第三十九章 その一 ドードス・カッテム
レーアとディバートとナスカートは北アメリカ大陸上空に入り、陥落したグランドキャニオン基地に一番近いパルチザンの基地がある町サラミスを目指していた。
「一体何があったのかしら?」
レーアが尋ねる。しかしディバートは、
「ケスミー財団の監視衛星にも何もわからないらしい。大規模な戦闘がなかったのは、サラミスからの報告でもわかっている。謎なんだ。不気味なくらい静かに陥落したんだよ、グランドキャニオン基地は」
「……」
レーアはディバートの重苦しい声にそれ以上何も訊けなくなった。
ある高級ホテルの一室。
女がシャワーを浴びている。
男は苛立たしそうにベッドに腰を下ろしたまま、煙草を吸っている。
女がバスローブを羽織ってバスルームから出て来た。
「うん」
男は煙草を灰皿にねじ伏せ、いきなり女の唇を吸う。女もバスローブが開けるのも気にせずに吸い返す。
「ん、ん」
「ふーっ」
二人の激しい口づけは続き、そのままベッドに倒れ込んだ。
「はあ」
「はあ」
ようやく二人は顔を離した。
「畜生、頭に来るぜ」
「激情に駆られて、おかしな事しないでよ」
「大丈夫だよ。俺もそこまで若造じゃない。お前同様な」
男は剥き出しになった女の乳房を弄びながら言う。女はその手を軽く去なし、
「どうだか」
と言うと、煙草を手に取った。
「やめたんじゃなかったのか?」
「表向きはね」
「口が臭くなるから吸うなよ」
男は煙草を取り上げ、灰皿に放った。
「何よ、お互い様でしょ?」
女はムッとしてみせる。
「俺はいいんだよ」
「そういうところ、本当に嫌いよ」
女が男を睨んだ。
「わかったよ、マリリア」
男は言った。そう、女の名はマリリア・モダラー。ザンバース・ダスガーバン地球帝国大帝の秘書にして、愛人。いや、ザンバースには妻がいないので、恋人であろうか?
「私がきっと貴方を引き上げてみせるから、もう少し辛抱して、マルサス」
そして男の名はマルサス・アドム。帝国人民課担当官。そして先日のグランドキャニオン基地陥落の立役者である。しかし、帝国軍司令長官であるリタルエス・ダットスの諫言により、その評価は著しく下げられてしまった。
「俺はお前の助けなんかいらない」
「まあ、憎らしい」
マリリアはマルサスの高い鼻を噛んだ。
「いた!」
マルサスは笑いながらマリリアを押し倒す。
「さァ、そろそろホントのお楽しみと行こうか」
「ええ」
マルサスが服を脱ぎ始めた。
マリリアの本当の恋人はマルサス・アドム。その事を知る者は少ない。
そしてその少ない者の一人、帝国暗殺団首領のドードス・カッテムは、グランドキャニオン基地奪還に動き出したパルチザンと共和主義者達を掃討するために暗殺団を率いて、北アメリカ大陸の西岸を目指している。
(マルサスめ、相当頭に来ているだろうな)
ドードスもダットスが嫌いだ。金と裏工作だけで現在の地位に辿り着いたダットスは、地道に仕事をして来たドードスから見ると、まさに唾棄すべき存在なのだ。
「自分の地位が危ないとなると、どうしてそんなに素早く動けるのかねえ、あのオヤジは」
ドードスは誰にともなく言った。しかし部下達は聞こえないフリをしている。
「先発しているアラガス隊はどこまで行っている?」
ドードスは唐突に尋ねた。通信係は慌てて、
「只今山脈を通過中です」
「そうか」
ドードスにとって、先発隊がどこにいるのかなど大して重要ではない。彼が警戒しているのは、スパイなのだ。
(ダットスは身内すら信用していない。と言うより、奴自身が肝が小さいから、全員が敵に見えるか)
ドードスは時々そのスパイを炙り出すために妙な指令を出したり、突然作戦を変更したりしている。
(何を聞かれても、何を報告されても俺は全然構わないが、今回のように出る杭を力任せに打ち付けるのなら、考えなければならん)
ドードスはマルサスに同情していた。機会があれば、ダットスを陥れてやろうとも思っているのだ。
「我々はあまり急ぐ必要はない。但し、反乱軍共の監視衛星に見つかるようなヘマはするなよ」
「はっ!」
レーダー係が答えた。
その先発隊の隊長であるエレイム・アラガスは、ドードスの部下の中でも抜きん出て能力のある殺しのプロである。連邦時代は地下に潜り、ザンバースの命令で何人もの政府要人や旧帝国軍の幹部を暗殺している。帝国になってからは、主にパルチザンの幹部クラスの暗殺を手がけているが、今回の作戦はいつもより血湧き肉踊るものだった。
「ディバート・アルター、ナスカート・ラシッドか」
痩身だが、全身が鋼のような筋肉に覆われているエレイムは、二人の名を聞き、ニヤッとした。
「随分と大物が来ているんだな。グランドキャニオン基地が落とされたのが、連中、相当衝撃だったらしいな」
エレイムは装甲車で移動中である。
「夜になったら行動開始だ。闇の中でこそ、我々の真の力が発揮されるのだからな」
彼は嬉しそうに呟いた。