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 よくわからないまま、よく知らない城でお兄さんとお茶した後、誰にも挨拶することなく鬱蒼な森を抜け、彼女が待つ孤独の塔へ戻った。帰ってきた俺を見た彼女の両目は、零れ落ちてしまうほど大きく見開いて、かなり驚いていた。たぶん、俺が戻ってくるなんて微塵も信じていなかったんだろう。約束までしたのに、そこまで信用が無くてショックだった。それでも檻に入れば、じわりじわりと歩み寄ってきて、ちみっと服の裾を掴まれてショックなんて吹き飛んでしまった。可愛いってやつは、この世で一番恐ろしいのかもしれない。

 小さくて、可愛い彼女との生活は緩やかに進んでいった。この場所は時計もなければ、予定もないから、真綿で首を緩やかに締められるような焦燥感も、不安感も、何一つなかった。不満なんて床が固くて、冷たいことだけだ。

 檻の中で二人きり。時々お兄さんが来る程度で、この寂しい場所には誰も来ない。

 メープルシロップのような平和の中で、俺は彼女の長く、白い髪の毛を梳く。お兄さんに頼んで、手に入れてもらった櫛で梳き始めて一週間。彼女の白い髪はただの白い髪ではなく、艶めく白い髪にレベルアップした。正確に言うと、彼女の髪の毛は白色ではなく、薄っすら青色を感じるから、白い髪じゃあないかもしれない。

 今日も今日とて、彼女の髪の毛を梳く。さらさらと流れる髪の毛は櫛に引っかかることをしなくなった。ずっと梳いていたくなる梳き心地! くそう、なんで俺はヘアアレンジに興味を持たなかったんだ! 彼女の長さなら、いろいろできただろうに。もったいなぁ。

「どうしたの?」

 俺の恥ずかしいぐらいだだ洩れの気持ちを、彼女は優しく救い上げる。年上として本当に恥ずかしい。

「んー、髪の毛きれいだなぁって思って」

「……そうかな?」

 心底不思議に思っている彼女の自己肯定感は、どうやら地べたを這いつくばっているらしい。自分の髪の毛の先をつまみながら、不思議そうに首を傾げている彼女の髪色を見て先生の事を思い出した。

「あ、そうか――――――月白書店」

「つきしろ、しょてん?」

 こてん、と俺に振り返る彼女の表情は好奇心で溢れていた。

「俺がいた世界に月白書店っていう名前の本屋さんがあってね」

「ほんやさん?」

「あー……。たくさんの物語を取り扱っている場所、かなあ?」

 俺の下手な説明じゃあ、想像できないのか、うんうんと一生懸命に月白書店を想像する彼女の健気さに俺は申しわけなくなった。

「そのつきしろしょてんがどうしたの?」

「いや、月白書店がどうとかないんだけどさ。髪の毛、ずっと白色って大雑把に捉えていたけど、こういう色を月白色っていうのかなって」

「……げっぱく?」

「そうそう、月の白色って書いて月白」

「つき」と、小さく口にしてから、太陽の光が降り注ぐ小さな窓を見上げる。

「ん~~、まだ太陽の時間だから、月の時間はまだだよ」

「そうなんだ」

「月の時間になったらさ、一緒に外に出て、見ようよ」

 俺の言葉に息を飲んで固まってしまった彼女は、やっぱりお兄さんが言っていた通り外には出ないのかな。昼間じゃなくて、夜ならいいかな? って思ったけど、ダメかあ。

「……つきはあおいろじゃないの?」

「へ?」

 俺の聞き間違いじゃなければ、興味を持ってくれている?! マジで? これは、なんとしても一緒に外に出て月を見るぞ。え、てか、月が青色?

