第四十八章 その三 更なる死の予感
アジバム・ドッテル。
ミケラコス財団の第二代総帥に就任し、実質だけでなく、名目上も財団のトップになった。長年の宿願であったはずだったが、いざ手に入れてみるとそれほどの感慨がない。ドッテルはそれ以上に大切なものを失っていたからだ。ミローシャ・ドッテル。彼の妻である。ミローシャは心労が重なり、病死したのだ。
(ミローシャ……)
彼は、連邦時代、警備隊の事務次官だったタイト・ライカスを陥れるために、彼の秘書のカレン・ミストランを誘惑した。カレンは稀に見る才媛だったが、純情過ぎたために一度堕ちるとどん底まで堕ちた。仕掛けたドッテルが驚く程。
「貴方の子供を妊娠したわ」
カレンはそう言って、それを口実にドッテルを脅迫して来た。ドッテルはある組織に命じて、カレンの命を狙わせた。彼女は死ななかったが、子供を流産した。以降カレンは何も言って来なくなった。ドッテルはほんの少しホッとしたが、実はカレンは諦めた訳ではなかったのだ。
「まだ私を怨んでいるのか?」
カレンが待つホテルのレストランへとホバーカーで向かっているドッテルは、カレンがどこまで知っているのか確かめたかった。
(ザンバースは自分の考えを誰にも話さない事で有名だ。カレンがそれほど知っているとも思えんが)
ドッテルは、どこかでカレンに未練がある自分に呆れていた。
地球帝国首府アイデアルの夜は更けて行く。
レーア達のシャトルは、月にあと一万キロメートルまで接近していた。
「基地からの迎撃がないな」
ナスカートが呟く。
「確かに静かですね」
コンピュータを操作しながら、ザラリンド・カメリスが応じた。
「罠でも仕掛けてるのかしら?」
レーアが仮眠室から出て来て言う。
「カメリスさん、交代しましょう」
「あ、え、そうですか?」
レーアの言葉にカメリスは思わずナスカートを見てしまう。
「大丈夫ですよ。レーアは勉強はできないけど、操縦なら大概のものができますから」
ナスカートの応答にレーアはムッとする。
「勉強はできないは余計でしょ!」
「ハハハ」
ナスカートは頭を掻きながら、カメリスと共に仮眠室に向かう。
「私にも教えて、レーア」
ステファミーも出て来た。
「いいよ」
レーアは陽気に応える。
「どこに行くんだよ?」
仮眠室を通り過ぎてハッチに行くナスカートをタイタスが追いかけて呼び止めた。
「シャトルの外壁の一部が剥がれてるんだよ。それを補修する」
ナスカートは鬱陶しそうに言い、タイタスを振り払ってハッチに行った。
「待てよ、俺も行く」
タイタスは、何事においても、ナスカートに劣りたくないのだ。
「足手まといだ。来るな」
ナスカートは振り向きもせずに言い返した。
「何だと!?」
憤激したタイタスがナスカートを捕まえようと追いかける。
「遊びじゃねえんだよ、このガキが!」
ナスカートが不意に踵を返し、タイタスに怒鳴った。
「俺だってそんなつもりで乗り込んでいないよ!」
タイタスも負けじと怒鳴り返す。
「全く、またあの二人、喧嘩してるの?」
狭い船内なので、レーア達にも怒鳴り合いは丸聞こえだ。
「どうしてあんなに仲が悪いのかなあ」
レーアは真顔で首を傾げた。ステファミーは後から来たアーミーと顔を見合わせて苦笑いした。
「誰かさんが鈍感だからじゃない」
ステファミーが言った皮肉にも、
「そうなんだ」
と応じるレーア。ステファミーは溜息を吐いてしまった。
エレイム・アラガス達の搭乗するシャトルは、レーア達とは違う航路で、確実に月に接近していた。
「エスタンは、月基地の連中に人質にされているらしい。基地の内部工作はもうすぐ完了する。我々は労せずして月を陥落させられるのだ」
アラガスは、部下達に言った。
