第三十九章 その二 エレイム・アラガス
サラミス。
町としては小規模であるが、その住民の大半は共和主義者あるいはパルチザンである。グランドキャニオン基地の補給中継地点として重要な役割を担っていたが、その本体が陥落した事により、立場が激変した。
今まではあくまでサポート的な位置だったのが、急に最前線になったのである。町の空気は一変し、非戦闘員である住民の多くはサラミスを去った。そのせいで半ばゴーストタウンと化した通りを一台のホバーカーが疾走している。
「すっかり変わっちまったな、ここ」
運転席のナスカートが呟いた。助手席のディバートが、
「ああ。グランドキャニオン基地が敵の手に落ちたからな。戦いに関わりのない人間は皆脱出したのさ」
その言葉に後部座席のレーアがギョッとする。
「まだ帝国軍が本格的に展開している様子はない。連中もグランドキャニオン基地をあまりに呆気なく制圧できたので、補給が完了していないんだろう」
ディバートがレーアの様子に気づいて補足した。
「それにしても気味が悪いぜ。大軍を投入した訳でもないのに、あのグランドキャニオン基地が落ちたなんてさ。どんなやり方をしたんだろう?」
ナスカートがハンドルを切りながら言う。ディバートは、
「専門家の話によれば、電磁波等を使用した可能性が強いらしい」
「電磁波?」
レーアがキョトンとして身体を乗り出す。
「ああ。人間の脳に直接作用するような波長のものを使って、物理的な攻撃をしないで基地を落としたのではないかという事だ」
「うへえ。それじゃあ、どうしようもないじゃないの。そんな攻撃、防げないぜ」
ナスカートが肩を竦めた。ディバートは腕組みをして、
「その通りだな」
レーアは身震いした。
「どうするつもり、ディバート?」
彼女はディバートを睨みつけた。ディバートはレーアを見ずに、
「これは仮定の話だが、もしそんな強力な兵器が開発されたのなら、連中はどうしてグランドキャニオン基地にしか使わなかったのか、という疑問が湧いて来る」
「ああ、そうだな」
ナスカートがホッとしした顔で相槌を打つ。レーアも座席に戻った。
「もしかすると、グランドキャニオン基地はその兵器の実験に使われたのかもしれない可能性もある訳だ。でなければ、サラミスもすぐに攻撃を受けたはず」
ディバートの話にレーアは胸を撫で下ろした。
「とにかく、その辺りの事はケスミーさんが調べてくれている。監視衛星の画像の解析を行って、何があったのか解明を急ぐそうだ」
やがて三人の乗るホバーカーは、サラミスの基地に到着した。
「お待ちしていました」
サラミスの基地を統括しているケイラス・エモルというディバート達と同年代くらいの男が出迎えてくれた。
「こちらが?」
ケイラスはレーアがホバーカーから降りるのに手を貸しながら、ディバートに尋ねた。
「ああ、そうだ。俺達の勝利の女神、レーア・ダズガーバンだよ」
「やめてよ、そんな言い方……」
レーアは照れながら言った。するとケイラスは、
「いや、実際にそうなんですよ。貴女が出向いたところは全て我々が勝利しています。本当に貴女は勝利の女神です、レーアさん」
と笑顔で言った。レーアは素直に喜べない。確かに戦いには勝ったが、西アジアでもオセアニアでも、甚大な被害も出ている。
(本当に勝ったと言えるのだろうか?)
レーアには疑問なのだ。
「おーや、珍しくご謙遜だね、レーアちゃん」
ナスカートがからかう。
「うるさいな!」
レーアはムッとして歩き出した。ナスカートは肩を竦めた。
一方、ミタルアム・ケスミー率いるパルチザン部隊は、オセアニア州の帝国軍残存戦力である南氷洋方面軍を迎え撃っていた。主な戦力の大半をすで失っている南氷洋方面軍は、補給もままならないためにそれほどの抵抗を続けられないまま、降伏した。
「これでようやくオセアニアの帝国軍を制圧できたな」
ミタルアムがホッとして言った。するとクラリアが、
「お父様、早くレーア達に合流しましょう。グランドキャニオン基地が完全に帝国のものになる前に取り戻さないと」
と言った。ミタルアムは、
「そうだな」
と普通に受け答えしたが、そばで聞いていたタイタスが、
「クラリア、心配なのは、本当にレーアなのか?」
その言葉にクラリアはギクッとした。
「な、何よ、タイタス? その言い方、気になるわね」
クラリアはあくまで平静を装ったが、無駄だった。タイタスはミタルアムがカメリスと話しているのを見てから、
「クラリアはさ、ディバートの事が好きなんだろ?」
と小声で訊いて来た。クラリアはギョッとした。
「何言ってるのよ、タイタス!」
彼女はトボケようとしたが、
「わかるんだよ。俺もそうだからさ」
「えっ?」
タイタスの言わんとしている意味がクラリアにはわからない。
「ま、片思い同士、頑張ろうぜ」
タイタスは何故か嬉しそうにクラリアの肩を叩き、歩いて行った。
「何なのよ、あいつ?」
クラリアは首を傾げた。
そして、サラミスに夜が訪れた。
すでに誰も歩いていない通り。遠くで犬が吠えるのが聞こえる。風もほとんど吹いていないため、街路樹の葉は皆根元に落ちている。その枯れ葉がフワッと舞い上がった。黒い影が幾つも暗くなった町の中を動く。
「慎重にな」
帝国暗殺団特殊部隊である。その隊長のエレイム・アラガスが部隊に指示する。
「仮にも急進派とパルチザンの大物だ。失敗は許されない」
部下達は黙って頷く。
「行くぞ」
黒い影は着実にレーア達がいる基地を目指していた。
サラミス基地は、数名の見張り役を残して、寝静まっていた。戦闘そのものはここ何週間もなく、皆気を抜いているのかも知れない。ディバートはそれが不安だったが、彼も長旅の疲れが出たためか、その日はそのまま休む事になった。
「本当に大丈夫なのかな?」
レーアは不安で眠れない。それもあったが、女子が一人もいないサラミス基地が落ち着かないのもあった。
(ナスカートのバカ、あれほど怒ったのにまたシャワー覗きに来て!)
彼女が寝ているのは、鍵もかけられない部屋なのだ。いつナスカートが忍び込んで来るかと思うと、とても眠れない。彼女にとって今の脅威は帝国軍ではなくナスカートなのだ。
「えっ?」
レーアは人の気配を感じた。基地の外を何者かが走っている。レーアはソッと窓に近づき、カーテンの隙間から外を覗き見た。
「あれは……?」
彼女は闇の中を走る黒い影を見た。