第七話「奇跡を取り戻す人々」
リゼルが王都を去ってから、二週間が経った。
大聖堂では、ミナを中心とした神官たちが動き始めていた。
「今日の看護当番、確認します!」
ミナは神官たちを集めて指示を出す。
「東の医療院に十人、西の施療所に八人。残りは街中を巡回して、困っている人を探してください」
「はい!」
若い神官たちが元気よく返事をする。
「薬草の在庫は?」
「昨日、商人組合から寄付がありました。一週間分は確保できています」
「良かった。では、出発!」
神官たちが散っていく。
*
東の医療院では、老医師が神官たちを迎えた。
「今日も来てくれたか。助かるよ」
「はい。今日は何をすれば?」
「ベッドの交換と、患者への水の配給を頼む。それと、熱のある患者の額を冷やしてやってくれ」
「分かりました!」
神官たちは慣れた手つきで作業を始める。
最初は戸惑っていた彼らも、二週間で随分と成長した。
「お水、どうぞ」
「ありがとう……」
病床の老婆が、神官の手を握った。
「あなたたち、本当によくしてくれるのね」
「いえ、当然のことですから」
「聖女様の奇跡みたいに、一瞬で治るわけじゃないけど……あなたたちの優しさが、心を癒してくれるわ」
神官は微笑んだ。
「それが、私たちの奇跡です」
*
一方、辺境の村では農民たちが灌漑路の拡張を進めていた。
「よし、もう少しだ!」
「こっちの水路も掘り終わったぞ!」
男たちが汗を流して働いている。女たちは食事を準備し、子供たちは石を運ぶ。
「村長、これで来年は大丈夫ですかね?」
「ああ。聖女様の祝福がなくても、この灌漑路があれば水は確保できる」
村長は満足そうに頷いた。
「俺たちは、自分の力で村を守れるんだ」
*
王都の商人組合では、物資の分配が行われていた。
「北の村には穀物を、東の町には薬草を」
「西の辺境には種と農具だな」
商人たちが地図を囲んで話し合っている。
「聖女様の豊穣の祝福がなくなったからな。物資の流通が命綱だ」
「ああ。だが、考えてみれば昔はこうやって助け合ってたんだよな」
老商人が笑った。
「奇跡に頼りすぎて、商人の本分を忘れてたかもしれん」
「そうですね。今は、自分たちの力で国を支えてるって実感があります」
若い商人が力強く言った。
*
大聖堂に戻ったミナは、疲れた顔で椅子に座り込んだ。
「ふう……」
「お疲れ様、ミナ」
同僚の神官が温かいお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう」
「大変だけど、やりがいあるよね」
「うん」
ミナは微笑んだ。
「リゼル様が辞めた時、私は絶望したわ。でも、今は違う」
「違う?」
「私たちにもできることがあるって、分かったから」
ミナはお茶を一口飲んだ。
「奇跡を起こせなくても、人を助けることはできる。それを教えてくれたのは、リゼル様なんだ」
*
しかし、全てが順調なわけではなかった。
疫病の患者は減少傾向にあったが、まだ完全には収まっていない。
「ミナ様、大変です!」
若い神官が駆け込んできた。
「どうしたの?」
「南の地区で、疫病が再発しています! このままでは……!」
ミナの顔が強張った。
「医者は?」
「総出で対応していますが、患者が多すぎて……!」
「分かった。すぐに向かう!」
*
南地区の施療所は、患者で溢れかえっていた。
「苦しい……助けて……」
「水を……水をください……」
老医師が必死に治療しているが、追いつかない。
「くそ……! 薬が足りない!」
「こっちも! ベッドが足りません!」
ミナは状況を見て、即座に判断した。
「神官たち、総員でここに集まって! 今すぐ!」
伝令が走る。
一時間後、大聖堂の神官たち全員が集まった。
「みんな、聞いて!」
ミナは大声で言った。
「今、南地区で多くの人が苦しんでる! 私たちの力が必要なの!」
「でも、私たちには奇跡が……」
「奇跡はいらない!」
ミナは力強く言った。
「私たちには手がある! 足がある! 心がある! それで十分!」
神官たちの目が輝く。
「さあ、行きましょう! 人を救うために!」
「おお!」
神官たちが駆け出した。
*
施療所に神官たちが到着すると、すぐに役割分担を始めた。
「看護班は患者の世話を!」
「配給班は水と食料を!」
「清掃班は施設内の衛生管理を!」
組織的に動く神官たち。
医者たちも驚いて見ていた。
「君たち……すごいな……」
「私たちは、リゼル様の教えを受け継いでいますから」
ミナは微笑んだ。
「奇跡がなくても、人は人を救える」
*
三日三晩、神官たちは不眠不休で働いた。
患者を看護し、水を運び、手を握り、祈りを捧げた。
そして──。
「熱が……下がってる……!」
患者の一人が目を覚ました。
「よかった……!」
神官が涙を流す。
「あなたたちのおかげです……ありがとう……」
「いいえ。あなたが頑張ったんです」
次々と、患者が回復し始めた。
奇跡ではない。人の手による、地道な看護の成果。
「やった……やったわ……!」
ミナは泣き崩れた。
「私たちにもできたんだ……!」
*
その光景を、枢機卿エルヴィンが見ていた。
「素晴らしい……」
彼は感動に震えていた。
「奇跡ではなく、人の心が人を救う……これこそが、本当の神の教えだったのかもしれん……」
枢機卿は空を見上げた。
「リゼル……君は、我々に大切なことを教えてくれたな……」
*
一週間後、南地区の疫病は完全に収まった。
街中に喜びの声が響く。
「やったぞ!」
「奇跡がなくても、俺たちは勝ったんだ!」
人々が抱き合い、涙を流す。
ミナは仲間の神官たちに囲まれていた。
「ミナ様、本当にありがとうございました!」
「あなたのおかげです!」
「いいえ、みんなのおかげよ」
ミナは微笑んだ。
「私たちは、一人じゃ何もできない。でも、みんなで力を合わせれば……奇跡だって起こせる」
「はい!」
神官たちの笑顔が輝いていた。
*
その夜、ミナは一人で大聖堂の屋上に立っていた。
「リゼル……見てる?」
星空に向かって呟く。
「私たち、頑張ってるよ。あなたがいなくても、ちゃんと人を救ってる」
風が優しく吹いた。
「ありがとう、リゼル。あなたが辞めてくれたおかげで、私たちは本当の強さを知ることができた」
ミナは微笑んだ。
「だから、安心して休んでね。私たちは、大丈夫だから」
星が瞬いた。まるで答えるように。
(第七話・終)