第十二話「今日も静かに、花が咲く」
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春が来た。
村の丘には、色とりどりの花が咲き誇っていた。
「綺麗……」
リゼルは花畑の中に座り込んで、深呼吸をした。
聖女を辞めてから、一年が経った。
「早いな……もう一年か」
この一年で、たくさんのことがあった。
逃げて、迷って、戦って、そして──新しい道を見つけた。
「幸せだな」
心から、そう思えた。
*
「先生!」
子供たちの声が聞こえた。
丘の下から、十人ほどの子供たちが駆け上がってくる。
「みんな、どうしたの?」
「先生にあげるの!」
子供たちは花束を差し出した。
「わあ、ありがとう!」
「先生、いつもありがとう!」
「私たち、先生が大好き!」
子供たちの笑顔が、花よりも美しかった。
「私も、みんなが大好きよ」
リゼルは子供たちを抱きしめた。
*
「先生、お話して!」
一人の男の子が言った。
「お話?」
「うん! 先生が聖女だった時の!」
「ああ……」
リゼルは少し考えて、頷いた。
「じゃあ、みんな座って」
子供たちが花畑に座り込む。
「昔々、私は聖女様って呼ばれてたの」
「知ってる! 奇跡を起こせるんでしょ!」
「そう。病気を治したり、水を綺麗にしたり、色々できたの」
「すごい!」
「でもね」
リゼルは優しく言った。
「奇跡ばっかり起こしてたら、疲れちゃったの」
「疲れちゃった?」
「うん。だって、毎日毎日、朝から晩まで奇跡を起こさなきゃいけなくて。休む時間もなかったの」
子供たちが心配そうな顔をする。
「だから、先生は聖女を辞めたの。自分を守るために」
「それで、今は先生になったんだね」
「そうよ」
リゼルは微笑んだ。
「今の方が、ずっと幸せ」
「先生、質問!」
女の子が手を挙げた。
「なあに?」
「奇跡を起こせなくなって、寂しくない?」
「いい質問ね」
リゼルは考えた。
「正直に言うと、最初は寂しかったわ。でもね」
リゼルは子供たちを見回した。
「今は、違う奇跡を起こしてるの」
「違う奇跡?」
「うん。みんなを教えて、みんなが成長する。それが、私の新しい奇跡」
子供たちの目が輝いた。
「かっこいい!」
「私も、先生みたいになりたい!」
リゼルは涙を堪えた。
「ありがとう。でもね、みんなはみんなの道を見つけてね」
「はーい!」
�*
子供たちが帰った後、エマが丘に登ってきた。
「相変わらず、子供に人気だね」
「エマ」
「お茶、持ってきたよ」
二人は花畑に座って、お茶を飲んだ。
「ねえ、リゼル」
「何?」
「幸せ?」
「うん。すごく」
リゼルは微笑んだ。
「こんなに幸せでいいのかなって、たまに思うくらい」
「いいのよ。あんたは幸せになる権利がある」
「ありがとう、エマ」
「それより、来週の祭りの準備、手伝ってよ」
「もちろん」
*
その夜、リゼルは村の教会を訪れた。
静かな礼拝堂。祭壇の前に跪く。
「神様、今日も無事に一日が終わりました」
祈りを捧げる。
「子供たちは元気で、村は平和で、私は幸せです」
沈黙。
「これが、私の求めていた人生だったんですね」
リゼルは微笑んだ。
「ありがとうございます」
*
その時、祭壇から淡い光が漏れた。
『リゼル』
「神様!」
『久しぶりだね』
「はい……」
『君は、本当によくやったよ』
神の声が優しい。
『聖女を辞める勇気を持ち、新しい道を見つけ、そして人を育てている』
「私は……正しかったんでしょうか」
『もちろん』
神は言った。
『君は、最も正しい選択をした』
「ありがとうございます……」
『そして、リゼル』
「はい?」
『奇跡ってね、神様が起こすんじゃないの』
神の声が、優しく響く。
『ちゃんと休んで、笑えるようになったときに──それが、一番の奇跡なんだよ』
リゼルの目から涙が溢れた。
「そうですね……」
『君は今、毎日奇跡を起こしている』
「え……?」
『子供たちを笑顔にする。村人たちと共に生きる。それが、最高の奇跡だ』
「神様……」
『これからも、君らしく生きなさい』
光が消えていく。
『そして、疲れたら──いつでも休みなさい』
「はい……!」
*
教会を出ると、満天の星空が広がっていた。
「綺麗……」
リゼルは空を見上げた。
一年前、この星空の下で、彼女は聖女を辞める決意をした。
そして今──。
「私は、私の人生を生きてる」
誰かの期待でもなく。
誰かの命令でもなく。
自分の意志で。
「これが、本当の自由なんだね」
*
翌朝、リゼルは畑で野菜を収穫していた。
「今日もいい天気」
太陽の光が温かい。
「リゼル!」
村の子供が駆け寄ってくる。
「先生、今日も勉強教えて!」
「もちろん。午後からね」
「やったー!」
子供が嬉しそうに走り去る。
リゼルは微笑んで、また野菜を収穫し始めた。
*
午後、教室には子供たちが集まっていた。
「では、今日は植物の勉強をしましょう」
「はーい!」
