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俺がその場所を知ったのは、偶然だった。
いつもは素通りする路地の暗さに誘われるまま、ふらふらと抜けた先で見つけた―――月白書店。名前の通り本屋であり、古書から絵本、とにかく表紙から始まって裏表紙で終わるものを取り扱っているお店だ。よく見ると誰かの日記も置いてあるもんだから、正直コンビニで売っているエロ本より気まずい。
いまどき珍しい二階建ての平屋なのだが、その見た目は空き家のような風体であり、つる植物がいたるところに絡まり、今もなお這いながら成長を続けている。従業員のお兄さんが「はぁ、嫌になるなぁ。庭師とか雇ってくれないかなあ?」と、ぼやきながら作業していた。本当に大変そうだったから、心の中で――おつかれさまです、頑張ってください! とエールを送ったのは記憶に新しい。
古ぼけた玄関の前に立ち、深呼吸を一つ。ここに通うようになって数か月経つが、いまだに扉を開くのは緊張するのだ。冷たい金属の取っ手に手をかければ、ガラガラと音を立てる。
「先生、こんにちは」
「はい、こんにちは。―――まったく、きみは性懲りもなく、また来たのかい?」
「性懲りもなく今日も来ました」
呆れていることを隠さない先生の柳眉に、俺は誤魔化すように笑う。
勝手に先生って呼んでいるが、実際は先生ではなく月白書店の店長である。一度は店長と呼ぼうとしたが、黒髪イケメンだし、博識だし、落ち着いてるし、涼やかな目元のイケメンだし、漂う空気が不思議だから、店長ではなく先生と呼んでいる。
何を言っても帰らないことを知っているからか、先生はやっぱり隠すことなく俺の目の前で重く、深いため息を吐き出した。
「幸せ逃げちゃいますよ」
「じゃあ、ぼくが逃がした分の幸せを、きみが吸うといいよ」
「わかりました、吸いますね」
「―――は?」
先生が自分から言ったくせに、先生の吐き出した空気をわざとらしく吸う俺を見て、ドン引く顔がなんだかんだおもしろかった。
「……それで、今日はどんな本が必要なのかな?」
「…………そうですねー」
「もしかして、用がないのに来たのかい?」
「用ならありますよ、先生に会うっていう用が!」
「残念ながらそれは用とは言わないぜ」
返す言葉もない俺は、大人しく口を噤む。
しょげる俺を見て、なにか言いたそうに口をもごもごする先生を見つめる。するり、と、かち合った視線に先生は、苦虫を嚙み潰したような表情する。出会ったころから、ずっとそういう態度をとられるものだから、慣れてしまった。この月白書店に俺以外のお客さんがいるところなんて見たことがないが、たぶん先生はお客さんに対しても同じ対応をするだろう。
――――――先生はここで、お客さんではない誰かを待っている。
新しい物語の始まりです。
最後までよろしくお願いします。
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