第十一話「聖女、再就職する」
それから半年が経った。
リゼルの村での生活は、相変わらず穏やかだった。
でも、少しずつ変化も起きていた。
「リゼルさん、ちょっといいですか?」
ある日、隣村の村長が訪ねてきた。
「はい、何でしょう?」
「実は、うちの村に小さな学校を作ろうと思っていまして」
「学校……?」
「ええ。子供たちに読み書きや計算を教える場所です。それで、先生をお願いできないかと」
リゼルは目を丸くした。
「私が……先生に?」
「あなたは、この村でも子供たちに教えてるでしょう? 評判を聞いて、ぜひお願いしたいんです」
「でも、私は教師の資格も……」
「資格なんて関係ありません。子供たちが楽しく学べる、それが一番大事です」
村長は真剣な顔で言った。
「報酬もちゃんと出します。どうでしょう?」
*
リゼルはエマに相談した。
「先生かぁ。いいじゃん」
「でも、私にできるかな」
「できるよ。だって、ここの子供たち、あんたの授業大好きじゃん」
エマは笑った。
「それに、あんたもただぼーっとしてるより、何かやった方が楽しいでしょ?」
「それは……そうかも」
「決まりね。やってみなよ」
*
リゼルは隣村の学校で、週に三日教えることになった。
小さな教室に、十五人ほどの子供たち。
「では、今日は算数を勉強しましょう」
「はーい!」
元気な声が響く。
リゼルは黒板に数字を書きながら、微笑んだ。
「りんごが五個あります。三個食べました。残りは?」
「二個!」
「正解! よくできました」
子供たちの笑顔が、リゼルの心を温める。
「これが……私の新しい仕事……」
奇跡を起こすわけじゃない。
でも、子供たちの未来を育てている。
「これも、奇跡かもしれない」
*
ある日、授業の後に一人の女の子が残っていた。
「先生、お話しいいですか?」
「もちろん。どうしたの?」
「私……将来、先生みたいになりたいです」
女の子の目が輝いている。
「先生みたいに、誰かを助ける人になりたいんです」
リゼルは驚いた。
「どうして?」
「だって、先生は優しくて、強くて、かっこいいから」
「私が……かっこいい?」
「はい! 先生は、困ってる人を助けるでしょう? 前に、病気の子を治してくれたって聞きました」
「ああ……」
「それに、王様と話して、川を綺麗にしたって」
女の子は憧れの眼差しで言った。
「私も、先生みたいに誰かの役に立ちたいんです」
リゼルの目に涙が滲んだ。
「ありがとう。でもね」
リゼルは女の子の頭を撫でた。
「誰かを助けるのに、特別な力はいらないのよ」
「え……?」
「優しい心と、勇気があれば十分。あなたにもできるわ」
「本当ですか?」
「本当よ」
リゼルは微笑んだ。
「さあ、一緒に頑張りましょう」
「はい!」
*
その夜、リゼルは日記を書いていた。
『今日、生徒の一人に「先生みたいになりたい」と言われた』
『聖女時代は、みんな私の力を欲しがった。でも、今は私の生き方を見てくれている』
『これが、本当に人を導くということなのかもしれない』
ペンを置いて、窓の外を見る。
満月が美しい。
「神様、私、幸せです」
*
数ヶ月後、リゼルの評判は周辺の村々に広まっていた。
「あの先生、すごくいいらしいぞ」
「うちの村にも来てくれないかな」
依頼が増え始めた。
リゼルは週に五日、三つの村を回って教えるようになった。
「忙しくなったね」
エマが笑う。
「うん。でも、楽しいの」
リゼルは幸せそうに言った。
「聖女の時は、義務だった。でも今は、私がやりたいからやってる」
「それが一番だね」
*
ある日、王都からミナが訪ねてきた。
「リゼル!」
「ミナ! どうしたの?」
「会いたくなって。それに、報告があるの」
二人は村の酒場でお茶を飲んだ。
「聖堂はどう?」
