第三十八章 その三 ナハル・ミケラコスの恫喝
グランドキャニオン基地は静かだった。天然の要塞のため、帝国軍の攻撃もほとんどなく、基地の中は退屈したパルチザン達がゲームや遊びに興じていた。
「いいのかねえ、こんな事で」
中の一人が呟く。すると別の一人が、
「いいんじゃないの。そりゃ、オセアニアが大変な状態で、西アジアも大わらわなのは知っているけど、ここは最前線なんだ。それだけで胃に穴が開くくらいのストレスなんだぜ? 少しくらい楽しい思いしても罰は当たらないだろう?」
「そんなものかな」
しかし彼等の優雅な生活は、後数時間で終了する事になるのである。
レーアは、ディバートとナスカートと共に北アメリカに戻る事になった。
「レーア」
クラリアがレーアを柱の陰から呼ぶ。
「何よ、クラリア?」
レーアは最近様子がおかし親友を呆れ顔で見て尋ねる。
「いいから!」
クラリアは強引にレーアを廊下の端まで引っ張って行った。
「あのさ、もう一度確認なんだけど」
「何?」
クラリアが何を言いたいのかわかっていながら、レーアはわざととぼける。
「貴女、本当にディバートの事、何とも思っていないのよね?」
やっぱり、とレーアは思い、
「ええ、そうよ」
クラリアがホッとした顔をする。レーアはすかさず、
「でも、仮に私がディバートの事を好きだとしても、貴女は自分の気持ちに嘘を吐かずに向き合うべきだと思うけど?」
「レーア……」
厳しいことを言う親友に、クラリアは泣きそうな顔をした。
「心配しないで、クラリア。私は今は誰も好きになったりしない。いえ、なっていられないの」
レーアのその言葉に、クラリアはハッとした。
「ごめん、レーア。貴女の今の状態を知らない訳じゃないのに、変な事を訊いて……」
クラリアはバツが悪そうな顔でレーアに詫びた。しかしレーアはニコッとして、
「そんな事、気にしなくていいの。私達、親友でしょ?」
「レーア」
二人はしっかりと抱き合い、互いの頬にキスをした。
「大好きよ、レーア」
「私もよ。できれば結婚したいくらい」
二人はクスッと笑い、離れた。
「しばらく会えなくなるけど、元気でね」
レーアが言うと、クラリアはとうとう泣き出してしまい、
「レーアもね」
「もう、そのくらいで泣かないでよ、クラリア」
「うん……」
レーアはクラリアの涙を拭い、微笑んだ。
一方、帝国人民課担当官のマルサス・アドムの部隊は、グランドキャニオンの近くまで来ていた。
「敵の動きはどうか?」
マルサスが尋ねる。レーダー係が、
「動きは見られません。対人レーダーにも反応なしです。見張りすら立っていません」
「随分と不用心な連中だな」
マルサスはその隻眼を細めて呟く。
「その方がやり易いというものだ。準備にかかれ。距離は十分だ」
「はっ!」
作業班が動き出す。トレーラーの荷台が開放され、中から巨大なスピーカのような装置が現れた。
「射程を間違えるなよ」
マルサス達は、防御用のフルフェイスのヘルメットを被った。
「出力限界です」
「放射!」
「放射します!」
トレーラーのスピーカがブーンと低い音を立て始める。震動が微かにマルサス達にも伝わって来るが、それ以上は何も起こらない。
五分が経過した。
「放射終了。作戦完了だ」
マルサスが指示する。放射が止められた。微かな震動も止まる。
「引き上げるぞ。後は軍の仕事だ」
「はい」
マルサスはフッと笑い、グランドキャニオン基地に背を向けた。
グランドキャニオン基地の中は、地獄絵図さながらであった。先程までゲームに興じていた仲間同士が殺し合ったのだ。基地内はほぼ全滅していた。異変に気づいた幾人かが、基地を脱出し、ホバーカーで逃走した。しかし彼等もそこまだった。リタルエス・ダットス率いる帝国軍の空軍が現れたのだ。
「うわああっ!」
空軍の爆撃機が機銃を掃射し、逃走したパルチザンを射殺した。
「あの難攻不落の要塞が、こうも簡単に陥落するとはな」
ダットスは基地から上がる煙を見てニヤリとした。
「しかし、これはあるいは……」
ダットスの顔が険しくなる。
レーア達は、戦闘機で太平洋上空を移動中だった。
「グランドキャニオン基地が制圧された?」
ディバートはミタルアムからの連絡を受けて仰天した。
「そのようだ。詳細はわからないが、付近のパルチザン達が傍受した通信では、内部が混乱していたらしい」
「そうですか。とにかく、急ぎます」
「うむ。グランドキャニオン基地には直接行けないので、近くの支部に向かってくれたまえ」
ミタルアムが告げた。ディバートは頷き、
「だとすると、サラミスですね。了解です」
ディバートとミタルアムの会話を後ろの席で聞いていたレーアは言葉がない。
(何があったの?)
ミタルアムとクラリアは、タイタス、イスター、ステファミー、アーミー他のパルチザンと共にオセアニア州の帝国軍のうち、南氷洋方面軍の大陸上陸を阻止するため、沿岸都市サマードリアに向かっている。
「面倒な事になった。グランドキャニオン基地で何が起こったのか、全く把握できない」
ディバートとの通信を終えたミタルアムが言った。
「グランドキャニオン基地が制圧される程の部隊が動いたと言う情報がない。それに我が財団の監視衛星にも、それほどの熱感知情報が入っていない」
「気味が悪いわね」
クラリアはステファミー達と顔を見合わせた。
ザンバースは、ダットスからの報告を受け、考え込んでいた。
「ダットス長官はマルサスの昇進を恐れているのですわ」
そばに立つマリリアが囁く。ザンバースは、
「確かにな。しかしマリリア、もし、マルサスがあの装置を我々に向けて来たらどうだ?」
「……」
マリリアにもその可能性を否定する事ができない。
「ダットスの器が小さいのは別の意味で問題だが、マルサスに力を持たせるのは、私も望まない」
「はい」
マリリアはそれ以上意見するのをやめにした。ザンバースは補佐官のタイト・ライカスに連絡してた。
「ライカス。マルサスに命令しろ。今回の実験で装置は破棄。以後、その装置関連の開発は禁止する、とな」
「はい」
ザンバースはテレビ電話を切った。
「では次の問題を解決するか」
「はい」
ザンバースは立ち上がり、隣室に待たせているナハル・ミケラコスの元に向かった。
ナハル・ミケラコスは激怒していた。帝国建国以前と話が違って来ている事に我慢ができなくなったのだ。それで、秘書も連れずに単身でザンバースのところにやって来たのだ。
「お待たせした、ミケラコスさん」
ザンバースはドアを開くなりそう言った。ナハルはソファに座ったままで、
「話が違うぞ」
「そうかね」
ザンバースはフッと笑って向かいに腰を下ろした。
「これ以上あんたに資金協力はできない。手を引かせてもらう」
「なるほど」
感情を高ぶらせているナハルと違い、ザンバースは冷静だ。
「地球帝国が我が財団の支援なしでどこまでやれるのか、見ものだな」
ナハルはブルブルと拳を震わせて立ち上がる。まさか殴り掛かっては来ないだろうと判断したザンバースは、それでもピクリとも動かない。
「話はそれだけだ。失礼する」
ナハルはそのままドアに近づき、部屋を出て行ってしまった。
「ご苦労な事だ。それだけの話なら、電話かメールですむだろうにな」
ザンバースはニヤリとして呟いた。