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 あの意味不明な予言の通り、俺はノートを買った。

 けれど俺が買ったノートは、学校で使う普通の大学ノートだ。もちろん新品。到底お兄さんが言っていたノートとは思えない。

 かち、こち、かち、こち、と一定のリズムを刻む時計の秒針が嫌に耳に残る。不快感を携えたまま壁に引っかかっている時計を見れば、長針と短針が頂上を指して、重なり合っていた。

 寝ないと。と思う。

 明日だって学校がある。それだけで朝から忙しいのだから、寝ないといけない。それなに、寝ないといけないと思えば思うほど、目が冴えていく。

 ――眠れない、だって?

 ――眠れないのは、眠るのがもったいないと考えているからさ。

 ふと脳裏に先生の言葉が掠める。

 俺は何を〝もったいない〟って考えているのだろうか。わざとらしく思考したって、そんなもの本当はわかっている。新品のノートを手に取り、既視感に目を細めた。

「………」

 先生のことを知りたい。

 先生のことなんて何一つ知らない。毎日通っているのに名前だって知らない。訳知り店員のお兄さんとの関係だって、何が好きで、何が嫌いなのかも、どうして月白書店っていう店名にしたのか、どうして〝人でなし〟と呼ばれて否定しないのか、本当に何一つ知らない。

 そもそも、店員と客の立場でそこまで気になる方がどうかしている。

 それでも、それでも知りたいと願ってしまう。



「いったい先生は、誰を待ってるんだろ」



 その時だった。

 部屋が真昼と勘違いするほどの眩しさに包まれる。

「うげぇ?!」

 あまりの眩しさにうめき声を上げ、反射で目をつむる。光はすぐさま収まり、瞼を閉じていても、あたりが暗くなったことがわかるほどの光量の差にゆっくりと瞳を開ける。

「―――は?」

 目を開けたらそこには、糸のような細く、頼りなり月明かりに照らされた銀色の何かがいた。目を凝らして見ていれば、両の目が暗闇に慣れてきて、ぼんやりとそのシルエットを捉える。

 小さい。

「………だれ?」

 鈴のような声だ。と思った。

 不信感や、不安の中に、小さじ一匙分の期待が見え隠れしている。

「えっと、俺は、」

 状況もなにもわからない中で、小さい(恐らく)少女にいろいろ伝えても解決するのだろうか? なにか一つでもわかることはあるのだろうか? そもそもここはどこなのか。月の光を辿れば、手なんて届かない場所に申し訳ない程度の小さな窓みたいなのが見える。

「おや、案外いるものだね。キミに会いに来る人間が」

 自分の左横から聞いたことのある男の声が聞こえた。声のした方へ顔を向けるが暗すぎてよく見えない。誰が動いているのはなんとなくわかるが、いかんせん光源が月明かりだ。頼りなさ過ぎる。

 俺の考えがわかったのか、男は「あぁ、キミにこの暗さは厳しいね。さぁ、今灯りを点けようか」の言葉と同時に、この場所の中心、そして地面から3mぐらいの高さの場所に火が点いた。なにもない空中に灯る火に俺は開いた口が塞がらなかった。

「やぁやぁ、はじめまして。そしてご愁傷さま。遥かなる未来から来たお客人」

 舞台役者のような仰々しく頭を下げた男は、まさか、そんな――――――。

「お兄さんッ??!」

 そうだ!

 月白書店で働いているお兄さんだ。恰好がまったく違うが、その顔、その声は間違いないだろう。

「私に弟はいないはずだがね。だが、その反応。ふむ、未来からのお客人は、どうやら私とも知り合いらしい」

 月白書店とは違う妙に落ちついたお兄さんに、なんとも言えぬむずむずした感覚が背中を走る。きっとお兄さんの格好もあるのだろうか、ゲームに出てくるような……。そうそう宮廷魔術師や、錬金術師みたいなそんな大げさな格好をしているものだから、より違和感を感じるのだろう。