「月は黄色だよ、ね?」

「きいろ? あおいろだとおもう、けど」

 自分の記憶に自信にないのか、言葉尻がどんどん小さくなっていく。最後に見た月を思い出しているのか、眉を寄せながら、うんうん唸っている。その彼女の姿が、なんだか年相応に見えて嬉しくなった、とは違うけれど、安心した。

「やっぱり、一緒に月が青色なのか、黄色なのか一緒に確認しようよ」

 彼女につられて、自分でも驚くほど弱弱しい声が出た。緊張からか、櫛を持つ手が噴き出した汗でべたべたして不愉快だ。

 目が覚めるような沈黙に包まれる。

 お互いの呼吸音、外の木々が揺れる音しか聞こえない。二人しかいない世界は緊張して、寂しくて、だけど見えない底には安心感があった。

「……………いっしょに、―――」

「見てもいいかい?」

「ッ!!?」

 突然の第三者に、俺も彼女も肩をびくつかせ、声のした方へ振り向くと、そこには「やっほー」と、軽い声で手を振りながら、微笑むお兄さんがいた。――うわぁ。なんて思えば、彼女は小さくため息を吐き出した。今日の彼女は、いつもとちょっぴり違うらしい。

「おやあ、キミが溜息を吐き出すとは珍しいね! 今夜は嵐でも来るのかな?」

 羽根のように軽い足取りで、檻に近づくお兄さんに彼女は「あらしはこない」ときっぱりと否定した。少女の精一杯の鋭い目に射抜かれたお兄さんは、困ったように肩をすくめながら「冗談さ。ごめんよ」と謝った。

「お兄さんって、謝ることできるんですね」

 驚きで口から、思っていること漏れ出てしまったが今日のお兄さんも少し違うのか、再び困ったように笑いながら「心外だなぁ」と口にする。

 檻の前で、檻の中にいる俺たちを見て、お兄さんはやっぱり困ったような笑いながら口を開いた。

「二人とも、ずいぶんと仲良くなったね」

「仲良く見えますか?!」

「あぁ、もちろんだとも!」

 第三者から見ても俺と彼女は、打ち解けているように見えるらしい。俺自身は、名前はいまだに教えてくれないけど、彼女と仲良くなってきた、というよりは仲良しという認識だから嬉しいなぁ。目の前の彼女は、どうかわからないけれども……。でも髪の毛を一週間も梳かしてくれるっていうことは、少なからず気は許してもらえているはずだ。絶対に悪くは思われてはいないだろう。

「浸っているところ悪いが、話を戻そう」

 戻すほどの話はしていなかったと思うが、彼女は「あなたはこないでください」と、俯いた。

「ついていかないことはできるけれど、それはあまりにも選択として簡単であり、厳しいものだ。キミは、それでもいいのかい?」

「……それがいいんです」

「キミの性格の悪さは、誰に似たんだろうねぇ」

「それでも、外に出るという一つの選択をしたのは成長かな」と、彼女を眩しそうに見つめる姿は、まるで彼女の父親のような、母親のような、夜道を照らす街灯にも似ていた。

 俺にはわからない話をする二人に、疎外感を感じる。入ることのできないやりとりは、やっぱりこの場所において自分が異質な存在なのだと自覚してしまう。



 嫌だなぁ。



 ――……ん?

 それは違和感だった。

 いや違和感じゃない。どうしようもないほど不快で、思わず大声を出してしまいたくなるほど寂しくて、目をそらすほど泣きたくなって、――――――なんだか無性に先生に会いたくなった。




 その日、見上げた月は胸が苦しくなるほどきれいだった。




 たぶん満月だった。

すごく大きくて、白くて、だけど薄い青のフィルターが重なっているような色をしていた。現代と比べるのが申しわけなくなるほどの輝きを放ち、周りにいるはずの星々は見えず、月だけがそこにいた。たった一つの存在であるはずなのに、孤独とも思っていなさそうな月が羨ましくて、見上げている俺たちの方がどこまでも孤独だった。

 先生も同じ月を見ているのだろうか。

 なんでこんなにも先生の事を考えているんだろう。今の今まで微塵も思い返すことなんてなかったのに、変な話だ。それとも灯りのないこの世界の夜は、先生の何もかもを飲み込んでしまいそうな黒髪に似ているからだろうか。