「すごくいい感じよ。神官たちがみんな、積極的に人々を助けてる」
ミナは嬉しそうに言った。
「奇跡に頼らずに、人の手で。あなたが教えてくれたことを、みんな実践してるの」
「良かった……」
「それでね、実は枢機卿様から提案があって」
「提案?」
「聖堂に、新しい部門を作ることになったの。『教育支援部』って」
ミナは説明した。
「各地の村に教師を派遣して、子供たちに学びの機会を与えるの」
「それって……」
「あなたがやってることと同じよ」
ミナは微笑んだ。
「あなたの活動が、聖堂を変えたの。奇跡を起こすだけが神に仕えることじゃないって、みんな気づいた」
「ミナ……」
「だから、お願い。教育支援部の顧問として、私たちを指導してくれない?」
「え……?」
「月に一度でいいの。王都に来て、神官たちに教え方を教えてほしいの」
リゼルは考えた。
「報酬は?」
「もちろん出すわ。それに、旅費も全部聖堂が負担する」
「……分かった」
リゼルは頷いた。
「やってみるわ」
「本当!? ありがとう!」
*
こうして、リゼルは新しい役割を得た。
村の教師として子供たちを教え、月に一度は王都で神官たちを指導する。
「これが、私の再就職先か」
リゼルは笑った。
聖女ではない。
でも、人々の未来を育てる教師として。
「悪くない。むしろ、すごくいい」
*
初めて王都で研修会を開いた日。
三十人ほどの神官たちが集まっていた。
「皆さん、こんにちは。リゼルです」
リゼルは壇上に立った。
「今日は、子供たちへの教え方について話します」
神官たちが真剣に聞いている。
「大切なのは、知識を与えることじゃありません」
リゼルは言った。
「子供たちに、学ぶ楽しさを伝えることです」
「学ぶ楽しさ……」
「そう。楽しいと思えば、子供たちは自分から学び始めます」
リゼルは自分の経験を語った。
子供たちの笑顔、成長する姿、輝く目。
「教えることは、奇跡を起こすことに似ています」
「え……?」
「誰かの未来を、少しだけ明るくする。それが、私たちの役割です」
神官たちが深く頷いた。
*
研修会の後、枢機卿が声をかけてきた。
「素晴らしかったよ、リゼル」
「ありがとうございます」
「君は、本当に聖女だな」
「え……?」
「奇跡を起こすだけが聖女じゃない。人々を導き、未来を照らす。それが本当の聖女だ」
枢機卿は優しく笑った。
「君は、聖女を辞めたんじゃない。本当の聖女になったんだ」
リゼルは涙を堪えた。
「ありがとうございます……」
*
王都からの帰り道、リゼルは空を見上げた。
「私、ちゃんと生きてるよね」
神に問いかける。
『ああ、君は素晴らしく生きている』
声が聞こえた気がした。
『これからも、君らしく』
「はい……!」
リゼルは微笑んで、故郷への道を歩き続けた。
*
村に戻ると、エマが待っていた。
「おかえり! どうだった?」
「すごく良かった。みんな、真剣に聞いてくれて」
「そりゃそうよ。あんたは元聖女なんだから」
「もう、元じゃないわよ」
リゼルは笑った。
「今は、ただの教師」
「そう? 私には、立派な聖女に見えるけどね」
「エマ……」
「奇跡を起こす聖女じゃなくて、人を育てる聖女」
エマは微笑んだ。
「それって、すごく素敵じゃん」
リゼルは涙を流した。
「ありがとう、エマ」
「泣くなよ。夕飯食べよ。今日はご馳走作ったんだから」
「うん!」
二人は笑い合いながら、家に入っていった。
*
その夜、リゼルは日記を書いた。
『私は、聖女を退職した』
『でも、今は教師として、再就職した』
『奇跡は起こさない。でも、人を育てる』
『これが、私の新しい生き方』
『そして、これが私の幸せ』
ペンを置いて、窓の外を見る。
星が瞬いている。
「おやすみなさい、神様」
リゼルは安らかに眠りについた。
(第十一話・終)