第四十章 その三 ドードス・カッテム死す
ディバート、ナスカート、レーアの三人は走った。
サラミス基地を見捨てて、自分達の安全を最優先とするために脱出した連中のために。
しかし、遅かった。彼等はドードス・カッテム率いる暗殺団の機銃掃射により、全員殺されてしまった。
「何て事だ……」
ディバートが歯軋りする。
「まさかこんなに早く連中が来るなんて……。てっきり、夜襲をかけて来ると思ったのが間違いだったな」
ナスカートも悔しそうに呟く。
「そんな、そんな……」
二人に引き止められた状態で、レーアはもがいていた。彼女はまだ助けに行こうとしているのだ。
「レーア、もう手遅れだ。みんな殺されてしまった」
ディバートがレーアの肩を強く揺すった。レーアはキッとしてディバートとナスカートを睨み、
「何なのよ、これ? どうしてこんな事に……」
と涙を流した。
「レーア……」
ディバートもナスカートも、レーアの怒りを止める術を知らない。
「うっ!」
ディバートは、暗殺団が基地内に装甲車で乗り込んで来るのに気づいた。
「一旦退こう。武器を持たない事には、戦いようがない」
ディバートはナスカートと共にレーアを引き摺るようにして格納庫に向かった。途中でケイラス・エモルと合流した。
「敵襲のようですね」
「ええ。とにかく、武器を確保しないと」
「そうですね」
ようやく落ち着いたレーアは、ディバート達と格納庫を目指した。
カッテム達は、装甲車で基地の鉄条網を突破し、二手に分かれた。
「パルチザンはほとんど素人の集まりだ。冷静に戦えば、我らの勝利は間違いない」
カッテムは部下達にそう告げ、基地の建物を見た。
(ダットスが来る前に……)
暗殺団が一斉に動き始めた。
白々と夜が開け始めたアイデアルでは、アジバム・ドッテルが手術室の前のソファで項垂れていた。
「ミローシャ……」
彼は妻の手術の成功を祈っていたが、それは儚い事だとわかっていた。
(手術をしても、助かる可能性はほとんどないと言われた。虚しい。これ程虚しい事はない)
ドッテルは、ミローシャの身体の異変に気づいていなかった事を悔やんだ。そして何より、仕事のためとは言え、カレン・ミストランと男女の関係になった事が、ミローシャを精神的に追いつめた事も悔やんだ。
(替われるものなら、替わりたい。ミローシャ……)
彼はハッとした。手術室の扉が開き、執刀医が出て来た。
「ドッテルさん、大変申し訳ありません。奥様はたった今、息を引き取られました」
「……」
ドッテルは何を言われたのか理解するのに時間がかかった。そこへナハル・ミケラコスが現れた。
「どうしたのだ?」
ナハルは執刀医に問い質した。執刀医は震え出した。そして、
「お嬢様はお亡くなりになりました」
とだけ告げ、
「申し訳ありません」
と詫びた。ナハルはドッテルを見た。彼は惚けたような顔をしていたが、やがて、
「お前のせいだ、ドッテル」
「……」
ドッテルには、ナハルの言葉は聞こえていなかった。
「お前が、ミローシャを殺したのだ。許さん。絶対に許さんぞ、お前だけは!」
ドッテルは涙を流していたが、泣きはしなかった。感情の全てが凍りついたかのように、彼はそのままソファから崩れ落ちた。
レーア達は格納庫で武器を調達し、暗殺団に対抗するために行動を開始した。
「まともにやり合ったら、俺達に勝ち目はない。とにかく慎重に、かつ確実に攻撃する事だ」
ディバートが言った。レーア達はゆっくり頷いた。ディバートは覚悟していた。
(この人数ではとても勝ち目はない。俺とナスカートが身を捨ててでも、レーアだけはケスミーさん達と合流させたい)
彼は悲壮なまでの決意を胸に秘めていた。
帝国軍を指揮するリタルエス・ダットス司令長官は、カッテム達がサラミス基地をほぼ制圧したという情報を得ていた。
「仕事が早いな、カッテム。余程私に手柄を横取りされたくないらしい」
ダットスはニヤリとした。
「だか、そうはさせない」
彼は真顔になり、
「カッテムに通達せよ。大帝のご命令である。直ちに撤収し、軍の指揮下に入れと」
「はっ!」
通信兵が応じた。
カッテムはダットスからの通信を受け、仰天していた。
「何だと?」
思わず通信士に聞き返した程だ。
「大帝のご命令だそうです。直ちに撤収し、軍の指揮下に入るように、です」
通信士は取り次いでいるだけなのだが、それ以上続けるとカッテムに殺されるのではないかと思った。
「ダットスめ……」
カッテムは歯軋りした。
(それ程上に上がりたいのか? 薄汚い下衆野郎め)