「うんうん、私の美貌に見とれてしまうのはわかる、大変よくわかるのだが、未来からのお客人、現状確認はしなくてもいいのかい?」

「現状確認、って言われても」

 現状確認と言っても、もう何から確認したらいいのかわからない。

「まず、おちついて。しんこきゅうするのがいいって、きいたこと、ある」

 混乱して頭が回らない俺を、助けるように拙い話し方ではあるが助言の通りに2,3回深呼吸をすれば、少しだけ落ち着いた。助言をくれた声にお礼を伝えようと顔を向ければ、そこには腰の位置まで伸びた白い髪の毛を靡かせた少女が立っていた。俺の知識では表現することができないが、なんか豪華な服を着ていた。それこそ王族のようだ。だけど、そんな恰好とは反対に少女は檻の中にいた。

「えっと、どうして檻の中に?」

 俺の質問に、目をきょとんとさせた少女は質問の意味が理解できないのか、コテン、と首を傾げた。

「あははははっ! 最初の質問がそれとは、未来からのお客人はおもしろいなあ!」

 腹を抱えて笑うお兄さんに、ムッとして睨みつける。俺の下手な睨みつけでは、お兄さんにダメージを与えることができなかった。

「さて、どうして彼女が檻の中にいるのか、だったね? それは彼女が、私に捧げられた生贄だからだよ。正直、生贄なんて捧げられても困るのだけどね」

「――――――ん?」

 いま、聞きなれない単語が聞こえた気がした。

 もしかして、聞き間違いかもしれない。そう、きっとそうだ。

「いや、聞き間違えではないとも、私は確かに彼女のことを〝生贄〟とキミに紹介したよ」

「……どうして檻の中に?」

「あぁ、これ。実は昔、ちょっとね」

 茶目っ気に笑うお兄さんは、檻について話す気はないらしい。少女に視線を移すが、なにも知らないのか首を横に振る。申し訳なさそうに眉を顰める姿に、ちくちくと良心が痛みを主張する。なによりも絵面がヤバい。男二人が檻の中の少女を見るのは、事案でしかない。

「彼女をここから出すことは、できないんですか?」

「んー、檻を開けるのは簡単さ。――――――でも、彼女は出ないだろうね」

「どうして?」

「彼女が生贄だからさ。だから、自ら檻から出ることはないよ」

 なんだそれは。

「気になるならキミが一緒に入ればいいよ」

「えっ、俺が入ってもいいんですか? 彼女、嫌じゃないんですか?」

「別にいいだろう?」

 お兄さんの軽い確認を、コテン、と頷いた彼女に自分の意思を感じられない。自分には選択する権利なんてないと思っている。ただ綺麗に飾られただけの人形のようで、同じ人間とは思えないほどの無機物に感じる。

「ほら、開けたから入りなよ」

 ぐいぐいと背中を押されるまま、俺は小さい女の子がいる檻の中へ「おじゃまします」と、一言告げて入っていく。

 入ったのはいいのだが、ただただ気まずい。少女はビー玉のように煌めている瞳で、俺を静かに見つめる。とりあえず、少女に身長へ合わせてしゃがむ。

「とりあえず、よろしくお願いします」

 握手しようと出した右手を、少女はじっくり見つめる。その視線は、差し出された右手の意味が理解できないと訴えていた。

「握手だよ。あ・く・しゅ」

「あくしゅ……?」と、お兄さんの言葉を繰り返す少女は、なにかを思い出すように視線をきょとり、きょろりと空を数秒彷徨わす。

「……こう?」

 恐る恐る伸ばされた少女の小さな手のひらが、俺の人差し指を控えめに、ぎゅっ、と握る。その柔らかな温度に、なぜだか無性に泣きたくなった。

「ずいぶんと控えめな握手だね」

「なにかちがう? こうじゃない?」

 困ったように首を傾げる少女に「合ってるよ、大丈夫。あの〝ろくでなし〟のことは無視しようね」と笑う。釣られるように、少しだけ口角を上げた少女は控えめに言ってもかわいい。

 そうこうしているうちに、しっかり落ち着いてきた俺は、改めて檻の外にいるお兄さんに向き直る。暇そうな顔をしていたが、俺の意図を察し、詐欺師のような素敵な笑顔で口を開いた。