 くいくいっ、と服の端を引っ張られる。犯人は誰かわかっているけれど、視線を向ける。困ったような顔をした彼女が服の裾をひっぱっていた。

 無言が俺たちを包む。何か言った方がいいのかもしれないが、気の利いた言葉が何一つ浮かばない。彼女の瞳は何か訴えているのに、俺には何一つ汲み取ることなんてできなくて、お兄さんならできるんだろうな。なんて、他人事のように考えている。

「……きいてもいい?」

「ん? いいよ」

 するり、と、服の裾を放した彼女は、前置きをした割には聞きにくそうで、彼女の口がもごもごと動くたびに俺の喉が渇いていく。なにを聞かれるのか、まったく想像できない。この小さな生活は、不便で、不自由で、どこまでも楽しかった。生活の感想や、俺のことならばいいのだが、きっと彼女はそんなこと聞きはしないだろう。

 覚悟を決めた彼女のカサついた唇が動く。

「………つきしろしょてんについて、おしえて、ほしい」

 それは想像もしていない質問だった。

 固まる俺に、首を傾げながら「だめだった?」と、聞く彼女に慌てて「ダメじゃない!」と返す。だが、月白書店について知っていることなんて、あまりない。

「んー。ごめんね。月白書店について知っていることは、あんまりないんだ。……それでもいいなら―――」

「いい」

 食い気味に返事をする彼女は、そうとう月白書店に興味があるらしい。

 彼女の髪色によく似た月を、先生の書店と同じ月を、もう一度見上げる。

 細く、頼りない糸を吐き出すように、息を吐き出す。彼女はそんな俺を見上げて、じっと待っている。いまさら、未来の事を教えていいのか? なんて疑問も小さな脳みそに浮かんだけど、いまさらな話のため、俺は少女の期待に応えられない未来の話をするために、口を開いた。




 ■□□□ ■□□■ ■□□■ ■




 俺が月白書店を知ったのは、本当は偶然なんかじゃなかった。

 路地の暗さに誘われたなんて嘘だ。自ら、そんな危険が溢れていそうな暗いところなんて行くわけない。じゃあどうして知ったかと言えば、路地から一人の男の人が出てきたんだ。その人は俺を見て、驚いていた。初対面だった。俺はその人のことなんて知らない。驚いていたのは、僅かな時間でその人は胡散臭い笑みを張り付けて、俺に話しかけてきた。

「やあやあ! 君は学生さんだねぇ。いやあ、ちょうどいい。教科書や参考書、読書感想文用の本、その他もろもろ必要な本があれば、この路地の先にある月白書店をよろしく! その辺の本屋より品揃えがいいからね―――ぜひ御贔屓に」

 こうして一方的に捲し立てながら、俺の肩をがっちり抱いて路地に引きずりこんだその人は、月白書店の従業員なわけだけど、その時の俺はただただヤバい奴に捕まったって思ったよね。ヤバいときって、「助けて」なんて声も出すことができなくて、ロクな抵抗なんてできないまま月白書店に連れてかれたのが本当の始まりだ。

 そもそも「御贔屓に」と言いながら、お店に引きずり込むなよな。

 雰囲気のある二階建ての平屋は、心霊スポットなんて行ったことないけど、本物の心霊スポットぐらい怖かった。少しでもの抵抗に足に力を入れてみても、どうにもならずガラガラと音を立てて開いた玄関に両目をぎゅっと瞑る。

「―――静かに開けられないのかい?」

 不機嫌を隠すことない音であったけど、淡々とした声色は怖いとは感じなかった。

「おお、それはすまないねえ! でも、お客さん第一号を連れてきたんだ、許しておくれよ」

 二人の会話を聞きながら、ゆっくり閉じた両目を開ける。本から視線を上げることなく会話を続ける男は、男の俺でも見惚れるぐらい顔が整っていた。―――それが後の先生である。

「ほおら、坊ちゃんも、あの人でなしになにか言っておくれよ。本、好きなんだろう?」

「ぼっ?! はあ?」

 正直、本は好きでも嫌いでもない。小説より漫画の方が好きだし。小説なんて、それこそ読書感想文書くためだけにしか読まない。……嘘でも、本好きです! なんて言えない。言って、いろいろ聞かれても襤褸がすぐ出てバレる。一人で焦って、慌てる俺をその人は見ていた。