「この花、なんて名前か知ってる?」
「知ってる! リゼルの花!」
「違うわよ」
リゼルは笑った。
「これはマーガレット。花言葉は『真実の愛』」
「へえー」
「花にはね、それぞれ意味があるの。人間と同じね」
リゼルは優しく言った。
「みんなにも、それぞれ特別な意味がある。大切な存在なのよ」
子供たちが嬉しそうに笑う。
*
授業が終わった後、リゼルは教室の窓から外を見た。
村の風景。
畑で働く人々。
遊ぶ子供たち。
平凡な日常。
「でも、これが一番の奇跡なんだよね」
リゼルは呟いた。
「毎日が平和で、みんなが笑ってる。それ以上の奇跡なんてない」
*
夕暮れ時、リゼルは再び丘に登った。
花畑に座り込んで、夕日を眺める。
「今日も、いい一日だった」
風が優しく吹く。
花びらが舞い上がる。
「明日も、きっといい日になる」
リゼルは微笑んだ。
*
その時、後ろから足音が聞こえた。
「リゼル」
振り返ると、ミナが立っていた。
「ミナ! いつ来たの?」
「今。ちょっと休暇を取ってね」
ミナが隣に座る。
「綺麗ね、ここ」
「でしょう? 私の大好きな場所なの」
「リゼル、幸せそうね」
「うん。すごく幸せ」
リゼルは頷いた。
「あなたは?」
「私も。聖堂での仕事、すごく充実してる」
ミナは笑った。
「あなたのおかげで、私たちは本当の意味で人を助けることを学んだわ」
「ミナ……」
「ありがとう、リゼル」
「こちらこそ」
二人は花畑に寝転んだ。
空が、オレンジ色から紫色に変わっていく。
「ねえ、ミナ」
「何?」
「私たち、いい人生送ってるよね」
「うん。最高の人生」
二人は笑い合った。
*
夜、村の広場では小さな祭りが開かれていた。
「リゼル先生、踊りましょう!」
子供たちが手を引っ張る。
「もう、しょうがないわね」
リゼルは笑って、輪の中に入った。
音楽が鳴り響く。
人々が踊り、笑い、歌う。
「楽しい……」
リゼルは心から笑っていた。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
*
祭りが終わった後、リゼルは一人で丘に戻った。
星空が広がっている。
「神様」
空に向かって呟く。
「私、今日もたくさんの奇跡を起こしました」
微笑む。
「子供たちを笑顔にして、友達と語らって、みんなと踊りました」
涙が零れた。
「これが、本当の奇跡なんですね」
風が答えるように吹いた。
「ありがとうございます」
リゼルは深く頭を下げた。
「この人生を、くれて」
*
家に戻ると、エマがお茶を用意してくれていた。
「おかえり。楽しかった?」
「うん。すごく」
「良かったね」
二人は静かにお茶を飲んだ。
「ねえ、エマ」
「何?」
「私、幸せだよ」
「知ってるわよ」
エマは笑った。
「あんたの顔、いつも幸せそうだもん」
「ありがとう。エマがいてくれるから」
「当たり前じゃん。親友なんだから」
二人は微笑み合った。
*
その夜、リゼルは最後の日記を書いた。
『私は、聖女を退職した』
『それは、私の人生で最高の決断だった』
『今、私は教師として、友として、人として生きている』
『奇跡は起こさない。でも、毎日が奇跡だ』
『これが、私の物語』
『そして、これが私の幸せ』
ペンを置く。
窓の外では、月が優しく輝いていた。
「おやすみなさい」
リゼルは安らかに眠りについた。
*
そして──。
翌朝も、いつものように太陽が昇る。
花畑には、また新しい花が咲いた。
村の子供たちは、今日も元気に駆け回る。
リゼルは畑で野菜を収穫し、午後は子供たちに勉強を教える。
何も特別なことはない。
ただ、静かに、平凡な日々が続いていく。
でも──それが、最高の奇跡。
「今日も静かに、花が咲く」
リゼルは微笑んだ。
「そして、私も咲いている」
*
──奇跡ってね、神様が起こすんじゃないの。
ちゃんと休んで、笑えるようになったときに。
それが、一番の奇跡なんだよ。
*
それから十年後。
リゼルの村には、立派な学校が建っていた。
周辺の村々から子供たちが集まり、リゼルと彼女が育てた教師たちが教えている。
「先生!」
今では大人になった、かつての生徒が訪ねてきた。
「久しぶり。元気だった?」
「はい! 私、医者になりました!」
「素晴らしいわ」
「先生のおかげです。先生が教えてくれたから」
リゼルは微笑んだ。
「いいえ、あなたが頑張ったのよ」
王都では、ミナが聖堂の枢機卿になっていた。
神官たちは今も、奇跡ではなく人の手で人々を助け続けている。
そして──。
花畑では、今日も静かに花が咲いている。
リゼルは、その花畑で子供たちに囲まれて笑っている。
「これが、私の奇跡」
風が優しく吹いて、花びらが舞う。
神の声が、どこかで微笑んでいる気がした。
『よくやったね、リゼル』
──聖女は退職した。
でも、彼女の物語は、今も続いている。
(完)
この物語は、「働く全ての人」へ贈る、休息と再生の物語です。