「遥かなる未来から来たお客人。キミは私の魔法というか、能力のせいで過去にやってきたのさ。この世界は神も、怪物も、人間も、幻想も、何もかもが同じスクリーンで生きている。ま、過去というより、キミからしたら異世界とでも思ってくれたまえ」

「あの、俺は帰れるんですか?」

 俺の質問に笑みを深くする。

「帰れる保証は残念ながらできない」

 お兄さんの言葉は、俺からしたら死刑宣告と同じであった。だって、帰れないなんて困る。そりゃ、異世界転生とか飽きるほど空想した。そこで英雄になったり、人生やり直したり、素敵なヒロインと恋に落ちたり、俺TUEEEしたり、それはもう、たくさんした。なんなら小説や、漫画、アニメなんてそんな物語で溢れかえって食傷気味だっていうのに、いざ現実に起こると脳みそが現状をこれ以上理解しようとするのを拒む。

「なあに、大丈夫だとも。人間というのは慣れる、慣れてしまう生き物だ。心配する必要はない。それに帰れる保証ができないだけで、帰れないわけじゃあない」

「……なにか条件とか、あるってことですか?」

「そうだとも。この世の最も古くからある真理だが、何か起きるときには理由や、原因がある。理由のない事柄なんて、この世界にはないんだよ。もちろん、大なり小なり大きさはあるけどね」

 わざとらしく、―――こほん。と咳ばらいをしたお兄さんは、少しだけ気まずそうに俺から少女へと視線をずらした。

「キミをここに喚べたのは【需要】が合っていたからなんだ」

 じゅ、需要ってなんか商売じみた話になってきたな……。

「詳しいことは伏せるが、彼女が【他人を望み】、キミはたぶん彼女の知り合い、もしくは何かで知って【知りたい】と願った。その二つの重なった【需要】を私が結び、この状況を供給しているわけだ」

 俺が知りたいって願ったのは先生の事だ。まさか、この少女が先生なわけがない。だって、先生はイケメンで、そもそも男なわけで。美しい白い髪の毛を靡かせて、将来は絶対に絶世の美女と約束されているような子ではない。

「キミが帰るためには、再び【需要】が合うことと、それを結んで供給する私がいないとダメなんだ」

「それって、俺が今帰りたいって思っても、もう一人誰かが戻ってこいって思う人間とお兄さんがいないと無理ってこと?」

「そうそう、そういうこと。それに今のキミは本気で帰ろうとは、まだ思っていないだろう?」

「そ、れは、まぁ、はい」

 今も頭は混乱していて現実を理解していないが、お兄さんの言う通り、まだ俺は帰りたいなんて本気で思っていない。……さすがに、いつかは帰りたいけど、それは今じゃない。

「ふふ、いやあ。きっと向こうの私は、大変だろうなあ」

「どうしてですか?」

「いやいや、気にしないでくれ」

「はぁ、わかりました」

 じゃあ、意味深なことを言わないでくれと思ったが、なにを言っても無駄なため口を閉じる。

「とにかく今日はゆっくり休みたまえ。彼女も寝てしまったしね」

「え?」

 隣にいたはずの少女は、固い床で胎児のように丸まって寝ていた。耳をすませば聞こえてくる寝息は、あまりにも穏やかで、この小さい少女が生贄という事実なんて嘘のようだ。

「こんな固い床で眠ったら、体を痛めるよ。……せめて、布とか、藁とかないんですか?」

「ないよ。そんなもの、生贄のために用意されるわけないだろう。そんなことより、明日はこの世界について教えよう。また明日来るから、キミもゆっくり休みたまえ」

「さらば!」の言葉とともに、風のように消えたお兄さんに、なんかもう疲れた。

 贅沢を言ってもしょうがないので、少女から少し離れたところで横になる。

「かったいなぁ」

 そりゃ、リビングの床で寝落ちしたことだってあるが、それとは比べ物にならないぐらい固い。薄っぺらいラグでも、あるのとないのでは雲泥の差だ。無事に帰れたら、薄っぺらいラグに感謝を伝えよう。いや、そもそも買った両親に言わないとな。

 冷たい床が、少しだけ、ほんの少しだけ気持ちよかった。




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