中も数え切れないほどいます」
「わかった。そちらの采配は任せよう。頼んだぞ」
ドッテルは通信を終えると、
「あの男、どこまで信頼できるのかな?」
と部屋の反対側に立っているカレン・ミストランに尋ねた。カレンはクスッと笑って、
「貴方はエレイム・アラガスを全然信用していないのでしょう?」
ドッテルはフッと笑い、
「まあな。敵に回らん限り、利用はするが、過信は禁物だと思っているよ」
「それで正解よ、アジバム」
カレンはドッテルの膝の上に乗り、彼の唇を貪った。
アラガスにようやく解放されたアイシドス・エスタンは、レーア達がいる司令室隣の休憩室に行った。
「おじ様」
ホッとした表情を浮かべ、レーアが駆け寄る。他の一同も一斉にエスタンを見た。
「お待たせしました」
エスタンも、レーアの笑顔を見て心が和んだ。
(エスタルトさんの葬儀の時よりミリアさんにそっくりになられた)
彼はレーアの亡き母であるミリアとレーアを重ねた。妻を病で失い、子供もいないエスタンにとって、レーアは自分の娘のような気がしている。
「あいつ、一体おじ様に何を言ったんですか?」
レーアが小声で尋ねる。エスタンは入り口に立つ見張りの兵士を気にしながら、アラガスに言われた事をレーアに言うべきか思案した。そして、いずれはアラガス自身がレーアに放す可能性があると判断し、話の内容をレーアに告げた。
「え?」
レーアは、自分を新政府の初代大統領にというところで目を見開いた。ザラリンド・カメリスやステファミー達もそれに驚き、エスタンを見ている。
「ドッテルにしても、アラガスにしても、大義が欲しいのです。だから貴女と手を組みたい」
エスタンは辛そうに言う。レーアにはそれがわかるので、辛くなった。
「しかし、二人は完全に同調している訳ではないようです。ですから、チャンスはあります」
「チャンス、ですか?」
レーアはエスタンに確認するように鸚鵡返しに尋ねた。エスタンは大きく頷き、
「ええ。そんな企みを潰すチャンスがあるという事です」
エスタンはレーアの肩を掴んで告げた。
エレイム・アラガスは、ヤルタス・デーラのシャトルが月に接近中なのを知った。
(戻って来たか、デーラ)
アラガスは嬉しそうにモニターに映るデーラのシャトルの光点を見た。
「迎撃態勢を取れ。折角無傷で手に入れたのだ。そう易易と奪い返される訳にはいかんぞ」
アラガスの命令一下、部下達がきびきびと動き出す。
(我々が容易くここを占拠できたのは、素人しかいなかったからだ。甘く見るなよ)
アラガスはニヤリとした。
レーア達は、行動の制限が解け、ナスカートが運ばれた医療室に向かっていた。
(ナスカート、生きてよ。そうでないと、私……)
レーアは涙を堪え、廊下を歩いた。
南米基地では、パルチザン総隊長のメキガテル・ドラコンが、南アメリカ州元知事のナタルコン・グーダンを交え、会議室で作戦会議を開いていた。
「帝国が月基地奪還に動くのは確実だが、その戦力は然程大きなものとはならないと考えている。詳細は省くが、我々は十分対応できると思う。それから、アイデアルのアジバム・ドッテルとは連絡はとれたか?」
メキガテルは通信士を見た。通信士は立ち上がり、
「只今、各回線を使用して、コンタクトをとっています」
「わかった。繋がり次第、俺に回せ。奴の真意を知りたいのでな」
メキガテルはニッとした。通信士は敬礼して、
「は!」
と応じ、座った。
「ドッテルの狙いは、恐らくレーアの知名度、そして何より、ダスガーバン家の血筋というところだろう。奴がレーアを利用するというのなら、我々は逆に奴を利用する。それが一番の対抗策だからだ」
メキガテルは一同を見渡し、力強く語った。