1-10 重心固定
「……まあ、持ってはいますけど」
瓦礫の影で、アズマは短くそう言った。
血と煤の匂いがまだ残る中、グスタの視線だけがやけに鋭い。
誤魔化しは通じない、と悟ってから、アズマは肩をすくめた。
「大した能力じゃないっすよ。名前も、勝手につけてるし」
「ほう?」
「重心固定。それだけっす」
グスタの眉が、わずかに動いた。
アズマは続ける。
「自分の重心を、体のどこにでも固定できるんです。位置も、方向も。だから、どんな体勢でも崩れないし……」
言いながら、地面に落ちていた石ころの上に爪先立ちする。
不安定な足場であるはずなのに体はピタリと動かずに維持する。
「転ばない。滑らない。落ちない。壁でも天井でも、歩ける」
淡々とした説明だった。
「ただ、それだけっす」
重心が崩れない。
ただそれだけ。
火も出ない。
雷も落とせない。
敵を一瞬で消し飛ばすこともできない。
「便利ではあるんですけどね。どんな不安定な場所でも安心ですし」
自嘲気味に笑う。
「でも、戦場じゃ……カスみたいな能力です」
アズマの脳裏に浮かぶのは、さっきの光景だ。
グスタの胸元から噴き出した、一直線の炎。
魔物をまとめて焼き払う、圧倒的な力。
――あれが“当たり”だ。
自分の能力は、ハズレ。
そう、ずっと思ってきた。
「所詮、壁をちょっと便利に走れるだけっすから」
言い切ったアズマに、グスタは鼻で笑った。
「ふうん」
腕を組み、少し考えるような間。
「十分おっかねぇ能力だと思うがな」
「……そうっすか?」
「ああ。重心がブレねぇってのはな」
グスタは自分のこめかみを指で叩く。
「恐怖でも、疲労でも、死ぬ間際でも――動きが狂わねぇってことだ」
アズマは、答えなかった。
その価値を、理解できるほど、自分は強くない。
待機場所に戻ると、冒険者たちはそれぞれ後片付けに入った。
刃の血を拭い、装備を点検し、消耗品を数える。
いつもの光景。
今日も生き延びた、それだけの時間。
アズマも、マチェットの刃を布で拭いていた。
その背中に、声がかかる。
「おい、アズマ」
振り返ると、グスタが立っていた。
「おれが、兵士に推薦してやろうか?」
一瞬、手が止まる。
兵士。
対魔物防衛隊。
国家に属し、装備も、食事も、地位も保証される。
冒険者とは、比べ物にならない待遇だ。
だが。
アズマは、首を横に振った。
「いや……よくわかんないので、いいっす」
即答だった。
グスタは少し意外そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「そうか」
アズマは、視線を落とす。
兵士になった自分が、想像できなかった。
命令を受け、壁を守り、仲間と並んで戦う未来。
――自分には、似合わない。
「また何かあれば言ってくれ」
グスタは背を向ける。
「お前なら、一日ヤらせてくれりゃ、大体の相談は聞いてやる」
「……考えときます」
軽口を残し、グスタは去っていった。
装備をまとめ、待機場所を出ようとしたとき。
「……あの」
呼び止められた。
振り向くと、ひとりの女冒険者が立っていた。
さっき、背中を助けた相手だ。
アズマより少し年上。
疲れ切った顔だが、目だけは真っ直ぐだった。
「ありがとうございました」
深く、頭を下げる。
「私……今日、誕生日だったんです」
「……」
「死ぬ直前に、思ったんです。あぁ、誕生日も祝われずに終わるんだな、って」
乾いた笑い。
しばらく沈黙が落ちたあと、彼女は言いづらそうに続けた。
「その……お礼のお金なんですけど……」
冒険者同士では、当然の流れだ。
助ければ、金が動く。
アズマは、少し考えた。
そして、首を横に振る。
「いらない」
「……え?」
戸惑う声。
「誕生日プレゼント」
短く、そう言った。
「おめでとう」
女は、一瞬、言葉を失った。
やがて、ゆっくりと笑った。
「……変な人」
「よく言われます」
アズマは、背を向ける。
今日も、死ななかった。
それで、十分だ。
重心は、まだ――しっかりと、ここにある。