「………――、――――――」

 なにかを言っていたような気がする。

 だけど、その時の俺には「なにか言いましたか?」って、聞ける余裕もなければ、今の俺だって「あのとき、なんて言ったんですか?」って聞く勇気もない。それでも確かに、先生のその驚いた顔を忘れることはないだろう。と思う。

 先生は俺が小説を読まないことを知っていたのか、俺の顔を見ないで一冊の本を差し出してきた。

「この本はあげるから、もうここには来ないほうがいいぜ」

 差し出された本は詩集だった。

「先に言っておくが、この詩集は有名な詩人でもなければ、有名な詩でもない」

「有名じゃあないんですか?」

「確実に教科書に載るような詩ではないね」

 困惑しながら受け取った本は、それなりに分厚くて嫌な気持ちになったけど、ぱらぱらとページを覗き見れば、一つ一つの詩は短くて、どうやら物語になっているようだった。単純な俺は、それだけのことで読んでもいいかな、なんて考えながら鞄にしまった。

「ありがとうございます、家で読みますね」

「別に読まなくたっていいんだよ」

「いやいや、読みますよ。それで感想を伝えに来ますね」

 鬱陶しいものを見るかのように細められた瞳に、恐ろしさから息を飲む。後にも先にも普通に生きていて、こんな路傍に吐き出されたゲロを見下すような瞳で見られることなんて無いだろう。……初対面なのに俺は、一体何をしてしまったんだ。

「まあ、期待せずに待っているよ」

 ふい、と顔を俺から逸らした先生に俺は「はい、期待して待っていてください」と言った。

 約束通り渡された詩集を読んで、再び訪れた月白書店はヤバい店には感じなくて、現金な話、俺が来るのを待っていたかのような、歓迎しているような空気が流れていた。

 この日からだ。

俺が月白書店に毎日通うようになったのは。

いつ行っても、先生とお兄さんしかいなくて、俺以外のお客さんもいない。こんな売れていない本屋が、どうやって経営を続けているのか謎だった。だからというわけではないが、ここに来るたびに本を買った、少しでも助けになれば嬉しいという自己満足の偽善だ。俺のちっぽけな考えを見透かしていた先生は、一週間に三日ぐらいは適当な理由をつけて割引したり、わかりやすい嘘をいいながら本を譲ってくれた。断っても、怒っても先生は聞き耳なんて持ってくれなくて、お兄さんだって笑いながら先生の味方をする。

先生はお兄さんの事を「ろくでなし」と、呼んでいたがけれど、お兄さんはずっと先生の味方だった。






「……最初から〝人でなし〟って呼ばれてたな」

「ひとでなし? そのひとは、ひとじゃあないの?」

「ん~~、人だと思うけど……。お兄さんは、人じゃあないって言ってたしな……」

 どこから、どう見たって人にしか見えなかったけど、わからないことは考えたってわからないんだから無駄だ。

「まーでも、こうして思い出してみても、本当に俺は月白書店のことも、先生の事も、お兄さんの事も何も知らないなぁ」

 あんなにも毎日通って、会話したはずなのに、暗闇に浮かぶ月と同じぐらい知らない。その事実がちょっぴり寂しくて、でも店員とお客の関係なんてそんなものか、と納得してしまえる自身に薄情者だなあ、と感じてしまう。

 なんだか、帰りたくなってきた。

 親の顔でもなく、友達の声でもなく、先生の顔が見たくて、先生の声が聞きたくて、あの薄暗い月白書店に駆け込みたくてしょうがない。帰る術だってわからない。いや、お兄さんが言っていたじゃあないか、俺だけが帰りたい、戻りたいって思っても意味がない。他の誰かが俺の帰りを望んで、なによりお兄さんがいなとダメなんだ。……にしても、あのお兄さん、彼女との約束守って、ここにいないんだよなぁ。


 ぼんやり月を見上げる俺を、さらに下から見上げる彼女が月じゃなくて、俺を見ていることなんて、ちっとも気が付かなかったんだ。


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