カッテムは命令無視をしようかとも考えたが、それはそれでダットスに口実を与えてしまうと考え、「大帝のご命令」に従う事にした。
「総員、撤退だ。ダットス長官の指揮下に入る」
カッテムの言葉に部下達は耳を疑った。それがどういう事なのか、わかっているのだ。
「首領、納得できません。どうしてあんな奴の指揮下に入らなければならないんですか?」
団員の一人が堪らなくなって叫んだ。しかしカッテムは、
「質問は許さん。とにかく、撤退だ」
と言うと、装甲車に乗り込んだ。部下達は唖然としていたが、やがて皆それぞれの車両に乗り込んだ。
ディバート達は暗殺団が引き上げて行くのを知り、驚愕していた。
「一体どういう事だ? 何が起こったんだ?」
ディバートが自問自答する。しかし何もわからない。
「ケスミーさん達が到着したのか?」
ナスカートが言った。ディバートは、
「時間的に考えて、それはあり得ない。まだ太平洋上空のはずだ」
「じゃあ、何があったのでしょう?」
ケイラスにも全く見当がつかない。
「気味が悪いわ」
レーアは身震いした。
カッテムは装甲車の中で何も言わずに腕組みをしたままだった。周囲の部下達は、カッテムから発せられる殺気に恐れおののき、何も声をかけられなかった。
やがて彼等の部隊はダットスがいる仮陣営に到着した。カッテムは感情を心の奥にしまい,ダットスが待つ陣営の本部テントに出向いた。
「ご苦労だったな、カッテム。おかげで我々は無駄足だったよ」
ダットスはニヤリとして上辺だけの労いの言葉をかけた。但し、彼は椅子から立ち上がりもしない。
「はっ」
本来なら、暗殺団首領と帝国軍司令長官は同列なのであるが、年長者であるダットスに、カッテムが敬意を表しているのだ。それをわかっていながら、尚も居丈高なダットスの態度に、カッテムは我慢の限界だった。
「君達の部隊はそのまま休んでくれ。後始末は我々がする」
「はっ」
ダットスはカッテムが退室すると思ったのか、背を向けた。しかしカッテムは退室しない。
「長官、一つ質問があります」
「何だ?」
ダットスは鬱陶しそうに振り向いた。カッテムはダットスを射るような目で睨み、
「我々の撤退は、確かに大帝のご命令なのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
ダットスは尚も恍けようとする。しかしカッテムはその恍けを許すつもりがない。
「マルサスの事がありますので、確認の意味でお尋ねしています」
「……」
ダットスの目が鋭くなる。
「誰に向かってものを言っているのか、わかっているのか、若造?」
ダットスは椅子から立ち上がった。まさか掴みかかるつもりはないだろう。カッテムは格闘技にも通じており、運動不足のダットスとは身体の作りが違うのだ。
「わかりました。長官がお話し下さらないのであれば、直接大帝にお尋ねします」
今度はカッテムが背を向けた。しかしそれは誤りだった。
「そんな事はさせんよ、カッテム」
ダットスはいきなり銃を抜くと、カッテムの後頭部を撃ち抜いた。カッテムはそのまま前のめりに倒れた。
「バカめが。もう少し、組織の中でうまく立ち回る生き方を学ぶべきなのだよ」
ダットスはカッテムの遺体を足で蹴飛ばした。銃声を聞きつけて、彼の部下が何人か駆けつけた。そして、倒れているカッテムを見て驚愕する。
「暗殺団は大帝に反逆の兆しがある。一人残らず排除せよ」
ダットスの命令に部下達は顔を見合わせた。
「何をしている? 早く全員始末して来い!」
ダットスの剣幕に驚き、部下達はテントを出て行った。
そして、何も知らない暗殺団員達は、帝国軍の攻撃を受け、全滅してしまった。
「……」
ザンバースはマリリアから書類を受け取り、一瞬だけ顔を強ばらせた。
「ダットス長官、よろしいのですか、あのままで?」
マリリアは何故かいつもと違って感情が高ぶっている。彼女の真の恋人であるマルサス・アドムの盟友ドードス・カッテムの反逆。そんな事はあり得ないのは、よくわかっているのだ。彼女はダットスが手柄の横取りをするためにカッテムを抹殺した事に気づいているのだ。
「身の程を知らない者は、必ず手痛いしっぺ返しを食らうものだ。それは私も例外ではないよ、マリリア」
ザンバースはマリリアを引き寄せ、その唇を貪った。
「大帝は心配ご無用ではないですか?」
マリリアは唇を離してザンバースの耳に囁く。ザンバースはニヤリとして、
「私を買いかぶり過ぎだな、マリリア」
と応じた。