「ここから始まるのだ。我らの時代がな」
彼はそう言ってニヤリとした。
南米大陸。パルチザン隊の総隊長であるメキガテル・ドラコンがいるのは、元州知事公邸の司令本部である。
「カラスからは連絡は?」
メキガテルは通信係に尋ねた。カラスとは、帝国破壊工作司令のヤルタス・デーラ隊の乗ったシャトルを追って、火星に向かったパルチザン隊の隊長、カラスムス・リリアスである。
「地球軌道を離れる時にあっただけです。磁場等の影響もあり、極めて通信状態が悪くなっています」
通信係が深刻な顔で答えた。メキガテルは腕組みをして、
「そうか。うまくやっているといいがな。それから、月の様子はどうだ?」
「まだ動きはないようです。只、帝国の増援部隊のシャトルがレーアさん達のシャトルに接近しているようです」
通信係の顔は更に深刻になった。メキガテルは、隣に立っている元南米州知事のナタルコン・グーダンを見た。
「どうしたもんですかね?」
グーダンは天井に備えつけられた巨大な地球付近の天体図を見上げ、
「増援部隊も気になるが、ミケラコスの息のかかった民間のシャトルも気になるな」
「多分、エレイム・アラガスでしょう。奴は今の段階では敵対勢力ではないと考えていますから」
メキガテルの妙に断定的な物言いに、グーダンは眉を吊り上げる。
「何故そう言い切れるのかね?」
メキガテルは苦笑いしてグーダンを見ると、
「アラガスが怨んでいるのは、帝国、ザンバースです。ザンバースが生きているうちは、敵にはならんでしょう」
「なるほど。敵の敵は味方、という訳か」
グーダンはニヤリとして言った。
「まあ、そんなところです」
メキガテルは肩を竦めてから、
「ナスカート・ラシッドに連絡。帝国の増援に気をつけられたし、とな」
「は!」
通信係は敬礼して応じた。
どうしてもついて行くと言って聞かないタイタスを仕方なく同行させ、ナスカートは船外活動を開始した。
「ナスカート、南米のメキガテル・ドラコンから連絡よ」
レーアの声が言った。
「メックから? 何だ?」
「帝国の増援に気をつけられたし、ですって」
レーアの答えにナスカートは肩を竦め、
「そんな事、いちいち言わなくてもわかってるのになあ」
「あんたが間が抜けてるからでしょ」
レーアの辛辣な突っ込みが入った。隣で聞いていたタイタスは肩を震わせて笑っている。
「わかった。気をつけるよ」
ナスカートはタイタスを軽く蹴飛ばして応じた。
ホテルの最上階にある展望レストランで、ドッテルはカレンと再会していた。
「お久しぶりね」
カレンは過去を全て忘れたかのような笑顔でドッテルを見た。
「そうだな」
ドッテルはやや緊張気味に応じた。
「急に呼び立ててごめんなさいね」
カレンは以前の話をするつもりはないらしく、座ると同時に用件を切り出す。
「貴方は、これから何をするつもりなの?」
ドッテルは、カレンがそこまで単刀直入に訊いて来るとは思っていなかったので、面食らっていた。
「む?」
ドッテルは気づいた。カレンは必死の形相だ。何かを背負っているという鬼気迫るものがある。
(なるほど、カレンは私との繋がりをライカスに感づかれたのか)
ドッテルは急に優位に立てた気分になった。
「何をするつもり? それは、今夜の君次第だな」
ドッテルはカレンを舐めるように見る。カレンはギクッとした。
(この男、一度は私を殺そうとしたのに、また私の身体を求めているの!?)
しかし、ドッテルはカレンを求めてはいたが、肉体を求めていたのではない。彼は心の穴を埋めたかったのだ。
(カレンなら、埋めてくれる)
一度は互いに本当に心を惹かれ合った事もあったのだ。ドッテルは情報も欲しかったが、カレンの癒しも欲しかった。